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【さらば革命的世代】第2部(7)「あいつらがナショナリズムを代行した」新右翼の鈴木邦男さん (2/3ページ)

2008.10.18 12:00
このニュースのトピックスさらば革命的世代
盾の会のメンバーとともに陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入し、東部方面総監部のバルコニーで演説する三島由紀夫さん=昭和45年11月25日盾の会のメンバーとともに陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入し、東部方面総監部のバルコニーで演説する三島由紀夫さん=昭和45年11月25日

三島由紀夫

 安田講堂事件から4カ月後の昭和44年5月13日。定員約500人の東大教養学部900番教室は、すし詰め状態だった。東大全共闘が主催する討論会にノーベル文学賞候補といわれた作家、三島由紀夫さんが登場したのだ。

 右翼思想家としても知られていた三島さんを全共闘があえて講師に招いたのは「つるし上げて論破してやろう」という狙いがあったとされるが、三島さんは臆することなく“敵陣”に乗り込んだ。

 激しいヤジが飛ぶ中、黒い半袖シャツを着た三島さんはほおを紅潮させながらやや早口で思想を語り学生たちを圧倒した。そして「君たちが一言、天皇陛下と言ってくれたら、手をつないでも良いのに」と訴え、討論をこう締めくくった。「私は諸君の熱情だけは信じます」

 当時、全共闘側から論戦を挑んだ一人で評論家の小阪修平さん(故人)は著書「思想としての全共闘世代」の中で、三島さんの勇気をたたえてこう述べている。「たぶんぼくらは彼のなかに戦後民主主義的知識人や大学当局がもたない誠実さをみていたのだ」

 三島さんが自衛隊市ケ谷駐屯地で壮絶な割腹自殺を遂げるのは翌45年11月。この年からサンケイ新聞(現産経新聞)の販売局で働いていた鈴木さんはあまりの衝撃に仕事に手がつかなったという。

 「正直、学生時代は三島さんのことをたくさんの右翼思想家の1人ぐらいにしか思ってなかったが、あの事件を機に、本物だと思うようになった」

 日本刀で切腹した三島さんは、私兵組織「楯の会」のメンバー、森田必勝(まさかつ)さんの介錯を受け、森田さんもその場で腹を切って死亡した。鈴木さんには、森田さんを学生時代にオルグして右翼の世界に引き込んだ因縁もあった。2人の行動に刺激を受けた鈴木さんは「仕事なんかしている場合じゃない」と退職して、一水会を立ち上げた。

 「三島さんが1人で死んだのなら、ただの自殺。森田の存在があったからこそ、その行動が思想的な行為として意味を持った」

★★★【さらば革命的世代】これまでの連載はこちら★★★

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盾の会のメンバーとともに陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入し、東部方面総監部のバルコニーで演説する三島由紀夫さん=昭和45年11月25日
鈴木邦男さん

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