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【さらば革命的世代】第2部(3)機動隊員にも妻子がある 警察の方針転換 (2/4ページ)
このニュースのトピックス:さらば革命的世代
その後も44年4月に岡山大で26歳の巡査が側頭部に投石を受けて死亡するなど、学生対機動隊の衝突は激化する一方だった。警察側の負傷者のなかには、失明した人や生涯残るほどの障害を身体に残した人もいた。当時の機動隊員たちにとって、「死」は身近な存在になっていた。
■催涙ガス
「なぜ暴力学生を徹底的に取り締まらないのか」「手ぬるいのではないか」
当時、警察には市民からのそうした意見が相次いだという。一方で、この時代の大学進学率はまだ十数%。キャンパスで暴れる彼らには、次代を担う「エリート」という側面もあった。
ある警察OBは「当時はまだ彼らを『学生さん』と呼び、『奴らの将来を考えてやれ』と力説する幹部もいた。全員を一網打尽に逮捕してしまえば10年後、20年後の日本はどうなるのかという危惧もあった」。
実際、デモ隊が機動隊を一時的に押し込む場面はあったものの、双方の力の差は歴然としていた。当初警察は、集まった学生たちを逮捕して拘束するのではなく、「その場から解散させること」に重きをおいていたという。衝突して混乱すれば、多数のけが人が出るという配慮からだった。
だが、西条さんの殉職以降は、警察の強大な力で学生を押さえ込む作戦へと変わった。例えば、50人規模の集会さえ、事前に情報を収集して、その10倍以上の機動隊を投入、暴れるまもなく押さえ込む。違法行為があれば容赦なく現行犯逮捕する。
それでも攻撃の手をゆるめない学生に対しては、催涙ガス弾の大量使用を許可した。中には「やりすぎではないか」という批判もあったが、佐々さんは当時、「近接戦で血をみるより、催涙ガスで涙をみる方がましだ」と、その使用を強く訴えたという。