MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。
[PR]

ニュース:事件 犯罪・疑惑事故・災害裁判写真RSS feed

  • メール
  • メッセ
  • 印刷

【さらば革命的世代】第2部(1)機動隊員が見た許せぬ光景 バリケードの外から (3/5ページ)

2008.8.28 23:37
このニュースのトピックスさらば革命的世代
炎上し煙を上げる時計塔に突入する機動隊員たち。隊員の多くは20代の若者だった=昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学炎上し煙を上げる時計塔に突入する機動隊員たち。隊員の多くは20代の若者だった=昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学

 一方で、当時の日本は高度成長期のまっただ中にあり、43年にはGNP(国民総生産)が初めて世界第2位となった。プロ野球巨人軍がV9を猛進し、後楽園や甲子園球場は常に満員。旅行やゴルフもブームになり、多くの人々は「昭和元禄」の時代を謳歌(おうか)していた。そうした中でバリケードにこもった学生たちは、周囲からどのような視線を向けられていたのか。

 全共闘から「敵」と見なされていた機動隊では、投石などで死傷した隊員も少なくなかった。ある機動隊OBは「結局は、社会を知らないお坊ちゃまたちの闘争だった」と嫌悪感をあらわにする。同世代の“労働者”からみれば、全共闘運動は「恵まれた連中のお遊び」に映っていたかもしれない。

 一方、別の元機動隊員は「『授業料値上げ反対』『大学の組織改革』なんていう言葉は自分も同調できた」とし、さらにこう述べた。「当初は世間も学生に好意的で、われわれが市民から罵声(ばせい)を浴びせられることもあった。ただ、運動が過激になるにつれ、彼らの味方は少なくなっていった。『大学改革』を叫ぶ者たちがなぜ、一足飛びに『世界革命』などと言い出すのか。その違和感は市民も感じ取っていたと思う」

このニュースの写真

炎上し煙を上げる時計塔に突入する機動隊員たち。隊員の多くは20代の若者だった=昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学

PR

PR
PR
イザ!SANSPO.COMZAKZAKSankeiBizSANKEI EXPRESS
Copyright 2010 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。