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【さらば革命的世代】第2部(1)機動隊員が見た許せぬ光景 バリケードの外から (1/5ページ)
このニュースのトピックス:さらば革命的世代
ノーサイド
行く手を阻んだのは、机やロッカーを積み上げたバリケードだけではなかった。狭い階段は炎と黒煙に包まれ、頭上からは学生たちが放り投げる火炎瓶や頭大の石、さらにはガソリンや塩酸までが降ってきた。
昭和44年10月4日、大阪市住吉区の大阪市立大学。1月の東大安田講堂攻防戦から約9カ月。各地に広がった全共闘と呼ばれる学生たちの反乱はとどまるところを知らず、この日朝、全国の公立大で唯一「紛争重症校」と呼ばれた市大当局からも、大阪府警本部に機動隊の突入が要請された。
「あいつらと僕らはほとんど同じ世代。こちら側にすれば、親のすねをかじって好き放題しやがってという思いは、確かにあった」。この日、最前線でバリケードに突入した元府警機動隊員の宮崎二郎さん(66)=仮名=は振り返る。当時26歳。家庭の事情から大学進学をあきらめ、強豪の府警ラグビー部に入りたいと、故郷を離れて警察官になった。ともに突入した同僚も、ほとんどが学生たちと同じ20代だった。
大半のバリケードは午前のうちに撤去されたものの、最後に残った本館時計塔の上の「トリデ小屋」への突入は難を極めた。地上28メートル。机やイスを排除しながら塔内部の狭い階段を登るも、頭上からありとあらゆるものが降ってくる。