ニュース:生活 RSS feed
【さらば革命的世代】(10)「過去を振り返れない人たち」 (3/4ページ)
■失われた10年
「理屈っぽい」「徒党を組む」「押しつけがましい」…。
全共闘世代にはそうしたありがたくないレッテルが張られることもある。
同じ早大で学生運動にかかわった作家の三田誠広さん(60)は「当時は運動に参加するにせよ、ノンポリでいるにせよ、自分の立場を理論武装せねばならず、必然的に理屈っぽくならざるをえなかった」とした上で、次のように述べる。
「理論や理屈が合う者同士が寄り集まることで、組織に対する帰属意識がより強くなったという側面もある。学生時代にセクトに忠誠を誓っていた人たちにとって、就職はセクトが会社になっただけのことでしょう」
全共闘世代が会社組織に入ったのは昭和40年代後半。
下積み期の20代は、日本社会が経済大国へと成長した時期で、仕事に油がのり始めた30代後半はバブル経済の絶頂期だったが40代以降、社会は一変。
バブル崩壊に伴う不況とその後の長期デフレにあえいだ。「失われた10年」と呼ばれるこの期間は、彼らが社会を中軸として背負った時期にもあたる。
大塚さんは「結局、私も含めた全共闘世代は理屈をこね回していただけで、上の世代の敷いたレールを忠実に歩いてきたに過ぎなかった。政治も経済も行き詰まる中で、新たな日本型システムを提示することもできなかった」と述べ、その最大の理由について「過去の総括を意図的に避けてきた」ことを挙げる。
「つまり、過去を振り返れない世代になってしまったのです。それをすれば、若かりし日の全共闘運動に行き着いてしまう。逆に言うと、40年前の自分と今の自分との整合性がとれないのだから、昨日の自分とも、10年前の自分とも整合性をとらなくていいことになる。過去に対するこだわりを持てないから、場当たり的な発想しか出てこない。筋の通った発想など出てくるはずもない」
失われた10年以降も、わが国の政治や経済は閉塞感を漂わせている。
いまだ社会の中枢で群れをなす“隣の全共闘”たちは、この同世代からの手厳しい批判をどう受け止めるだろうか。
(第1部終わり)