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【さらば革命的世代】(8)ムラの弁護士の転向論 (2/4ページ)
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■あえて火中の栗を拾う
大阪府立大手前高校から昭和39年に東大進学。
中学、高校はラグビー少年だったが、入学直後から新左翼セクトに入り、マルクスを読みふけった。
逮捕歴は5回、留年は3回にのぼった。
安田講堂事件では、その年の夏まで勾留されたが完全黙秘で執行猶予判決を受けた。
何も知らずに警察に呼び出された母親は、逮捕歴の数に驚いたという。
「僕は体育会系ですから、デモでもストライキでも、理論より身体を張ることが大事だと思った。自らが当事者になることで、権力に対する怒りに震え、機動隊に殴られて痛みを知る。それをやることで人間は変わる」
実は松原さんは、落城直前の安田講堂にあえて飛び込んでいる。
当時、すでに運動の一線を離れていたが、「同志が体を張っているのに、何もしなければ一生後悔する」と思ったからだ。
率先して火中の栗を拾った行動に周囲は驚いた。
一方で、途中で逃げ出したり、運動の中枢に飛び込めなかったメンバーの中には、いまだ不完全燃焼の思いを抱き、コンプレックスを抱く人もいるという。
ただ、松原さんが現在のように「きっぱり」と過去を総括できたのは、その後の弁護士や代議士としての成功体験が大きいからではないか。
当時の運動経験者の中には就職もままならず、社会から身を隠しながら、過去に目をつぶって生きてきた人もいるからだ。
松原さんは「そうかもしれません」と否定しなかった。
その上で、「みなそれぞれ、人生の分かれ目のようなものがあったのだと思う。結果論ですが、私は、何とかうまくいくように自分を変えてきたのだと思う」と話した。