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【さらば革命的世代】(6)女子学生闘士の「その後」 (2/4ページ)
ゲバルト・ローザ
当時ゲバ棒片手に活動した女性闘士はドイツ共産党の女性革命家、ローザ・ルクセンブルクにちなんで「ゲバルト・ローザ」とも呼ばれた。
バリケードの中のはしごをミニスカートでかけ登るようなタイプもいたが、多くは、きまじめで純粋な女子学生だった。
後に父親がまとめた日記「二十歳の原点」(新潮文庫)で知られる立命館大学生、高野悦子さんのように学生運動を通じて自らの生き方に悩み、20歳で鉄道自殺を図った女性もいた。
男女雇用機会均等法の施行より十数年も前の時代。
大卒女性は就職も厳しかった。ほとんどは専業主婦か、公務員や教師になる道しかなかった。
ただ、男子学生の多くが、その後企業戦士として「転向」していったのに対し、彼女たちの中には現在も「純粋」な人が少なくない。
東京の女子大で全共闘経験がある専業主婦(60)は、息子が一流大学から一流企業に入ったことを「気に入らない」と批判する。
「安定だけを求める生活は、学生時代の自分が最も嫌っていたもの。せっかく自由に育てたつもりなのに、息子は何もわかってくれなかった」
九州の国立大で学生運動経験がある元公立高教員の女性(61)は退職を機に本格的に平和運動を始めたという。
「授業中に個人の考え方を押しつけることはできなかった。でも、ようやく自由になった。私は学生時代も全学ストライキには最後まで反対するほど、きまじめでしたから…」
「女性闘士」をめぐっては、壮絶な内ゲバ事件を起こした連合赤軍リーダー、永田洋子死刑囚(63)を連想する人も多い。
彼女にしても「純粋すぎたがゆえの犯行」という見方がある。
一方で、全共闘に参加した女性たちの社会への不満や反発の萌芽(ほうが)は、後のウーマンリブやフェミニズム運動などを経て、男女平等の考え方や女性の社会進出にもつながっていった。