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【さらば革命的世代】(4)ヘルメットかぶった日 (2/4ページ)
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■家族優待券
山形さんらの言うように、全共闘はファッションや一過性の流行に過ぎなかったのか。そもそも、全共闘運動より10年近く前の「60年安保闘争」で「全学連」と呼ばれた当時の学生たちは素顔をさらしたまま活動していた。ヘルメット姿が一つのスタイルになったのは42年10月8日の「羽田闘争」からだという。
佐藤栄作首相(当時)の南ベトナム訪問阻止を狙う学生部隊はヘルメットと角材で初めて本格的に武装、機動隊と衝突し阻止線を破った。学生側には死傷者も出たが、一時的にしろ機動隊に「勝った」という衝撃は大きく、学生運動高揚のきっかけにもなった。
山形さんは、この一件を「10・8ショック」と呼んだ。その場にはいなかったが、大学に入って半年目のの出来事でもあり、「警察にも勝てる」という勇ましさと、ヘルメット姿の格好良さにひかれたという。
ヘルメットにはその後、党派ごとに色が塗られるようになった。「羽田」から3カ月後の43年1月のエンタープライズ佐世保入港阻止闘争がきっかけとされ、ある派の青ヘルばかりが目立ったため、別の派が急きょ現場でポスターカラーを買って赤く塗ったという。
山形さんもこの闘争に白ヘルで参加した。ただ、「オヤジが国鉄職員だったので家族優待券で各地の闘争に参加していた。今にして思えば親のすねかじりの極みだった」とも明かす。