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【さらば革命的世代】(4)ヘルメットかぶった日 (1/4ページ)
このニュースのトピックス:さらば革命的世代
■本当のこと…
「女の子にもてたかったからな」。今もやや長髪のその男性は、ひょうひょうとした口調でそう答えた。兵庫県に住む山形英夫さん(59)=仮名。大阪市内にある企業で管理職を務める彼は40年前、同志社大でヘルメットをかぶり、口元をタオルで隠し、片手にゲバ棒を持っていた。
当時、同志社は「全共闘」ではなく、全学闘争委員会(全学闘)と名乗っていた。山形さんは、熱心な活動家として複数の党派をわたり歩いたが、大学は4年で無事卒業。そのまま現在の会社に勤めている。
「今では考えられないだろうが、当時はバリケードの中にいるなんて言うと、女のほうから寄ってきた。各地へデモに行くときなんか、京都駅で『ねえ、いかないで』なんてことをやっていた。あまりみんな本当のことは言わないだろうけど、そんなもんだった」
本来は機動隊などとの衝突から「身を守る」ための道具だったヘルメットも実際には「ファッション」の意味合いがあったという。法政大全共闘のメンバーだった男性(60)は「今の若い人だってサングラスをすれば気持ちが変わるでしょう。当時もヘルメットとタオルで顔を隠せば、違う自分になれたような気がした。なんでもできそうな気がした」。
昭和42年入学の山形さんは2回生のとき、東大全共闘を支援するグループに加わり、安田講堂にも籠城(ろうじょう)した。44年1月の安田講堂事件である。数日後に機動隊突入を控え、残って闘う者と帰る者をくじ引きで決めた。ただ、山形さんは「パクられるのは絶対に嫌だ」と思っていた。「どちらに決まっても、逃げるつもりだった」という。結局くじの結果は帰還組。「犯罪者」になることも、「逃亡者」の汚名を着せられることもなかった。