果たして特捜検察に何が起きたのか。どうしてこのような結末を迎えたのか。1980年代、90年代、そして現役の幹部である元特捜部長、副部長、特捜検事経験者に今回の事態をどう見るのか聞いてみた。
現役検察幹部(元特捜部副部長)
「基本的な捜査、つまり犯意などの立証が足らず、特捜部の基本的な能力不足の結果がこれでしょう」と歯牙にも掛けない様子だった。
現役検察幹部(元特捜検事)
「小沢のような大きい存在を倒すのに、紙(形式犯)ではダメだ。もっと国民が、なるほどと納得するような実質犯をめざさないと」と語った後、「巨木は紙では倒れないよ」とため息をついた。
現役の検察幹部(元特捜部長)
「これまで、特捜部は国会議員を捜査するときは、やる時期や捜査手法も慎重に、慎重を重ねて検討したものです。小沢を狙い撃ちにしたと批判されないように、時間を掛けて、隠密裡に捜査してこなかったんでしょうかね」と疑問を呈した上で、「捜査指揮の問題ですね」と嘆いた。
弁護士(政治家を起訴した経験を持つ元特捜部長)
「まず捜査手法が違うね。捜査指揮の問題だ」と断定したうえで、「ゼネコン各社から裏献金と金の流れを明らかにして行ってから小沢を狙うのが筋だ。そこを解明しないまま石川を逮捕し、小沢の関係先にガサを入れ、石川の供述だけに賭けたやり方だった。順番が違う」こう指摘した上で、「事件の組み立て、展開が酷い」厳しく批判した。
弁護士(政治家を逮捕した経験を持つ元特捜部長)
「検察の中に、事件に対峙する緊張感が無くなっている。それに特捜部を指揮する地検幹部、最高検が捜査をその都度厳しくチェックせずに、行くところまで行かせた責任は重い」と指揮、監督する側を批判した。
普段は、特捜部に影ながらエールを送る先輩たちに、厳しい言葉しかない。
東京地検特捜部に幻想を持つ司法記者やOBは少なくない。それは、この4半世紀を振り返っただけで、捻糸工連、リクルート、共和汚職、東京佐川急便、ゼネコン汚職、大蔵省汚職、4大証券事件、KSD事件と枚挙にいとま無いほどの進撃を続けてきた特捜検察の姿が目に焼き付いているからだ。
しかし特捜部が組織疲労に陥っているのではと思うようになったのは、2001年半ば以降、つまり21世紀に入ってしばらくしてからではなかっただろうか。そのことについて、私は『世界』(岩波書店の月刊誌)に「暴走する検察」「鈴木宗男捜査を追う」「不要逮捕」と題する3本の検察批判レポートを書いた。それは、我々が取材したときと余りにも違う特捜検察が存在したからだ。
さて今回小沢氏が不起訴になったことで、疑惑は晴れたのかと問われれば、即座に「ますます不可解」と応えるしかない。それは、余りに金の出入りが複雑で、しかも作為的に操作されているように見え、何か胃の腑にものがつかえてスッキリしない状態が解消しないからだ。そのあたりの解明は、今後の公判で明らかになるのだろうと期待はしているが・・・。
政権交代は、国民の目を見開かせてくれた。マニフェストの実現にも期待している。外国人の参政権といい、取り調べの全面可視化といい、子ども手当も高校の授業料無償化も大賛成である。公共事業の仕分けで、自分たちの税金がこのように杜撰に使われていたのかを知らされ、政治が身近に感じるようになった。学級会のようにみんなが言いたいことを言うのも好ましく見ている。それだけにこと「小沢タブー」に不気味なものを感じる。小沢問題をめぐる民主党政治家たちの対応、鳩山・小沢マネー問題の決着は、夏の参議院選挙に委ねるしかない。
不起訴が決まった直後から、いつまでも金の問題でゴタゴタしても生産的でないという意見を聞く。そんなとき思い出すのが、リクルート事件の時、自民党金丸信の発言である。「事件が大切か、予算が大切か」
特捜部にブラフをかけた金丸は、のちに脱税で摘発された。かつての地検特捜部だったら・・・と思わず特捜幻想が頭をもたげてくる。そう、もうそういう特捜検察の時代ではなくなっているのだ。特捜検察は21世紀初頭に、すでに終焉を迎えたのだった。
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