2009-11-29 13:15:42

逆 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

それでは、また戻って、自閉症なら、何でも矛盾に気付くかと言うと、これはまた違う。

自閉症は、「中枢性の統合に欠陥」があり、物事を「概念化」出来ない。だから、すべての物事が、個別の事象として存在し、記憶する。

ところが、「矛盾」に気付くと言う事は、二つの事例が、一致すべき筈が、以前は「A」と言い、今度は「B」と言っている。この二つが、関連した事柄として、分からないと矛盾とはならない。


すべて、物事のデータが「独立」した形で取り込んだ自閉症が、今度は、それぞれの「関連」に気付く「知性」が無ければ、結局は矛盾に気付かない。それぞれ、データはバラバラに入ってくる。


非自閉症は、自動で一塊のデータになってしまうので、内部の矛盾になかなか気付けない。

自閉症は、データがバラバラのままで、矛盾のデータがあっても、二つの関連に気付けない。


つまり、非自閉症であろうと、自閉症であろうと、直感とは別に、「高度な知性」無しに、物事の矛盾、真実に近づけない。


なーんだ。結局当たり前の話じゃないか。 そうなんだ。当たり前の事を本当に「知る」事が、人生なんだな。


【 知性が無くても、モラルを捨てれば、ニキリンコ、泉流星の様に、上手い事お金儲けは出来る。 大多数の人は、モラルがあるし、そこまでしてお金儲けに走らない。  しかし、法の抜け道をかいくぐる事にだけ、長けているからと言って、そのまま放置してはいけない。   少なくとも、私だけは、がんばり続ける。地獄の底まで追いかける。】


(特捜部見てね)


2008/6/14(土)のブログ    復元記事


コメント:

質問です。

「高度な知性」とは、WAIS-Rなどで測定できる知能指数のことでしょうか。

                                           【投稿者 笛 :2008年6月14日(土)10:13】

知性とは何ぞ也。少なくとも知能指数なんてちゃちなモンじゃない。

では、何か。 その答えを、実は、私も求め続けているのかもしれない。

                                         【投稿者 Chip :2008年6月14日(土)14:30】

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2009-11-28 10:35:33

見れば (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

何故、非自閉症者達は、自閉症を見抜けないか。これは、知性も絡むんだけど、「中枢性の統合」による「概念化」の働きに因る。


「概念化」とはどう言う事か。例えば、概念化された「楽しい事」には、ありとあらゆる、複雑な事情をすべてひとくくりで「楽しい事」になる。

この、ありとあらゆる事例を、一つずつ細密に調べ上げれば、単純に「楽しい事」にまとめ上げられない「矛盾」に満ちて居る筈だ。

しかし、「ヒト」は、快適に生きて行く為に、それらの「矛盾」には目を瞑り「楽しい」とする「概念化」の力を得た。


「中枢性の統合」「概念化」と言うのは、言い換えれば、「矛盾も丸呑みする力」だ。


だから、「概念化」の力を持った「ヒト」(非自閉症)は、自閉症の人間よりも遙かに生活して行き易いんだ。そう考えれば、自閉症の諸君も何となく納得が行くだろう。


しかし、「概念化」が出来るが故に、弱点が出る。それは、「矛盾」に気が付く力が弱い。と言う事だ。これに付いては、何の証明も無いのだが、自閉症の事を突き詰めて行くと、その反対側の「ヒト(非自閉症)」の事を考えざるを得ない。その結果、私はこの結論を得た。

ただ、非自閉症でも、知性というモノがある。その高度の知性があれば、その中から冷静に分析し、矛盾を解き明かす能力も、当然導き出されるが、例えば、ニュースキャスターであり、新聞記者であるのだけど、その矛盾を縦横無尽に追求する能力を持つヒトは、本当に限られている。


インタビューアーを見ていて、「なんで其所を突かない!オレの方がましだ!」と私も思う。だからと言って、ニュースキャスターが出来るかと言えば、そもそもなり方が分からないし、適切な大学にも行けないだろう。就職試験だって合格するとは思えない。仮に合格したとしても、まともに会社員が勤まるとも思えないし、何とか社員として潜り込んでも、キャスターに抜擢されるとは思えない。


「中枢性の統合」に問題があり、「概念化」出来ない代わりに、「矛盾」には、「ヒト」より気付き易い。

しかし、「高い知性を持ったヒト」にはかなわない。 では、「頭の悪い、勉強だけ出来たヒト」にはどうか。やっぱりかなわないんだな。  やれやれ。


【 本当に、「ニキリンコ」「泉流星」が、あんなに、知性のカケラも無いのに、世渡りだけは、本当に、天才的だ。

 あれだけ世渡りに長けているんだから、何も自閉症の演技をしなくても良さそうなんだけど、

 ? あれっ? ああ、そうか。 世渡りに長けているから、自閉症の振りをして、商売して、儲けてるのか。


 公開質問状を佐賀それいゆと、JDDネット、田中康雄先生に送ったけど、1ヶ月たっても、何の回答も無い。

 何方か、「ヒト」の世界の常識を知っている方。どうやったら、回答を貰えるか、その「手段」を教えて下さい。 】


(特捜部見てね)


2008/6/13(金)のブログ    復元記事

2009-11-27 10:10:58

見えるか (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

見えない自閉症をどうやって見るか。此には、みんながトライしているらしく、妻が寄稿した、「自閉症と発達障害研究の進歩」 と言う本に、映画を見て、自閉症者が何所を見ているかを参考にして、自閉症を見ようとしている。此に使われた映画が、余りに古すぎて、古い研究なのかと今見たら、なんと2002年の発表論文らしい。もう少し、新しい映画を使って欲しかったけど。


確かに、最近は瞳の動きをモニターするにも、昔より遙かに安く軽くなっているから、子供にこれを付けてテストすれば、かなりの確度で、自閉症児をすくい上げる事が出来ると思う。


特に、私の妻は、知能が高いが、本当の受動型の本物だから、社会性が無くとも、与えられた、見かけ上の社会性は、簡単にその場でコピー(エコラリア)してしまう。


このエコラリアを拡大解釈して、「演じる」とされると、ニキリンコ、泉流星の「演技性人格障害」と区別が付かなくなる。

殆どの、さほど自閉症に興味のない精神科医は、この事を見逃して、今でも「ニキリンコさん、泉流星さんは自閉症です」

なんて、素っ頓狂な事を言っている「らしい」が、この辺は「非自閉症」の人間には、分からない事なのかもしれない。


何故「非自閉症」であることが、自閉症を見抜けない事と関係あるのか。これは、また明日。


【 この頃は、多くのインターネット上の情報から、「精神科医」を生業にしている人が、「ニキリンコ、泉流星」を肯定しているかの様に書いたが、そもそも、そのインターネット上の記述が本当かどうかが、怪しい。

 確かに、「ニキリンコ、泉流星」を、商売上肯定しなければならない人達が居るのは事実だが、逆に「自閉症の専門家」を売り物にして居る人の方が、「ニキリンコ、泉流星」を無条件で、自閉症に仕立て上げていた事が、

だんだん分かってきた。   私は、現在、普通の病院の精神科に通っているが、精神科の先生は「ニキリンコや、泉流星」なんか知らないし、自閉症の代表としても見ていない。    それの方が、大勢なのかもしれない。】


(特捜部見てね)


2008/6/12(木)のブログ    復元記事

2009-11-26 08:21:16

見えない話 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

自閉症とは、どんなものか。巷で流れている話は、実は自閉症の症例では無い。

みんなが、自閉症の例だと思っている話は、実は知能の部分しか見ていない。

昔、自閉症が、知能が低い障害だと思われていた頃には、その知能が低い部分を。

サバンが見つかり、知能が高いと言い出せば、その高い知能の部分しか見ていない。


だから、巷の意見をパクって、ニキリンコが演技をすれば、その知能の低い部分を演技し、しかし、実生活では、翻訳家として自立し、人並み以上に稼ぎ、結婚もしているという、珍妙な生物が出来上がる。


自閉症は、「SAMの欠陥」があり、SAMと関係があるのか、「中枢性の統合の欠陥」がある障害なのだ。殆どの人が本質を見逃している。


しかし、「SAMの欠陥」は、知能が高い自閉症であれば、学習し、社会に溶け込もうと努力し、一見分からない様に、ニセモノ、擬似的なSAMを作り上げ、あたかも、SAMがあるかの様に振る舞う。

「中枢性の統合の欠陥」があっても、非自閉症でありながら、統合が壊れる「統合失調症」になれば、「中枢性の統合の欠陥」の部分は、自閉症も、非自閉症も同じになる。


つまり、「自閉症そのもの」は、見えていない。見えない症例なんだ。それらの、複合的現象をあれこれ言っているだけで、これは未来永劫見えないのかもしれない。

もっと分かり易く言えば、バセドー病になると、目が出てくる。自閉症に例えると、その目の出方、角度、色、その他ばかりを、殊更に取り上げ、大騒ぎしているだけだ。

いくら、目の出方を世界中の人が議論した所で、肝心のバセドー病は治らず、悪くなる一方。悪くなる様子を見て、また、悪くなる様子を議論する。

自閉症、アスペルガー症候群の子供達を取り巻く状況は、そんな状態だ。


一番の問題は、生きていく事だ。幸せなら、多摩川土手で一人で暮らすのも良い。   生きていくのはややっこしいもんだ。


【 この頃は未だ、自閉症の子が大人になる途中で、家を脱走するモノだと考えていた。 だから、近所の子にしても、何時脱走するか、それが本当に心配だった。 ところが、最近になってようやく分かったが、カナー型の子供だからと言って、皆が脱走する訳じゃない。(遠出は別)脱走するには、脱走する理由があるんだな。

 私が知る、カナー型の子供達の家庭は、皆暖かい家庭だから、誰も脱走しない。   】


(特捜部見てね)


2008/6/11(水)のブログ    復元記事

2009-11-25 10:09:29

おへんじ ハイ!

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

「ミヨちゃん」 「ハイッ!」 「ミヨちゃんの返事は、何時も『ハイッ!』って、ホンマ気持ちぇぇなぁ」


私が妻に、「ホント、はい、と言う事が無いんだから」と言うと、妻が必ず想い出し口にする、昔の上司の口癖だ。

一方では、「はい」と言う事が無い、本当にやっかいな人間、ところが、もう一方では、何でも「ハイ」と答える人間。

気分で使い分けている訳では無い。表面的な、字面だけを捉えると、ただの矛盾でしかない。しかし、其所には、矛盾無く、一人の人間の中に存在して居て、矛盾無く、理論的に捉えられる事柄なのだ。


「なんでコーヒー入れてくれないんだよ」「だって、昨日もうコーヒーは要らないって言ったじゃない」「・・・・」

「あれっ?紅茶は?コーヒーなんか要らないのに」「だって、昨日コーヒー飲みたいって言ったじゃない」「・・・・」

妻は、とにかく「はい」と言う事が無い。本当は「・・・・」の先は、延々、お互い理由について言い合う事になる。

その結果、「本当に、オマエは、はい、と言う事が無いな」「ハイ!はいはいはいはいはい、ハイ!」


「ぁっ、紅茶がない」・・・・・「紅茶入ったよ」「うわー、ありがとう。紅茶入れてくれたんだ」「だって、入れろって言ったじゃない」

「ああ、かりんとうが無い」  ・・・「かりんとう買ってきたよ」「ぇえっ?買ってきてくれたんだ。サンキュー!」

「はい。納品書」 ・・・「出してきたよ」「えー、もう出してきたんだ。早いねー」


私も妻も、「オマエは、はいと言う事が無い」と耳にタコが出来る程、言われ続けてきた。

そう言われていたから、私達は、誰かに何かを頼まれると、「ハイ」と答え、何でもやってきた。それこそ、滅私奉公、自分自身をすり減らし、鬱病になる程働いた。毎日11時迄残業していた妻は、「なんで私にばっかり仕事を押しつけるの?」時に、泣きながら、しかし、仕事を続けた。


「ハイ」と返事をして仕事をする様に、社会性を押しつけたのは貴方達じゃないか。それなのに、「あの人は、はいと言う事が無い」と評価し、馘首する。


世の中の矛盾と、「自閉症、アスペルガー症候群」の特徴が見えてきたのは、本当に最近の事だ。

なんちゃってアスペ、何十人集めて、遊んでいる連中には、この真実を見る事は出来ないだろう。


【 百聞は一見に如かず  家族が本当の自閉症である人には、今日の文章は分かると思う。 くどい説明は止めた。】


(特捜部見てね)

2009-11-24 08:08:08

中枢性の統合 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

「はい」    はい、と直ぐ言えないのは、「中枢性の統合の欠陥」に由来する。「中枢性の統合に欠陥」が有る為、直ぐ概念化出来ない為、簡単に「同一」だと考えられない。


例えば、「今の気持ちは、・**・と言う事ですね」と言われた時に、非自閉症の場合には、自分の気持ちと、相手が言った事と、概念として同一と、瞬時に、0.00?秒の早さで、判断し返答するのだ。

ところが、自閉症の場合は、「中枢性の統合に欠陥」があるので、簡単には概念化出来ないから、「えーと、それとはちょっと違って、****・・」とか、「そうじゃなくて、***・・・」とか、「さあ、・・・・」と言う様な反応になる。

此が、人間社会のコミュニケーションに於いては、殆どの人間がじれったくなって、「もう、いい!」と怒り出すんだよね。

これは、我々自閉症だって、こんな返事を聞けば、同じ反応をする。自閉症だから、自閉症の返答の仕方を、許容出来る訳じゃない。


逆に「あいつ、自分ではハイ、と言う事が無いくせに、人にはやたらに厳しいんだな」って事になりがちなんだ。

テレビのインタビューを見て、返事の仕方に腹を立てる。

それは、まるで自分を見ている様で、自分に腹を立てているのかも知れない。   人間って分からないモンなんだよ。


【 とにかく、ハイと言う事が無い。 これは、自閉症と一緒に暮らしていると、切実であるはずだ。 ところが、一見の人は分からない。

 特に、「自意識過剰」「自己愛過剰」な人も、やたらと「はい」と言わない人だ。此奴らがやっかいで、仕事も出来ず、能力が極端に低いのに、自己評価はやたらと高いから、時々場違いな職場に紛れ込んだりする。

 その上、「はい」と言わないんだよな。「言い訳」ばっかり。

 表面だけなぞると、私と一見似るから、本当に不快。  さらに、インターネット上には、なんちゃってアスペで登場する。  嫌な世の中だ。 】


(特捜部見てね)


2008/5/30(金)のブログ    復元記事


コメント:

わはは~、ここまでくると笑うしかないですね、確かに。

                                         【投稿者 さかい :2008年5月30日(金)14:30】

2009-11-23 09:08:17

もやもや (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

非自閉症は、中枢性の統合が強く、概念化がしっかりしてるから、簡単に「好き」「嫌い」に区別出来る。だからこそ、「好き」か「嫌い」かで判断する。


自閉症の子供が同じ事を繰り返すんです。        「ああ、それは、その事が好きなんでしょう」

自閉症児がどうしても部屋の中に入りたがりません。  「ああ、それは、入るのが嫌なんでしょう」


思い返して欲しい。一体何万回この手の回答を聞いてきたか。そして、如何に、役に立たない回答であったか。


私が子供の頃、悩んでいたのは、私の心の中の「もやもや」だったんだろうか。

「もやもや」は、頭から離れる事が無く「もやもや」している。

「もやもや」している間は、ずっと「もやもや」を考えている。

「もやもや」を考えていても、ちっとも何かが解決する事は無い。何時迄も「もやもや」しているだけだ。

「もやもや」があると、くたびれてすぐ眠くなる。朝も眠い。昼も眠い。

大人になって、「もやもや」は消えたか? 少しは減ったかもしれないが、消えはしない。        「もやもや」


【 何かと「好き」か「嫌い」に分けたがる「世間」。 簡単に好き嫌いに分けられるのも不思議だったが、それにやたらと「こだわる」のも不思議だった。  今になって考えると、「ヒト」が「ヒト」として生きる為には、最も重要なことなのかも知れない。 その最も重要な事すら満足に分けられないんだから、世の中から疎まれるのも止む無しか。】


(特捜部見てね)


2008/5/18(日)のブログ    復元記事


コメント:

わたしは「もやもや」を、「困っている状態」とか「どんより」と自分では表現していました。

この状態を他社に伝えるとなると、全く役に立たない表現ですが・・・

わたしは非常にしっかりしており、いつでもしゃきっと見えるらしいです。本当は頭の中はもやもやしている事が多くてなんとなく困っているような状態なのですが。

非自閉症の人々は、観察力があまりないようです。

もやもやは大人になっても消えません、全然。

                                           【投稿者 笛 :2008年5月20日(火)16:57】

2009-11-22 16:12:45

共感 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

では、私達夫婦は共感しないか。そう言う話じゃない。しかし、本当の?意味としての共感では無いのかもしれない。

アスペルガー症候群の子供達と話していてもそうだったが、何かの話をすると、私も私もと話が続く。

しかし、話す内容は別々の話だ。


例えば、移動のバスに乗り遅れそうになって、必死にバスを追いかけた話には、教室で居眠りをしていたら、気付いたら誰も居無くて、授業が始まって10分以上経っていた。なんて話が続く。

これは、話の内容の共通性を話している訳じゃなく、その時感じたであろう挫折感というか、自分への嫌悪感というか、何とも言えない感じだけど、恐らく同じ様な感じだったと思える、エピソードを話すんだ。

これは、そんなルールを決めた訳では無いのに、皆同じルールで、色んなエピソードの出し合いになった。この時は本当に楽しかった。

私達夫婦以外に、同じ様な捉え方、同じ様な反応、同じ様な話の組み立て。仲間がこんな所に居たのかという安堵感。


私達夫婦の話も、いつもこんな感じでエピソードの出し合いだ。つまり、現実にあったエピソード無しに、共感は無いんじゃないかな。

此所が、非自閉症と最も違う所で、非自閉症はすぐに「相手の気持ち」を考える。これは、自分の気持ちが分かるという「SAM」と、気持ちを概念化する事が出来る「中枢性の統合」無くしては、出来ないのである。


私達夫婦は、「同じ感じたしたであろうエピソード」を出し合い、内容を聞いた上で、初めて共感出来る。

ちょっと字足らずだが、今の所こんな風な言い方しか出来ない。


【 「SAM」なんだよー。 「中枢性の統合」なんだよー。 行き着く所は、この二つになってしまった。

 しかし、日本の研究者で、この言葉に注目して、体系的に説明してくれる研究者は皆無だよね。

 海外の翻訳本を読むと、結局これに行き着くんだよな。 学生や、現場の人は、日本のガイドブックだけではなく、

 海外の翻訳本 を、読んで下さい。 おねがいしますぅーーー。 おねがいしますぅーーー。 】


(特捜部見てね)


2008/4/5(土)のブログ    復元記事


コメント:

あ、今もう一度これ読んで思い返したんですが、前友人に会話とは

「Aの話をする→その後その話に即した共通の話題を話す」

のであってあんたはすぐ自分の話にもっていく、といわれましたが、自分ではその内容に即した返事をしているつもりだったので怒られた意味がわからなかったですよね。


で、自分の話を誰かにしたとき、特に女の子が簡単に「あーわかるわかるー」

って相槌打つと

「あんた本当に分かっているの?」

って思っていたけど、それって体験をシェアする共感の仕方か、感情をシェアする共感の仕方か、の差だったんですね。

両方必要だけど、体験のみだと食い違ってくる場合がありますね。

                                          【投稿者 さかい :2008年4月6日(日)00:33】

今回の記事と、さかいさんも書かれている

>「Aの話をする→その後その話に即した共通の話題を話す」

のであってあんたはすぐ自分の話にもっていく、といわれましたが、自分ではその内容に即した返事をしているつもりだった

・・・を読んで、私の会話が成り立たないと言われる意味がわかりました。

いつも「同じ気持ちを感じた話をしているんだから関連しているじゃん!」と訴えて来ましたが、他の人は違った受け答えをしているんですね。

                                        【投稿者 さるたこ :2008年4月11日(金)00:45】

2009-11-21 10:24:55

生まれついての審判員 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

私は、自閉症の事を詳しく知る前から、「知能の高い自閉症」の事を、「生まれついての審判員」と言っていた。

私自身の事もあるが、妻の行動を観察していて、その「フェア」な態度を見て、そう言っていたのである。


今になって分かった事は、非自閉症は、物事を理解する時は、すべて物事を概念化し、さらに、「中枢性の統合の働き」によって、人間関係や、地位、色々な立場や、時期、ありとあらゆる事柄が、物事の判断基準に、無意識下に、しかし、強力にくっついてくる事が分かった。

だから、体育の授業程度の、スポーツでも、判定が遅れたり、曖昧な判定をしたり、或いは、審判と言う行為自体を避ける。


一方、自閉症(アスペルガー症候群)は、「中枢性の統合」に欠陥があり、一応考慮しなければならない、しがらみや、配慮など、全くスポーツには「統合」せず、純粋に、その競技のルールにのみ縛られる。

それ以外の、力関係とか、思惑とか、関係のありようが無いんだね。


これは、会社に入り、社会生活を始めると、すぐ現れる。会社の中で、最も上司に疎まれ、窓際に追いやられている人と、すぐ仲良くなったり、掃除のおじさんと知り合いだったり、かといって、上司となる会社幹部でも、平気で口を利く。全く妙な存在なのだ。

それは、「独立系」とでも言う、何所にも属さない立場を作り出すから、いい時は便利がられるが、一旦裏目に出ると、社内で弁護してくれる人は、誰も居無くなる。

私の妻は、まさしくそのもので、それでクビになった。正真正銘、本物の「馘首」だ。


この特性を考えると、学校の成績が良い、アスペルガー症候群の少年少女には、裁判官や、国立大学を優秀な成績で卒業し、高級官僚を目指して欲しい。

裁判官は、法に則った正義を追求する事だから、その特性を十分生かせるし、官僚こそ、何にも惑わされず、正しい事を目指す必要があるからだ。

間違っても、弁護士は止めた方がいい。弁護士は、自営業で喰わなければいけないし、受けた仕事は、例え不正に繋がる事実でも、「弁護」の為の正義を行うからだ。

その正義は、相手側からすれば、とての正義とは思えない事でも、顧客の立場を有利に持ち込むのが弁護士。

弁護士の仕事は、物凄く社会性が高くなければ、出来ない仕事なのだ。


でも、こんな話は年寄りのお節介で、若者には、間違いなく、時間という可能性が残っている。

アスペルガー症候群の若者よ。みんな、目の前の興味がある事を、力一杯やってみよう。そうすれば、やがて道が開ける。


【 ルールに厳しいのは、自閉症の特徴だと、私は考えている。 時に、自分に不利になる事でも、ルールに従う。これが、自閉症の自閉症らしさなんだ。

 インターネット上の書き込みを見ていると、知能の高低問わず、99%は、会話の流れに迎合し、同調し、社会性に富んでいる。

 いちいち細かい事を指摘せず、観察してきたが、私が、ほとんどが「ニセアスペ」と言うのは、其所にある。

 見るに見かねて、その出自を尋ねると、100%誤魔化して、答えられない。

 稀に、「これは」と思い、確認すると、「これは」と言う人は、言わなくても良い事まで、正直に話す。 全く違うのだ。】


(特捜部見てね)


2008/3/9(日)のブログ    復元記事

2009-11-20 10:46:38

事実文 (復元記事)

テーマ:中枢性の統合(セントラルコヒーレンス)

事実文と簡単に言うけれど、非自閉症の人間には、逆に事実文を書く事が難しい様だ。

非自閉症の場合、すべて自動的に、物事が概念化されて仕舞う為に、どうしても文章に概念が入り込んでしまう。

それを取り除くには、意図的に、知能を使って取り除かなければ成らない様だ。

ニキリンコの様に、「事実文」の意味自体を取り違えるバカも居る位だからね。

ここで、事実文の定義については、言わない。皆さん、自分で考えてね。


事実文の代表と言えば、新聞などに見る報道文だ。しかし、非自閉症が事実文を書くのが苦手というのは、新聞報道を読んでいると、実によく分かる。

記事の文章は様々で、読みやすい文、読みにくい文、結局何が書いているか意味不明な文。やはり、事実をきちんと伝えているのは、ベテランに依る記事だ。


テレビなどの報道についても言える。瞬時に求められるコメントにも、概念を言うのではなく、事実を言う。

これは、卓越した知能と知識、訓練の賜物なんだろう。


そう考えると、木村太郎と櫻井よしこは、どれ程の知能の持ち主なんだろうか。

私が、報道者として信じるのは、この二人だ。(浜 矩子も凄いけどね)


【 佐賀それいゆの服巻智子さんに、この写真 を見て貰い、二人は同一人物じゃなあい?と聞いたら、鼻が全く違う。ほくろもたまたま同じ様な所にあるだけで、別人だ。大体歯並びが全然違う。と言われた。

 さすがの私も、この写真や、NHKに出演した時のビデオ画像だけでは、歯並びまでは判別出来なかった。

 服巻智子さんは、こんな少ない情報から、歯並びまで見抜くんだから、エスパーなんだろうか。


 一方、その後、この写真 を送り、この髪の毛の生え方、体つき、全体の雰囲気、どう見ても他人ではないかと聞くと、何にも答えてくれない。エスパー並みの判別能力の服巻智子さんなら、一目で分かるはずなんだけど。


非自閉症の人の考える事は、本当に分からない。社会常識って、非自閉症の人たちが作ってるんじゃないの?】


(特捜部見てね)


2008/3/8(土)のブログ    復元記事

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