「そのためには市の教育委員会に調査委員会を作ってもらい、そこから学校に調査を依頼し謝罪を求めるようにお願いしたらどうですか」
弁護士の助言により、和子は調査委員会の設置を求めるため、それまで電話をかけてきたり、弔問に来てくれた同級生らの証言を、ノートに書き留め始めたのだった。
「3月31日の朝刊の北九州市職員異動欄に田中先生の名前が載っているわよ」
友人からの電話に、新聞を開いた和子は目を疑った。事件から15日後、田中教諭は教員の職を辞していたのである。これで田中教諭の口から直接、事実を説明される機会が失われるのではないか。不安とも無念ともつかない思いで、体の震えがしばらく止まらなかった。
田中教諭の辞職翌日にあたる4月1日。校長、教頭、田中「元」教諭が「それまで調査した結果」の事情説明に来た日のことは、それから続く学校との長い闘いの中でも、とくに鮮明に覚えている。
和子 今回の結果を学校側としてどう説明されるのですか。
校長 あくまで教育的指導範囲での出来事だと思っています。
和子 3月16日の夕方5時過ぎ学校に電話をしたとき(田中先生は)匠が女の子を叩いたと言いましたね。これまでも片方の言うことばかりを聞いて匠を叱っていたんですか。
田中(事件直後の)電話でそんなことは言っていません。(匠だけを)叱っていたということはありません。
和子 その日の学校でのことを5年3組の児童たちに聞くと、匠を叱った後、匠の胸ぐらを掴んで持ち上げ、一度逃げようとした匠を引きずったらしいですね。
校長 そんなことはない。そんなことはない。襟元をつかんで揺すったのも教育的指導だと考えている。