第3回
3 噂
匠の担任をしていた田中教諭は1955年生まれの50歳(事件当時)。教員歴27年の大ベテランである。身長160センチほどの細身、神経質で厳格そうな女性教諭といった趣だ。国立福岡教育大学を卒業後、教員生活をスタートさせた。後にこの事件の裁判で田中教諭が提出した陳述書では、教員になった動機をこう述べている。
「私はもともと何か資格を持って働きたいという思いがあり、子供と接することが好きだったことや周りから勧められたこともあって教員になろうと思いました。また、教育大に入学し、大学での実習や家庭教師のアルバイトをする中で、細かい対応等の大変さはあるけれども、子供に親しみを持って接することができる小学校の教師を志望することになりました」
田中教諭が前任校から青葉小学校に赴任してきたのは事件の前年にあたる05年4月1日。赴任して最初に受け持ったのが永井匠のいる5年3組だった。
匠の葬儀があった3月19日、和子ら遺族は、田中教諭について気になる噂を耳にした。葬儀には匠がキャプテンをしていた地域のバレーボールチームの仲間もたくさん来ていた。そのなかには、田中教諭が前任校で受け持った児童たちもいた。そのうちの一人の児童が、焼香する田中教諭の姿を見て、やはり同じ学校に通う児童に向かって、
「あの先生、叩く先生や」
と囁いたのだ。
和子は焼香を終えたその二人の児童を呼び寄せた。
「田中先生は鬼のような顔をしてすぐに叩くので怖い。学校でも体罰で有名な先生やった」
4月から4年生になるという二人は声を揃えて、そう言った。息子の担任が前の学校でも体罰教師として児童から恐れられていたことを、和子は初めて知ったのだった。