弔問客たちがいなくなり、和子は匠の部屋に入り、机の引き出しを開けた。棺に入れる遺品を探すつもりだった。表紙に「ミッキーマウス学習帳」とある漢字練習ノート。漢字が苦手な息子に、和子が一日ひとつずつでいいから漢字練習をしなさいと渡したものだ。表紙をめくると、その裏には、
「田中しね」
と鉛筆で書かれ、はさみで切り込みが入れてあった。和子は息子の田中教諭への憎しみはここまで強かったのかと、気付かずにいた自分を責めた。あのとき、もっとちゃんと話をしていれば—。
06年1月25日、匠が学校から帰ってきたのは普段より1時間も早い3時半頃だった。赤いトレーナーのフードをすっぽり被って、息子は泣きながら、
「学校辞めたい。辞めれんの。田中が叩くけ、もう行きたくない」
と訴えた。フードをめくり顔を覗き込むと、頬には平手で殴られたと思われる跡があった。
「仲の良いO君と口喧嘩をして、O君の話はちゃんと聞いてあげてるのに、自分がしゃべろうとしたら、すぐに先生が叩く。もう学校に行きたくない」
もちろん自分の息子の言い分だけを聞くわけにはいかない。話を聞き終えた和子は、田中教諭に電話を入れた。
「先生、匠を叩いたんですか。お友達の話は聞くのに、息子が話そうとしたら叩かれたと言っています。なぜ、叩かないといけないんですか。二度と叩かないでください。それから、何かあったらこちらに連絡してください」
確かに息子の頬の跡を見て、冷静さを欠いていたかもしれない。和子の剣幕に押されたのだろう。田中教諭は「わかりました。すみません」と答えただけだった。
あれから2ヵ月足らず、息子は担任への呪詛の言葉を残し、自ら命を絶つまでに追い込まれていた。あのとき、話をもっと聞いていれば、田中教諭とじっくり話し合っていれば、息子は死なずに済んだのではないか。
つづく