心臓マッサージが続けられ、AED(自動体外式除細動器)による電気ショックが加えられる。泣き叫ぶ和子は、医師からICUを出るよう命じられ、1階ロビーで待機するしかなかった。
06年3月16日午後6時10分、永井匠の死亡が確認された。
校長が病院のロビーに顔を見せたのは匠の死亡が確認された1時間後だった。担任の田中教諭の姿はなかった。なぜ担任が来ないのかと聞く和子に、校長は言った。
「田中先生は憔悴しきっていて、来られる状態ではありません。それより、お母さん、匠君は大変なことをしたんです。耳の悪い女の子の頭を、箒の柄で叩いた。これは大変なことです。マスコミが駆けつけますよ」
和子が学校の対応について最初に不信感を持ったのは、思えば校長のこの言葉がきっかけだったかもしれない。
2 不信
匠の亡骸とともに自宅に戻ると近所の人たちや友人、親類が集まっていた。居間に布団を敷いて匠を寝かせると、皆が取り囲み、部屋中にすすり泣きが広がった。混乱し動揺する頭の中で、和子は息子の顔を見ながら〈匠はすぐに「おかん」と言いながら起き上がってくる。それまでに田中先生から何があったのか聞かなくてはならない〉、そればかり考えていた。そして、訃報を聞きつけてやってくる人たちに誰彼構わず尋ねた。
「ねぇ、田中先生を呼んで。まだ来んの?」
夫の昭浩が息子の異変を聞き、出張先の宮崎から車を飛ばして自宅に到着したのは午後10時少し前だった。最悪の結果は運転中に聞いた。車の中で何度も「なぜ匠が」と自問したが、思い当たることはなかった。
昭浩の帰宅から30分と経たない頃、校長と教頭が永井家を訪れた。和子は涙で嗄れた声を絞り出すように尋ねた。