由美子は毎日、車で5分ほどの和子の自宅兼事務所まで通い、朝9時から夕方5時頃まで働く。そのまま和子や匠たちと夕飯を囲むこともあった。匠たちは由美子を慕い、由美子も自分の二人の子どもと同じように匠たちを可愛がった。
あの日、仕事が早く片付いた由美子は、和子と二人で近くのスーパーに買い物に行き、和子を送っていったん事務所に戻った後、子どもを保育園に迎えに行った。午後4時半頃のことだ。
しばらく車を走らせると、由美子の携帯電話が鳴った。和子からだった。事務所を出てまだ5分も経っていない。何か忘れ物でもしただろうか、と思って通話ボタンを押す。
「匠が首を吊った!」
悲鳴のように繰り返す和子に落ち着くように言い、すぐに警察に電話した。そして、再び和子に電話して救急車を呼んだことを確認すると、由美子は夢中でいま来たばかりの道を引き返した。
買い物から帰った和子が自宅の玄関ドアを開けたとき、最初に目に入ったのは、匠の靴だ。居間にはランドセルも置いてある。息子の名前を呼びながら匠の部屋を開けた和子は、一瞬信じがたい光景に目を見張った。息子が、天井に付けられた電灯に犬用のリードをかけ、首を吊っていたのである。
和子は、とっさに匠の足を持ち上げ、首にかかったリードが緩むようにし、そのままの格好で、2階にいる長女を呼んだ。普段なら自宅で仕事をしている夫の昭浩は、前日から宮崎に出張で留守にしていた。中学の卒業式を終えたばかりの長女は、その日、風邪を引いて自分の部屋で寝ていた。
母親の声に慌てて駆け降りてきた娘は、必死で弟の足を持ち上げる母親の姿を見て、「外しーっ!」と叫ぶと、自ら椅子に上がり、リードを外した。二人で抱えるようにして、匠をベッドに寝かせた。
電話を受けて引き返してきた由美子は、匠の部屋から母娘の叫び声を聞いて、部屋に駆け込んだ。救急車が到着したのはその直後だった。
救急隊員による応急処置が続いている間、和子は混乱する頭のなかで、なぜ息子は自殺を図ったのだろうかと思った。ジュニアバレーボールチームのキャプテンを務める匠が、学校でいじめられていたという話は聞いたことがない。家庭でも問題になるようなことは起きていないはずだ。そして、ふと今年1月に匠が学校から泣いて帰ってきたことを思い出した。
つづく