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教育現場レポート
暗黒教室

須賀康

私はこれまで学校でのいじめや体罰による自殺をテーマに数多くの取材を続けてきた。だが、いじめや体罰と自殺との因果関係の立証が困難なことから、裁判を起こして事実関係を争うことを断念する遺族は多い。その中で、永井匠の自殺を巡る裁判は、裁判所が教諭の体罰を認め、さらに体罰と自殺との因果関係をはっきりと認める極めてまれな判決だったのである。
病と向き合いながら学校、教育委員会を相手に勝訴した母親の1296日に及ぶ闘いの日々を追った。

1 事件

永井和子の家族が住む北九州市若松区青葉台は、1970年代前半までは北九州を代表する大河、遠賀川を望む丘陵地だった。1989年から「高須青葉台ニュータウン」として整備開発され、公営住宅や庭付きの戸建て高級住宅が並ぶ新興の住宅地となっていた。

北九州市内の地元の高校を卒業後、歯科医に助手として勤めていた和子が、夫の昭浩(48歳)と知り合ったのは1981年の10月。和子の幼馴染のボーイフレンドが連れて来た友人ら10人と、直方近くのスケート場に遊びに行ったのだが、その中の一人が昭浩だった。二人は半年後の1982年4月に、まだ早いという両家の両親の反対を押し切り20歳で結婚した。昭浩は建設業の溶接の仕事を始め、結婚5年目には従業員50人を抱えて独立した。

次男の匠が生まれたのは1994年7月19日。夏の暑い盛りだった。ひと回り年の離れた長男と4つ違いの姉。和子は33歳になっていた。近所の借家から現在の自宅に引っ越してきたのは匠が2歳のときだ。末っ子の匠は、幼少の頃から身体が弱く、肺炎を起こして何度か入院した。匠の身体を強くするため、親子でよくプールに通い、健康にいいと考えて、一年のほとんどを上半身裸で過ごす幼稚園に入園させた。

青葉小学校に入学してからも、両親の子育ての方針は体力をつけることを基本として、匠は1年生のときからプールのほかにジュニアサッカー、バレーボールに通った。なかでもバレーボールは上達が早く、2年生で試合に出るようになり、3年生からはレギュラー、5年生の1月にはキャプテンにも指名された。

とっさに足を持ち上げた

事件当日の06年3月16日、青葉小学校は翌日の本番を前に卒業式の予行演習が予定されていた。和子は匠が前夜から歯痛を訴えていたため、小学校に行く前に近所の歯医者に連れて行った。それ以外は、いつもと変わらない朝だった。自宅前の山桜の大木には、淡いピンクの蕾がほころび始めていた。

歯医者で治療を終え匠を学校に送ったのは午前11時頃。自宅に戻ってきたのは12時少し前だ。普段、和子は夫の会社の経理事務を、夫の妹である田丸由美子と二人で任せられていた。

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    須賀康須賀康
    (すが・やすし)
    1950年生まれ。政治・経済、医療分野などで幅広く「人と組織」の問題をテーマに取材活動を続ける。この10年間は特に少年犯罪、学校でのいじめによる自殺について、週刊誌・月刊誌などで多くの原稿を発表している。

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