「でも大丈夫です。義姉はお会いしたいと思っているはずです。うまく話せないかも知れませんが、ゆっくり聞いてあげてください」
JR博多駅から鹿児島本線で小倉方面へ約1時間の黒崎駅。北九州地域の基幹病院である九州厚生年金病院の南病棟407号室に永井和子はいた。
ナースステーションの前の4人部屋。入院患者は和子だけのようだった。黒いトレーナーを着て、ベッドの背もたれを少し起こした状態で、窓の外に連なる山並みを見つめていた。ベッドの脇のキャリアには、透明な液体の入ったビニールパックが二つ下げられており、そこから2本の管が和子の体に伸びている。体調が思わしくないのは明らかだった。私の足音に気付き、振り向いた和子の声はやはり、1週間前の電話より弱々しかった。
「眠気で少し頭がふらふらしてるんです。これ、モルヒネの点滴なんですよ」
鎖骨に差し込まれている点滴の管を指差しながら言った。そして、かける言葉を見つけられずにいた私に、自らを鼓舞するように告げたのだった。
「大丈夫です。私、話したいですから」
ベッドのそばに付き添う義妹の由美子が頷くと、それが合図であったかのように、和子は事件とその後の裁判について、言葉を選びながらゆっくりと話し始めた—。
* * * *
私が福岡県北九州市若松区青葉台の和子の自宅を初めて訪ねたのは2008年7月。雑誌『FRIDAY』に連載していた「少年少女『いじめ自殺』ファイル PART・」の取材だった。和子は、北九州市立青葉小学校5年生の次男・匠(当時11歳)が自殺したのは担任教諭の体罰が原因だとして、北九州市を相手に約8100万円の損害賠償を請求する裁判を起こし、争っていたのである。
そのとき、すでに和子は子宮頸がんの治療で入退院を繰り返し、公判には仮退院の許可をもらい傍聴に通っていた。福岡地裁小倉支部が原告勝訴の判決を下したのは09年10月1日、息子の死から1296日目のことだった。
「担任教諭の行為は社会通念が許す範囲を逸脱する体罰に当たり、違法行為と認められる。自殺の直接的な原因になった」
判決は和子ら遺族の主張を全面的に認めるものだった。