D MITOとDSとWiiのお話
D MITOとDSとWiiのお話
今から7年ほど前だったかと思いますが、とある機会がありまして、私は任天堂さんに提案をしました。
「二画面の携帯機で、タッチパネル式の書き込み可能なゲーム機」
「リモコンに傾き感知センサーを内蔵して、コントローラーとコードでくっ付いたリモコンを持つ、本体を斜めに傾けておけるゲーム機」
「脳科学の専門の教授に監修を依頼して、脳を鍛えるゲームソフト」
これらの提案をさせてもらったところ、その実現にはセンサーバー、またタッチパネルにはどうしてもペンが必要になる、当時は別方式のタッチパネルは高かった、これらが必要という事で、今の形が出来ました。
また、リモコンとコントローラーをコードでくっ付ける案に対し、ヌンチャクという名称を付けたのは任天堂さんの命名です。
そんな訳で、私は任天堂DSとWiiのコンセプトを最初に提案した人だったりします。
いわゆる生みの親という感じです。
ちなみにコンセプトを提案しただけだったので、代金など頂いておりません。
それはそれでどーだろーとか思う時もたまーにありますがw。
それから任天堂さんの社員などでもありません。外部の人です。
(一応任天堂さんにもブログに書きますよと断っておきました。)
おかげさまで脳ゲームブームも含めて、これらがグローバルムーブメントになった事は、提案者としても嬉しく思いますとともに、皆様に感謝申し上げます。
特に今まであまりこの事は話さなかったのですが、もう月日が立つのでそろそろ言ってもいいだろうと考えましたので、書いておきます。
当時、私はゲーム業界について、一つの懸念を抱いておりました。
このままゲームのグラフィックがリアルになっていくと、殺人シーンがとてもリアルになる。
殺人シーンを子供達に快楽情報として幼児記憶として刷り込むのは、問題だ。
そこで、ゲーム機でありながら、勉強できるゲーム機にならないか、と考えたのです。
現代はメディアが数多くありますが、それらはいわば
可視聴時間のシェア
を争っていると言えます。
メディア大競争の時代とは、人の可視聴時間のシェアを争っていると言えます。
それはつまり、人の目と耳、もっと言えば脳に流入する情報に接する機会の奪い合いです。
そしてその争いにおいて、ゲームメディアが快楽情報として殺人などの犯罪行為の履修的行為を代償行為としてヴァーチャル空間であっても行うのは問題と考えるならば、可視聴時間の占有率において、犯罪行為から勉学やスポーツなどにその占有するシェアを振り向けるべきだと考え、ゲーム機の本体自体の大幅な変革を必要とする事に気付き、これらの提案を行ったのです。
DSとWiiのコンセプトは当初奇抜で受け入れられない、などと批判も受けました、しかし今のように、ゲーム機で勉強をするのが当たり前となりました。
ゲーム機で勉強をする、というコンセプトは、今から考えると、皆様は驚かれるかもしれませんが、これらの事は最初の提案時から、WiiとDSは
「ゲーム機の脱暴力化」
というコンセプトとして、セットの提案として同時に出したものです。
まあ、そんな訳で、世界中で両機合わせて1億7千万台以上売れました。
それは、中心となる考え方の
ゲーム機としての哲学
がしっかりしていたからこそですし、優秀な任天堂の皆様の開発販売能力と、買っていただいた皆様のお陰です。
原案者として心よりお礼申し上げます。
今後とも皆様におかれましては、WiiとDSをよろしくお願いします。
そんな私ですが、このブログでは
DIRECT
を記して展開しております。
難解な文章に思われる方も多いでしょうが、読んでいただきますようよろしくお願いします。
以上を持ちまして、自己紹介とさせていただきます
失礼いたしました。
D
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1 ■面白いです
可視聴時間のシェアー争いとは全く言い得て妙です。
この種の内容をドンドンお書き下さい。
但し、内容があるならばですよ(笑