昨年6月、知床を訪れた立松和平さん(右から2人目)=佐野博さん提供
8日に亡くなった作家の立松和平さん(62)は、北海道・知床半島の網走支庁斜里町に別荘を持ち、しばしば訪れては執筆に打ち込んだ。その合間には、地元の住民らと酒を酌み交わし交流も深めた。知床に関する著書やテレビ番組も多く、住民らは突然の訃報(ふほう)に驚き、死を悼んでいる。
立松さんは年に10回ほど、知床に足を運んでいた。その際には1週間から10日間、別荘にこもって執筆を続けた。気さくな人柄に、住民らは「わっぺいさん」と呼んで、親しく付き合っていた。
立松さんが別荘を買って以来、約30年の親交があった同町の会社社長佐野博さん(62)は先月18日、上京した際に病院で見舞った。「早く元気になって」と声をかけると、手を握って離さなかったという。「どんな立場の人に対しても態度を変えなかった。本当に書くことが好きで、仕事はハードだった。うちの3人の子供の仲人もやってくれ、亡くなって非常に残念です」と静かに語った。
また、25年以上の付き合いがあった前同町長の午来昌さんは昨秋、斜里町で会った。「元気に酒を飲んでいたのに。訃報を聞いて驚いている。わっぺいさんは『生きていく上で大切な農業など第1次産業の原風景がなくなっている』と危惧(きぐ)していた。知床が世界自然遺産に登録される際にも側面から支援してくれた」と別れを惜しんだ。
立松さんは、この春に知床を訪れることを楽しみにしていたという。