約7年前の冬、日本原子力学会の研究専門委員会の会合終了後、東大大学院工学研究科の教授と打ち合わせのため、東大本郷へ立ち寄ったところ、偶然にも、安田講堂(定員約1500名)で安藤忠雄教授の退官記念講演が予定されており、開演前、安田講堂前から正門まで数珠つなぎの人並みができており、安藤教授は、講演後、定員オバーで入れなかった約300名に向かって、野外で約30分間の追加講演を行っていましたが、それだけ人々を引き付ける魅力が何なのか、不思議に思ったことがありました。
「建築家安藤忠雄」(新潮社、2008)
2009年6月20-21日の4:00-5:00、NHKFMで、安藤忠雄氏へのインタビューが放送され、インタビューアの質問に応え、安藤氏は、興味深いことを話していました。
要約すると、①子供の頃、大工さんが家を作っている現場を見て、建築というのは面白いと感じた、②高等教育を受けていなかったため、工学部建築学科に通学している友人から使用している教科書を教えてもらい、それらを片っ端読んだところ、ある程度分かるものの、教養が足りないことを痛感、③欧州各国の建築物見学、④帰国後、事務所を構え、仕事のチャンスを待ったが、なかなかなく、それでも、大阪というところはおもしろいところで、何の学歴もなく、何の実績もない若造に仕事を与えてくれた物好きが現れ、大阪だからできたことであり、東京だったら、まず、無理だった、⑤特徴的なコンクリート打ちっぱなし工法は、オリジナルなものではなく、代々木公園の構造物等、多くの例があるが、その工法を独自の哲学で住宅や公共施設に応用した、⑥コンペで採用されたのは、10回応募して1回くらいで、ほとんど落選していたが、それでも、勉強になり、失敗から学ぶようにしてきた、等。
総合すれば、安藤氏は、非常に積極的な人生を歩んできたと解釈できます。
NHKテレビ22:50-23:00の「私の1冊」で、安藤氏は、愛読書として、幸田露伴「五重塔」を挙げ、主人公の五重塔建設に対する考え方、すなわち、「その仕事はオレにしかできず、ぜひ、オレに任せてくれという自信と責任感から学んだ」と語っていました。
安藤氏は、いま、67歳になりますが、少年の目のように、夢を追いかけ、いまなお、キラキラ光っています。安藤氏が、何の学歴がないにもかかわらず、ハーヴァード大客員教授、イェール大客員教授、東大教授に就任できたのは、世界を相手にしたコンペで数十件も採用された実績と世界の建築関係の代表的な賞を十数件も受賞したことです。そこには誰もが認めなければならない客観性があるからです。
東大は、最近、名誉教授の中から、突出した業績を上げた者に特任名誉教授を設けましたが、これまで3名に授与され、そのひとりが安藤氏です。東大は、入学式で、安藤氏にあいさつの機会を与える等、特別扱いしています。東大は、形式的・官僚的だけでなく、安藤氏を特別扱いするだけの柔軟性も備えていることが読み取れます。
私の趣味は、建築学であって、これまで世界の歴史的建築物、さらに、高層ビル等の建設現場や完成した建築物を見学して知識の集積に務めてきましたが、安藤氏の作品や著書等を検討し、やっと、「安藤忠雄論」が書けるようになりました。
安藤忠雄『建築家安藤忠雄』(新潮社、2008)の感想を述べてみたいと思います。「安藤忠雄論」の構想については、先に述べましたが、安藤氏の人生と思想の詳細を把握するために、安藤氏の初めての自伝を熟読してみました。
先に述べたことに、①安藤氏を東大に招聘したのは東大鈴木博之教授(建築史専攻)(232p.)、②安藤氏が設計した東大本郷の福武ホール(赤門と正門の塀ぎわの数十本のクスノキに並列に建設された奥行き約10mで2F2Bの鰻の寝床のような建物)は、20年前に直島プロジェクトの依頼を受けたベネッセコーポレーション(旧福武書店)の福武総一郎元社長からの寄付金によって建設され、人間関係からして、安藤のボランティアによる設計(228p.)であったことを補足しておきます。
この本には、数多くの写真が挿入されていますが、対象が対象だけに、本文との関係で具体的なイメージを作ることができ、理解を助けているように思えます。
安藤氏は、ゲバラの思想に共感し、ゲリラ的建築設計(事務所はゲリラ拠点)をしてきました。情熱家・努力家・勉強家で、野心的な仕事を売り込むのがうまく、関西財界人との人間関係を築き、仕事を拡大して行きました。
安藤氏が建築家として成功したのは、建築への大きな夢、ポジティブ思考、独学精神が高く、大阪という土地柄に助けられ(「大阪では、実績のない若造にも仕事を与えてくれるが、東京ではそうは行かず、東京だったら成功しなかった」と回想しています)、現代社会の不合理面への反逆心が強く、少年のようにキラキラした目(表紙の写真参照)をした永遠に休むことのない努力家という印象を強く受けました。意外と高い建築哲学を持っていることが読み取れます。
安藤氏は、大学ではなく、実務をとおして社会から学ぶ実学派です。「だから、仮に私のキャリアの中に何かを見つけるとしても、それはすぐれた芸術的資質といったものではない。あるとすれば、それは、厳しい現実に直面しても、決してあきらめず、強かに生き抜こうとする、生来のしぶとさなのだと思う」(p.381)。「光と影。それが、40年間建築の世界で生きてきて、その体験から学んだ私なりの人生観である」(p.382)。
安藤氏は、これまでの仕事を体系化・論理化すれば、東大での学位審査に合格できるでしょう。安藤氏は、傑出した建築家にとどまらず、大変優れた哲学者でもあります。大変感銘した一冊でした。