池田信夫 blog

Part 2

September 2006

2006年09月30日 18:13
法/政治

岸信介の影

安倍首相には、いつも祖父、岸信介の影がつきまとう。安倍氏のいう「戦後レジームからの脱却」も、占領軍に押しつけられた憲法を改正しようという岸の路線への回帰だと思われるが、ここにはパラドックスがある。戦後レジームをつくったのは、他ならぬ岸だからである。

岸のキャリアを決定的に決めたのは、満州国である。彼は1936年に、国務院実業部総務司長として満州国に赴任し、東条英機や松岡洋右などとともに、国家統制のもとに重化学工業を中心とするコンツェルンをつくって工業化を進めた。このときの計画経済的な手法の成功体験が、のちの国家総動員法にも生かされる。

岸が思想的にもっとも強い影響を受けたのは、北一輝の国家社会主義であり、「私有財産制には疑問を持っていた」とみずから語っている。彼の建設した満州国の「五族協和」の思想も、大川周明の大アジア主義の影響であり、これが大東亜共栄圏の思想的骨格となった。要するに、岸の本来の思想は、自由経済や親米路線という自民党の党是とは対極にあったのだ。

岸は東条内閣の閣僚として国家総動員体制を指導し、これによって戦後、A級戦犯容疑者となったが、不思議なことに起訴されなかった。この原因には諸説あるが、GHQの諜報部門(G2)がマッカーサー元帥に「岸釈放勧告」を提出したことが確認されており、釈放と引き換えに岸から情報提供を受けるという取引があったとも推定される。だとすれば、日本はアメリカへの「情報提供者」を首相にしたことになる。少なくとも岸がアメリカに屈服したことによって、日本は「自主憲法」を放棄して対米追従に転換したのである。

岸を頂点とする満鉄人脈は、戦後の経済安定本部の中核となった。戦後復興でとられた「傾斜生産方式」は、戦前と同じ総動員体制によって工業化を行う統制経済の手法であり、これが戦後の経済体制の骨格となった。このとき経団連の会長として民間企業をまとめる役割を果たした植村甲午郎も、商工省で岸の腹心だった。戦後復興が終わった後も、この手法は通産省の産業政策に受け継がれ、「日の丸検索エンジン」にみられるように、今も再生産されている。

このように岸のつくった戦後レジームは、戦前の満州国から連続しており、それは日本の官僚機構の基本構造でもある。安倍氏が戦後レジームを否定するとき、念頭にあるのは、サッチャーやレーガンが英米の「福祉国家」を否定して「小さな政府」に舵を切った歴史だと思われるが、日本の戦後を支配してきたのは、ケインズ的な福祉国家ではなく、岸に代表されるマイルドな国家社会主義なのである。それが現在の日本で通用しないことは確かだが、これを脱却する課題は単純ではない。

「押しつけ憲法」を改正しようというのは、本質的な問題ではない。軍事・外交的な自主権をアメリカに奪われている状況は、占領時代と大して変わらないからだ。独自の「自衛軍」を持つという主張も、自衛隊が米軍に組み込まれようとしている現在では、あまり実質的な意味があるとも思われない。いま行き詰まりに逢着しているのは、戦後できた制度ではなく、岸に代表されるように戦前から続く官僚統制の思想なのだ。

だから問題の淵源は、戦後ではなく明治にあり、重要なのは、「憲法は花、行政法は根」という岩倉使節団の結論にもあるように、憲法よりも行政法だろう。この「明治レジーム」の遺伝子は、敗戦によっても断絶せず、「昭和の妖怪」とよばれた岸に象徴されるように、日本の政治経済システムを呪縛し続けてきた。それを変える立場におかれているのが、文字どおり岸の遺伝子を受け継いでいる安倍氏だというのは皮肉である。彼が戦後レジームに代わる新しいレジームを描けず、所信表明ではそれを引っ込めてしまったのも、そのせいではないか。
2006年09月29日 14:18
IT

P2Pと「インフラただ乗り」

Winnyの作者、金子勇氏が、きのうICPFセミナーで講演した。主な内容は、Winnyを初めとするP2Pネットワークの紹介と、彼がいま開発しているSkeedcastの説明だった。ちょうどTVバンクがP2Pでマルチキャストを始めたというニュースも出た。日本でもようやくP2Pの冬の時代が終わり、ビジネスとして認知されるようになったのだろう。

映像をネット配信する場合、加入者線の帯域だけみると、DSLで数十Mbpsあれば、DVD画質の映像(1.5Mbps程度)は十分送れるように思える。しかし実際には、回線費用やサーバの負担を考えると、そうは行かない。TVバンクの中川氏によれば、「通常のユニキャスト方式では100kビット/秒で100万ユーザー,1.5Mビット/秒だと1000ユーザーに同時に配信するのもコスト的に厳しい」。P2Pによって、トラフィックは78%削減できたという。

しかしP2Pのトラフィックが増えると、「インフラただ乗り」論で指弾されるように、P2Pが日本のインターネット全体の半分以上を占めるといった状態が生じる。これを解決する方法は、従量料金(パケット課金)しかないが、そうするとP2Pを使うことはむずかしくなる。ユーザーが使っていなくても、他人が自分のマシンからP2Pでダウンロードしたら、知らないうちに莫大な料金がかかる可能性があるからだ。金子氏は「従量制にしたら、P2Pは死ぬだろう」といっていた。

P2Pをただ乗りと呼ぶのは正しくない。インターネット全体をみると、ほとんどの資源は遊んでいるので、それをP2Pで活用することは効率的だ。つまり、ただ乗りは全体最適という観点からは望ましいのである。パケットに課金すると、使っていない資源の囲い込みが生じて、効率は低下する。この問題を解決するには、従量料金に一定のプライス・キャップを設けるとか、ISP間のピアリングで行われているように、トラフィックを精算して下りから上りを差し引いた分に課金するなどの工夫が必要だろう。

ただ、従量課金そのものがインターネットの発展を阻害するという意見も強い。今後のインターネットの進化の方向として、世界中のコンピュータを並列に結んで、すべてのユーザーが膨大な計算能力とデータベースをもつグリッド・コンピューティングが想定されているが、従量制になると、そういう進化は不可能になるだろう。従量課金はユーザーが資源の消費者だという前提にもとづいているが、実はインターネット・ユーザーはCPUやメモリなどの資源や消費者生成コンテンツの供給者でもあるのだ。

この種の問題のもっとも簡単な解決法は――可能であれば――消費される量を絶対的に上回る資源を用意して、自由に使うことだ。現実にLANではこういう資源管理が行われ、グリッドもローカルには実現しているし、テキストベースのウェブでは、資源に余裕がある。しかしストリーム情報になると、消費される帯域が桁違いに増えるため、このような解決法は困難だろう。あと10年もムーアの法則が続けば、こういう「桃源郷」によって問題が解決するかもしれないが・・・

追記:金子氏の講演資料をICPFのサイトで公開した。
2006年09月28日 01:06

密約―外務省機密漏洩事件

澤地久枝

岩波現代文庫

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1972年に起こった外務省機密漏洩事件についてのルポルタージュ。初版は1978年で、絶版になっていたが、今年、文庫として復刊された。そのきっかけはおそらく、外務省の元アメリカ局長が密約の存在を認めたことだろう。この事件で有罪判決を受け、毎日新聞を辞職した西山太吉氏は「外務省高官などの偽証によって名誉を傷つけられた」として、国家賠償訴訟を起こした。

事件は、最初は沖縄返還にからむ密約を社会党が国会で追及したことに始まる。ところが、そのうち情報源が外務審議官の秘書であることが判明し、西山記者が、それを入手しようとして、秘書と「情を通じて」国家機密の漏洩をそそのかしたとして国家公務員法違反で逮捕され、事件は男女問題のからんだ奇怪な展開になる。結局、最高裁まで争われた結果、被告側が全面的に敗訴した。

この事件は、過去の話ではない。当時追及された土地の原状回復補償費400万ドルだけではなく、核兵器の撤去費用7000万ドルが10倍に水増しされた額で、完全には撤去されていない(今も存在する)ことなど、もっと広範な密約が存在したことがうかがわれる。しかも、このとき沖縄返還を「金で買った」ケースがモデルとなって、「思いやり予算」が今も続いているのである。

これは安倍政権にも重い問題を突きつけている。安倍首相の路線は、基本的には彼の祖父である岸信介を継承し、自民党の結党当時の方針に回帰するものだが、この方針は最初から大きな矛盾を抱え込んでいた。それは一方で占領軍による「押しつけ憲法」の改正を掲げながら、他方では日米安保体制によって全面的にアメリカに依存する軍事同盟を築いてきたからである。これは実質的には、占領体制を延長するものだった。そして、いま進行している米軍の再編によって、自衛隊は米軍の一部として組み込まれる。

つまり日本のナショナリズムは、それと対極にあるはずの「対米従属」と一体になっているのだ。外務省密約事件は、そのねじれの生み出したものだ。沖縄を「無償で返還」させて日本がアメリカと対等な国家として自立するというフィクションをつくるため、国民に対して「金で買った」事実を隠さざるをえなかったのである。この密約は、アメリカには知られていたのだから、外交機密ではなく、国民を欺くための偽装である。西山記者は、まさに日本外交の恥部を暴いたのだ。

これに対する国家の反撃は、すさまじいものだった。法廷で、検察はポルノ顔負けの言葉で下半身問題を追及し、裁判所も「情を通じた」ことが通常の取材手段を逸脱するので、報道の自由は認められないという論理で、西山氏を断罪した。さらに情けないのは、他のメディアも男女関係がからむと腰が引け、肝心の密約の追及が尻すぼみに終わってしまったことだ。政府は、当時の責任者の証言やアメリカの公文書などの明白な証拠が揃った現在も、密約の存在を否定しているが、これは国民を愚弄するものだ。野党もメディアも、安倍政権を追及し、この恥部を洗い出してほしい。
2006年09月27日 16:09

進化するネットワーキング

林紘一郎 湯川抗 田川義博

NTT出版

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林氏の『ネットワーキングの経済学』(1989)の第3版。第1部が旧著の改訂版、第2部がWeb2.0など最近の現象を扱っている。第1部の主要なテーマが「ネットワークの外部性」による「ひとり勝ち」であるのに対して、第2部は「ロングテール」などのニッチな世界をテーマにしているが、両者は実はベキ分布という同じものの表と裏である。そのへんのネットワーク理論のおさらいも、まとめられている。

動きの激しいこの世界で、初版から17年もたって第3版が出るというのは、きわめてまれなことだ。それだけ、著者の着眼に先見性があったということだろう。通信規制の水平分離の考え方も、日本では林氏が初めて提唱したものだ。しかし、日本ではなぜか放送業界が、IT戦略本部の使ったこの言葉に激しく抵抗し、民放連の会長が首相官邸にどなり込むという騒ぎまで演じた。おかげで総務省は、通信設備を利用した放送を規制する法律を「電気通信役務利用放送法」と名づけ、水平分離の代わりに「水平的市場統合」という間違った言葉を使っている。

このところ、飲酒運転事故についてのニュースがやたらに多い。事故ばかりでなく、飲酒運転で検挙されただけで新聞記者や公務員が懲戒免職になるケースが続発している。その発端は、明らかに8月25日の福岡の幼児3人死亡事故である。グーグル・ニュースで「飲酒運転 死亡事故」を検索すると、もっとも古い日付の記事としてこの事故が出てきて、その後1ヶ月で463件もの記事があるが、この前は1件もない。しかも「死亡事故」で検索すると、772件。死亡事故の記事の実に60%が飲酒運転のものだ。

では、飲酒運転による事故はそんなに増えているのか。これについて警察庁の交通事故統計(2005年)は、「飲酒運転による交通事故が大幅に減少した」としている。
原付以上運転者の飲酒運転による交通事故は13,875件(構成率1.6%)で、前年と比較すると、大幅に減少(前年比-1,303件、-8.6%)している。飲酒運転による交通事故は、10年間で約4割の減少(平成7年の0.62倍)となったが、改正道路交通法により飲酒運転に対する罰則等が強化された14年以降の減少が顕著であり、特に酒酔い運転は10年間で約3分の1(同0.35倍)にまで減少するに至っている。




ところが8月末の交通事故統計では、昨年同期に比べて飲酒運転による死亡事故が、たった9件(1.9%)増えたことをもって「飲酒運転による死亡事故は増加」したと発表し、各社はこれを根拠に「飲酒運転死亡事故が増えている」と報じた。要するに、警察庁の取り締まりキャンペーンに都合のいいように操作された数字をそのまま出しているのである。

交通事故は、日常生活で直面する最大のリスクだが、あまりにも日常的であるため、ふだんはニュースにならない。それがちゃんと報じられるのはいいことだが、飲酒運転だけを針小棒大に騒ぎたて、事故も起こしていないのに飲酒運転だけで懲戒免職にするのは異常だ。飲酒運転は、交通事故の最大の原因ではないし、トレンドとしては増えてもいない。交通事故を減らすには、もっと客観的に全体状況を検証する必要がある。サツ回りの記者が警察のキャンペーンに乗らざるをえない事情はわかるが、編集責任者がそういうバイアスを修正し、もっとバランスのとれた報道をしてほしいものだ。

追記:予想どおり「懲戒免職は当然だ」という反発の声が多いが、果たして厳罰化で事故は減らせるのか。この記事でも書いたように、飲酒運転は交通事故の1.6%でしかない。大部分の事故は、意図的な危険運転が原因ではなく、偶然が重なって確率的に起こるのである。事故件数は車の総走行距離に比例するので、根本的な交通事故対策は、大量輸送手段を整備して車を減らすことなのだ。
2006年09月24日 16:52
科学/文化

悲しい嘘

「嘘つき」というのは、社会人としては失格だが、嘘をつくことが許されている職業がある。それは小説家だ。その嘘が許されるのは、事実よりも効果的に人の心を動かすからだ。しかし自分の利益のために他人をだますのは、小説家を自称していても単なる嘘つきである。

日本文芸家協会などのつくる「著作権問題を考える創作者団体協議会」は22日、著作権の保護期間を著作者の死後50年から70年間に延長するよう求める要望書を文化庁に出した。その理由を議長の三田誠広氏はこう語る:
70年が国際的なレベルであり、日本だけ50年なのは、創作者の権利のはく奪だ。延長により作家の創作意欲が高まる。生前作品が売れなくても没後に評価され配偶者や子どもに財産権を残すことが励みになる
三田氏は、本当に自分の死後の保護期間が20年延長されることが「励みになる」のか。彼は1948年生まれだから、日本人男性の平均寿命まで生きるとして、死ぬのは2026年。その50年後は2076年である。彼の風俗小説がその時点で出版されている可能性は低いが、かりに出版されているとして、その著作権が2096年まで延長されても、彼の曾孫(存在するとして)の小遣いが増えるぐらいだろう。それによって三田氏は、本当に「創作意欲が高まる」のだろうか。

この種の主張は、レッシグの闘った「ミッキーマウス訴訟」で、ArrowからFriedmanに至る17人の経済学者の意見書によって完全に論破されたものだ。保護期間を20年延長することによる著作権料の現在価値の増加は1.5%にすぎない。死後の保護期間を延長することで利益を得るのは著作者ではなく、出版社だけだ。著作者は、業者の独占維持の口実に利用されているのである。自分がだまされていることにも気づかず、読者をだまそうとするような嘘つきが、業界団体の代表をつとめる日本の小説業界の精神的な貧しさは悲しい。
2006年09月24日 12:42
IT

迷走するソニー

先週、SCEの久多良木社長は、PS3を発売前に2割値下げすると発表した。これは、もちろん消費者にとってはよいニュースだが、ソニーの株主である私にとっては、また一つ不吉なニュースを聞かされた感じだ。最大の戦略商品の価格決定というのは、こんないい加減なものだったのか。これで初年度1000億円の予定だったPS3の赤字幅がさらにふくらむというが、この「博打」に失敗したら、ソニーの屋台骨が大きく傾くのではないか。株価は5000円を大きく割り込み、年初来安値に近づいている。

そうでなくとも、このところソニーをめぐるニュースは、ろくなものがない。リチウムイオン電池のリコールは600万個を超え、コンポーネント部門の年間の営業利益300億円を吹っ飛ばすと予想されている。PS3も、青色レーザーの不良で、欧州の出荷を来年に延ばすことが決まったばかりだ。このときの「ソニーのものづくりの力が落ちているのではないかと問われれば、今日の時点ではその通りというしかない」という久多良木氏の発言は、NYタイムズの1面を飾った。

関係者の話を聞くと、出井氏が社長になってからの経営戦略の迷走が、士気の低下をまねいているようだ。出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」なるキャッチフレーズを掲げたが、社内の本流はアナログで、彼は社内で浮いていた。出井氏はネットバブルに乗り、情報家電でマイクロソフトと提携すると発表して世界を驚かせたが、社内の反対でこの提携はつぶれてしまった。特にバブル崩壊後は、すっかり社内の信用を失った。

ここで駄目になってしまえば、出直しのチャンスもあったのだが、そこにPS2という「救世主」が出現したため、連結ではなんとか利益が計上でき、抜本的なリストラのチャンスを逃がした。おかげで、ソニーグループの連結子会社は942社。非効率な多角化の代名詞とされる日立グループと並んで日本最多だ。

iPodやiTunesのような事業は、本来ソニーが先に始めてもおかしくなかった。ところがソニーは「ネットワーク・ウォークマン」でも当初、音楽部門の既得権を守るために、MP3をサポートしなかったばかりか、「価格決定権」に固執して、いまだにiTunesに音楽を配信していない。かつて「シナジー」を求めて買収した映画・音楽部門が、かえって足枷になっているのだ。

かつてPS2の発表のとき、久多良木氏は「インターネットには興味がない。オマケで勝負する気はない」と公言した。その思い切りのよさが、PS2の成功の原因だったが、PS3は汎用半導体「セル」を頭脳とし、ブルーレイ・ディスク(BD)などのオマケが満載されている。しかも開発に5000億円を投じたセルには、いまだにPS3以外の用途が見えないし、BDはコストと納期の足を引っ張っている。

要するにソニーも、過去の遺産に呪縛される「イノベーションのジレンマ」に陥っているのである。PS2の成功体験に全面的に依存したPS3は、クリステンセンのいう持続的技術(sustaining technology)の典型だ。久多良木氏は「ゲーム機ではなくスーパーコンピュータだ」というが、家庭でスーパーコンピュータを何に使うのか。

今のソニーで、久多良木氏に反対できる経営者はいないという。たしかに彼は天才かもしれないが、ゲームの専門家にすぎない。かつて久多良木氏がPSで成功したのは、出井氏も含めてほとんどの経営陣が反対する中で、大賀会長(当時)がOKを出し、SCEで好きなようにやらせたからだが、今のソニーにはそういうリスクをとって新しい市場を立ち上げる「暴れ者」がいない。

これから通信と放送の融合が進む中で、コアになるのは家庭の端末だから、ソニーがiPodを超える大ヒットを放てる可能性は十分ある。出井氏のネットバブル路線が失敗したからといって、インターネットを軽視するのは大きな間違いだ。いま必要なのは、水ぶくれした組織を思い切って整理し、インターネットを踏まえた新しい戦略を立案することだが、それができるのは、久多良木氏の世代ではないだろう。
平野啓一郎氏のブログの記事が、話題になっている。事の発端は、Wikipediaの彼についての項目に「盗作疑惑」が掲載されたという話だ。その部分はすでに削除されたが、きょう現在ではまだグーグルのキャッシュに残っている(*)
1998年に新潮社から刊行された平野のデビュー作『日蝕』が、1993年に同じ新潮社から刊行された佐藤亜紀の『鏡の影』と「内容が似ている」ことが問題となった。平野が『日蝕』で芥川賞を受賞すると、新潮社側は佐藤亜紀が執筆していたウィーン会議を題材にした作品の雑誌掲載を拒否し、同社から刊行されていた『鏡の影』、さらには佐藤の小説『戦争の法』を絶版とした。[以下略]
この根拠として、佐藤氏のウェブサイトにリンクが張られているが、平野氏も指摘するように、その記事には肝心の盗作(佐藤氏の表現では「ぱくり」)の事実が何も具体的に示されておらず、Wikipediaのような公的な媒体で紹介する質のものとは思われない。

実は、私にも似たような経験がある。3年前に、「はてなキーワード」の私についての項目に、事実無根の中傷が掲載されたので、はてなに抗議したところ、近藤淳也社長から謝罪のメールが来た。私は、中傷の責任を追及するため、「犯人」を明らかにせよと申し入れたが、近藤氏はそれを拒否した。結局「キーワード」の項目だけは残し、内容は全面的に削除された。

このときの近藤氏の対応は誠意あるものだったが、中傷の責任は結局、誰も負わないままだ。さらに問題なのは、平野氏もいうように、こういう「消費者生成メディア」で名誉を傷つけられないためには、つねにそれをウォッチしなければならず、参加を強制されることだ。こういうメディアに疎い人の名誉が傷つけられても放置されるし、死者の名誉は誰も守らない。

同様の問題は、本家のWikipediaでも起こっている。有名なのは、去年のJohn Seigenthalerをめぐる問題だ。これは、彼についての項目で「ケネディ暗殺に関与した」という虚偽の経歴が記されたもので、その経緯もWikipediaの項目としてまとめられている。この問題は大きな論議をよび、これを機にWikipediaは新しいガイドラインや監視システムをつくった。

ところが、日本では「2ちゃんねる」でもっとひどい名誉毀損が大量に行われているのに、主宰者は損害賠償も支払わず、逃亡している。被害者もあきらめたのか、破産申し立てをしていないし、メディアはおもしろがっている。日経新聞に至っては、そういう人物を「デジタルコア」なる会議のメンバーにして市民権を与えている。このように言論についての規律が不在の状態で、ビジネスとしてのWeb2.0だけがもてはやされても、またバブルに終わるだろう。

こうした問題について、スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』がよく引用されるが、これは「集団の知恵」で成功した例を列挙しているにすぎない。現実には、WikipediaやLinuxの成功の陰には、何百という失敗したオープンソース・プロジェクトがある。集団的選択理論が教えるように、ほとんどの民主的な意思決定は間違っているのである(**)。むしろ重要なのは、こうした間違いを事後的に修正するフィードバック装置だ。

しかし日本では、ブログの「炎上」にもみられるように、ウェブ上の議論には他人を説得するという目的がなく、匿名で悪口をいうことでストレスを解消する傾向が強い。こういう言論は、いくら大量に生成されても、情報の質を高める役には立たない。事実、日本のWikipediaには、単純な事実誤認が本家よりもはるかに多く、確認には使えない。いま必要なのは、みんなの意見は必ずしも正しくないという懐疑主義にもとづいて、事実をチェックするしくみを整備することだろう。

(*)コメントで、Wikipediaのサイトに「保存版」が残っていることを指摘された。gooにも残っている。

(**)オープンソースと集団的選択の部分に引っかかった人が多いようだが、書き方がミスリーディングだった。これは似たような話を並べただけで、両者は別の話である。オープンソース・プロジェクトの大部分は、できたものがユーザーの支持を得られないから失敗するので、民主的意思決定の間違いとは関係ない。

民主的な意思決定が「間違っている」というのも、いろいろな意味があるが、ここで想定しているのは、Gibbard-Satterthwaite定理のように、投票によって各人の選好を整合的に集計できないという問題である。さらに代議制民主主義には、投票の個人的便益(1票の差で選挙結果が変わる確率)がゼロに等しいという致命的な欠陥があるので、政治が特定の利益団体に支配されることは必然的な結果である。

もう一つは、コンドルセ定理のように集団によって「真理」に到達できるかという問題だが、これも一般的な条件では成り立たない。「みんなの意見」が正しいのは、各人の意見が(一定の確率以上で)正しく、それが整合的に集計可能な場合に限られるが、そういう理想的な状況は現実には存在しないのである。ウェブでみんなの意見が正しいようにみえる原因は、こういう論理整合性ではなく、間違いがあったら多くの人が参加して事後的に訂正できる柔軟性だろう。

2006年09月22日 01:48

ロングテール

26a6ef62.jpgクリス・アンダーソン

早川書房

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先日、紹介した本の訳本が間もなく出る(アマゾンでは予約受付中)。内容の紹介はそこで書いたが、学問的には疑問も多い。最大の問題は(一般書だからしょうがないが)、原データがなくてアバウトなグラフしか描いてないので、どこまで厳密にベキ分布に従っているのかよくわからないこと、もう一つは、なぜベキ分布になるのかについて、ほとんど説明がないことだ。

後者については、スケールフリー・ネットワークなどで「複雑性」の概念を使った説明が行われているが、実はこれはもっと簡単に導ける。たとえばランダムにキーボードをたたいて、その単語長をとればよいのである。アルファベット26字とスペースの合計27字をランダムに打つとすると、アルファベットがn字続く(スペースがn+1字目に初めて出現する)確率は、(26/27)n×1/27(*)という指数分布になる。一般に指数分布は、ベキ分布に変換できる(cf. Li)。つまりベキ分布は「複雑性の法則」ではなく、単なる「変換の法則」なのである。

(*)コメントで指摘を受けて修正した。

追記:変数の「変換」というのはちょっとわかりにくいが、この場合は単語長を頻度のランクに変換すること(Mitzenmacher: pp.238-9)。

Gmailやグーグル・カレンダーを使っていると、「ウィンドウズはデバグの不十分なデバイスドライバ(a poorly debugged set of device drivers)になるだろう」という有名な言葉を思い出す。これはネットスケープのMarc Andreessenが言ったとされ、ビル・ゲイツがこれを聞いて激怒したという話もあるが、その出所はわからない。おそらく、よくできた民間伝承なのだろう。

たしかに、この言葉はIT産業における競争の本質をうまく言い当てている。ウィンドウズに対する脅威はOSではなく、別の階層から来るだろう。それはおそらくブラウザで、それさえ動けばOSは何でもよいし、なくてもかまわない。事実、ネットスケープはコードをJavaで書き直してOSに依存しないブラウザを開発しようとしたが、失敗に終わった。

今、グーグルが実現しつつあるのは、このOSのデバイスドライバ化だ。ウェブに加えて、メール、カレンダー、スプレッドシート、文書作成(Writely)が使えれば、ウィンドウズ上のアプリケーションはほとんど必要なくなるかもしれない。このシステムがすぐれているのは、そのAPIを使って第三者が多くのアプリケーションを「マッシュアップ」し、日々進化することだ。そのスピードは、ウィンドウズ上のアプリケーションをはるかに上回るし、すべて無料だ。

ネットスケープが失敗したのは、第一にマイクロソフトがIEによってネットスケープをつぶしたからだ。しかし、より本質的な原因は、ネットスケープがIEの追撃を振り切る囲い込みの手段をもっていなかったことだ。初期には、クライアントは無料にしてサーバでもうけるというモデルだったが、これはうまく行かなかった。後年にはNetcenterを「ポータル」にしてもうけることを試みたが、これは遅すぎた。

他方、グーグルが成功したのは、これも第一にマイクロソフトがつぶさなかったからだ。これは、ある意味では最初の成功の副産物である。IEによってウィンドウズを守ることに成功したマイクロソフトは、司法省との訴訟でブラウザをOSの一部と主張した結果、MSNなどのサービスと統合する戦略をとれなかった。訴訟後は保守的・官僚的になり、主な仕事はセキュリティのパッチをつくることになってしまった。そしてグーグルは、メールやカレンダーなどの個人情報によって着実に囲い込みを始めている。

ビル・ゲイツの後継者となるRay Ozzieは"Internet Service Disruption"という内部文書で、マイクロソフトの失敗の原因を分析している。彼が、その第一の原因にあげているのが、広告による経済モデルの軽視だ。パッケージを売るという伝統的なソフトウェア流通チャネルにこだわった結果、マイクロソフトはインターネットによる効率的な流通システムの開発に後れをとってしまったのである。

しかしマイクロソフトは、パッケージ流通モデルを捨てることはできないだろう。失うものが大きすぎるからだ。Ozzieがタイトルで暗示しているように、かつてIBMが大型機のビジネスを守ろうとしてPC革命に敗れたのと同様の「イノベーションのジレンマ」に、マイクロソフトも直面しているのである。

グーグルがウィンドウズに代わる独占的なプラットフォームになるかどうかは、まだわからないが、確実なのは、ようやくマイクロソフトの時代が終わろうとしているということだ。ウィンドウズは(少なくともデスクトップでは)独占であり続けるだろうが、それは電力を東電が独占しているのと大して変わらない意味しかなくなるだろう。これは成功した企業としては自然なライフサイクルである。むしろMS-DOSから20年以上にわたってトップランナーだったのは、交代の激しいこの業界では、異例に長い「青春時代」だった。

The King is dead. Long live the King!

2006年09月20日 01:16

アマ化するプロ

森健『グーグル・アマゾン化する社会』(光文社新書)には、次のような記述がある:
ウェブブラウザというソフトが生まれたのが、1994年。NCSAの研究員だったマーク・アンドリーセンによって開発されたそのソフトは、モザイクと名付けられ、まもなくネットスケープ・ナビゲータと改名された。(p.52)
ブラウザが生まれたのは、1994年ではない。最初のブラウザは、1990年にTim Berners-Leeの開発したWorldWideWeb(のちにNexus)であり、NCSA Mosaicが公開されたのは1993年である。アンドリーセンは研究員ではなく、学生アルバイトだったし、モザイクとネットスケープはまったく別のソフトウェアである。

これ以外にも、ライブドアの堀江貴文代表や、シカゴ大のローレンス・レッシグが登場したり、ベル研がルーセントから独立したりする珍無類の本だ。内容は、ほぼすべてウェブなどの2次情報の切り貼りで、最後は靖国問題やら同時多発テロがどうとかいう床屋政談で終わる。Web2.0でプロとアマとの差が縮まっているというのは、本当らしい――プロのレベルがアマの域に近づいている点では。
2006年09月19日 20:44
IT

Googleカレンダー

Googleカレンダーが日本語版になった。もともと英語のカレンダーに日本語で記入していたが、今日からカレンダーも日本語になった。勝手に野球の予定が入っていたりするYahoo!カレンダーに比べて、デザインも洗練されている。ただし、祝日などは日本に対応していない(*)

最近は、メールもGmailで見ることが多くなった。ながくgooメールを使っていたが、スパムに対応できない。Gmailのフィルタリング機能は、POPFile並みに強力なので、そのうちPOPメールもやめて、こっちに一本化するかもしれない。

もともと検索もニュースもグーグルだから、これでスケジュール管理もグーグルになると、私の生活はほとんど「グーグル漬け」だ。Windowsがアプリケーションでユーザーを囲い込んだように、こっちは個人情報で囲い込むので、他に変更するのは容易ではない。こうなると、検索はもうone of themにすぎない。今ごろから、検索エンジンだけ日の丸でつくっても、完成したころにはグーグルは別の会社になっているのではないか。

(*)これは間違い。コメント参照。
グーグルは、貧困・感染症・環境などの社会問題の解決を支援する組織、Google.orgを立ち上げた。これはNPOではなく、社会に貢献する企業に投資するベンチャー・キャピタルのような形で支援を行う営利企業で、個人資産ではなくグーグルの株式の1%(時価評価で12億ドル以上)を資本としてつくられる子会社である。

営利企業で行うのは、NPOでは行える事業の範囲が税法によって制限されているからだという。企業であれば、税金さえ払えば何をやってもよい。支援の第1弾として、燃費のきわめてよいハイブリッド車の開発に投資することが決まった。このように社会的な外部性を内部化しにくいプロジェクトを育て、かつ市場原理も生かすという点で、これは政府の補助金よりも効率的な政策手法のイノベーションになりうる。

しかしコーポレート・ガバナンスの観点から考えると、このやり方には問題がある。創業者たちは「Google.orgの目的は利益を上げることではない」と公言しているが、利益の上がらない子会社をつくるのは、株主にとっては、キャッシュフローを浪費するモラル・ハザードである。

ただグーグルは、IPOの際にも、経営者だけに1株10票の議決権を割り当て、「株主の利益は最優先の目的ではない」と公言してきた。株主利益を超えた社会的リターンを目的とする企業理念からすれば、首尾一貫してはいる。その理念に共感して優秀な技術者が集まり、結果としてそれが株主の利益につながっていれば、経営者が株主を無視して行動しても、放置しておいてよい。

問題は今後、グーグルの指数関数的な成長が止まり、経営者と株主の利益が一致しなくなったときだ。こういうときは、株主に権限を移し、リストラを行うのが普通だが、そういうとき最初に削減されるのは、利益に貢献しないことが明らかなGoogle.orgだろう。そういう不安定な基盤で、長期的な社会貢献ができるだろうか。

こう考えると、少なくとも連結子会社で社会貢献を行うことは望ましくない。営利企業でやるという実験はおもしろいが、それは創業者の(あり余る)個人資産でやるべきではないか。
2006年09月18日 02:15
IT

映像ダウンロード

アマゾンのUnboxに続いて、アップルがiTunes Storeで映像のダウンロード配信を開始し、NBCもNBBC(National Broadband Company)という名称でGoogle Videoと同様のシンディケーション・サービスを開始すると発表した。どれも日本からは使えないが、ワシントン・ポストによると、まだ実用の域には達していないようだ。

アマゾンのラインナップは1000本ぐらいあるが、値段はDVDとほとんど同じで、画質はDVDより少し落ちる。ダウンロードするには、専用のソフトウェアが必要で、DVDにコピーすることはできない。またファイルサイズが大きいため、45分の番組をダウンロードするのにDSLでも2時間近くかかる。

アップルでダウンロードできるのは、ディズニーを中心に70本だけで、値段は同じぐらい。音楽と同じiTunesでダウンロードできるが、やはりDVDにはコピーできない(もちろんiPodにはできる)。ファイルサイズはアマゾンの半分ぐらいだが、それでもダウンロードに30分以上かかる。こういう問題は、アクセス系だけ太くなってもだめで、やはりP2Pのような合理的なアーキテクチャが必要だろう。

この分野には何年も前から同様のサービスがいくつもあり、どれも成功していないが、アマゾンやアップルのようなメジャー・プレイヤーが出てきたことは重要だ。彼らが日本でも同様のサービスを始めることは確実だから、日本のテレビ局がいつまでもインターネットを拒否していると、音楽配信のようにアップルのひとり勝ちになるかもしれない。

同じようなことは、娯楽産業の歴史では何度も起こっている。テレビが登場したころ、日本の映画会社は「五社協定」でテレビをボイコットした結果、最大の市場を失って衰退した。他方ハリウッドも、最初はテレビを拒否したが、60年代からディズニーがテレビ番組で大成功し、これを見て他社もテレビを新しい販路として利用し始めた。特に1970年にFCCが「フィンシン・ルール」でテレビ局に外部調達を義務づけたことで、番組のシンディケーションが大きな市場になったのである。

娯楽産業のカルテル体質は、どこの国でも同じだが、アメリカでは抜け駆けしたほうが得だとわかるとカルテルが崩れ、むしろ新しいメディアに先を争って進出するようになる。これに対して、日本は横並び体質が強く、ボロボロになって古いプレイヤーが退場しないと体質が変わらない。このままでは、せっかくブロードバンドのインフラは世界に先駆けて整ったのに、それを使ったサービスではアメリカに先を越されそうだ。
2006年09月15日 01:02

論文捏造

村松秀

中公新書ラクレ

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NHKの「BSドキュメンタリー」を新書にしたもの。NHKの番組は、多大な経費と時間をかけてつくっているという神話があるようだが、実際には一番コストのかかっている「NHKスペシャル」でも、予算は(人件費込みで)3000万円ぐらい、制作期間も3ヶ月ぐらいだ。だから、1本の番組を無理に書籍化すると、たいてい中身の薄いものになってしまう。本書も、番組としてはよくできていたのかもしれない(いくつか賞をとっている)が、本としては取材の苦労話が多く、やや冗漫だ。

とはいえ、事件のスケールは大きい。テーマは、ベル研究所で起きた物理学の論文の捏造事件で、犯人が書いた論文は、超伝導を実現する温度の世界記録を更新するものなど、5年間に63本。掲載誌のほとんどは"Science"や"Nature"を初めとする一流誌で、彼は31歳でマックスプランク固体物理学研究所の共同所長に内定し、ノーベル賞受賞が確実視されていたという。ところが、そのデータは実験をせずにコンピュータで生成したもので、実験設備もサンプルも犯人以外は(20人もの論文の共同著者も)見たことさえないという、物理学界のお粗末な実態が明らかになる。

著者を中心とする取材チームは、関係者に1年がかりで取材し、責任を追及する。しかし犯人は真相を語らないまま逃亡してしまい、最大の責任者(共同執筆者)である彼の元上司は「おかしいとは思わなかった」と主張し、学会誌の編集者は「データの捏造まで疑うことは不可能だ」と開き直る。多くのピア・レビューが行われたにもかかわらず、同じグラフを複数の実験データで使いまわし、ノイズまでそっくり同じという単純な手口が見抜けなかったのは、ベル研の権威をだれもが信じていたためらしい。

要するに、学界では「捏造なんてやったら、キャリアは一生台なしになる」という長期的関係による規律が働いていると信じられていたのだ。しかし韓国のES細胞事件をはじめ、日本でも旧石器時代の遺跡捏造事件や、理研、大阪大、東大などで論文データの捏造事件が続発している。これは科学者の世界でも、長期的関係による暗黙のガバナンスがきかなくなってきたことを意味するのかもしれない。
以前のSIMロックについての記事には、当ブログ始まって以来のアクセスがあったが、今週あらたな展開があった。警視庁は、L&Kが「窃盗団の一味だ」という偽情報を毎日新聞に書かせたものの立件できず、陸社長だけが商標法違反と不正競争防止法違反の略式命令で罰金80万円、あとの社員は不起訴で、全員釈放されたのである。

その捜査の過程で、驚くべき事実が判明した。常岡浩介さんのブログによれば、捜査官は逮捕された陸社長に「おまえは自分がなぜ捕まったか分かっているか?SIM Lockを解除した携帯電話が出回ったりしたら、オレオレ詐欺が増えるじゃないか」と言ったそうだ。

もちろん、これは180度まちがっている。プリペイド携帯電話がオレオレ詐欺に使われるのは、その利用者が同定できないからだ。今回の場合には、端末をいくら変更してもSIMカードにアカウントが残るので、身元を隠す役には立たない。捜査官がどこでこういうでたらめな知識を仕入れたのかはわからないが、それが警視庁の捜査会議で了承され、裁判所も逮捕令状を出したのだから、日本の捜査当局の知的水準の低さは恐るべきものだ(検察だけがまともだったらしい)。

前の記事には「ボーダフォンの陰謀だ」というコメントがあったが、これは違う。キャリアも、日本の端末コストの高さと販売経費の負担には困っているのだ。ドコモは今年から海外の端末を導入してベンダーを競争させようとしているし、ボーダフォンもインセンティブは下げたいのが本音だが、これまでの販売店との骨がらみの関係があって、下げるに下げられないのである。総務省も「新競争促進プログラム」で、SIMロックを解除させる規制を検討している。これはインセンティブを廃止して通信料金を引き下げるとともに、端末の国際化を促進して日本の携帯電話メーカーの国際競争力を高めるねらいがある。

今回の別件逮捕は、こうしたビジネスの現状も競争政策も知らなければ、初歩的な技術的知識もない捜査官の行った重大な人権侵害である。警視庁は、SIMロックの解除は犯罪ではないことを公式に明らかにし、陸社長に謝罪すべきだ。警察の偽情報に踊らされて彼を犯罪者扱いしておきながら、不起訴処分は報じないマスコミ各社も無責任だ。彼らも訂正記事を出すべきである。
2006年09月13日 16:56
科学/文化

Lonelygirl15


ここ数ヶ月、YouTubeを騒がせてきた謎の少女"Lonelygirl15"の正体は、ニュージーランドの女優だった。30本のシリーズで合計1500万回を超える、YouTube史上最高のアクセスを記録したビデオクリップは、16歳の少女の告白ではなく――多くのファンが疑ったように――プロの書いた台本による演技だったのだ。このシリーズは、まとめて映画化される予定だとNYタイムズは報じている。

これはWeb2.0ではアマもプロと変わらない水準の仕事ができる、という神話を逆用して、プロの仕事をアマに見せかけたマーケティングの勝利だろう。
2006年09月12日 22:32

まっとうな経済学

25dcbbaa.jpgティム・ハーフォード

ランダムハウス講談社

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フィナンシャル・タイムズの"Dear Economist"というコラムの筆者の本(近刊)。Freakonomicsが売れたので、2匹目のドジョウを当て込んで出版されたのかもしれないが、タイトルどおり中身はまっとうで、いい意味でも悪い意味でも教科書的だ。こういう本は、貸金業規制法を審議する先生方にはぜひ読んでほしいものだ。

当ブログの「グレーゾーン金利」をめぐる記事へのコメントを見ても、世の中では価格メカニズムが理解されていないことがよくわかる。平均金利が23%であるとき、上限を20%に規制したら、資金供給は変わらないで金利だけが下がる、と日弁連は主張し、メディアが同調する。そんなことをしたら市場から大量の債務者が締め出される、という金融庁の見解には「業界寄り」だという非難が浴びせられ、内閣府の政務官が「抗議の辞任」をする。彼に「借りられない人はどうするのか」と質問すると、「生活保護を受ければいい」・・・

本書でも、個々人は「非合理的」に動いているようにみえながら、マクロ的には価格メカニズムが働いている例がいくつもあげられている。交通渋滞をなくすには、直接規制するよりも「課税」するほうが効果的だ。ロンドンでは、市内に入る車に1日5ポンド渋滞課金したら、交通量が1年で1/3減った。欧米でも「労働者を搾取している国からの輸入は禁止すべきだ」といった「反グローバリズム」の主張がよくあるが、こうした保護主義は、結果的に途上国の労働者の職を奪うことになる。

『ヤバい経済学』は専門論文をもとにしているので、その素材はかなり特殊だが、本書の素材は身近で一般的だ。内容も、稀少性、限界費用、外部性、情報の非対称性、ゲーム理論など、経済学の標準的なトピックを幅広く取り上げており、大学1年生の副読本としてはちょうどいいだろう。ただし学問的に新しいことは書かれていないし、実証的なデータに乏しいので、ビジネスマンが読むには物足りないかもしれない。
小泉政権が終わるのを見込んで、またいろいろな補助金バラマキが出てきた。地上デジタル放送に100億円の補助金を出すのも、その一つだ。去年からこういう話はあったが、さすがに総選挙で自民党が「小さな政府」を唱えて圧勝した直後に、こういうものを出すことははばかられたのだろう。この意味で、小泉氏の功績は確かにあったし、それが元に戻り始めていることも確かだ。記事によると、
アナログ方式の地上波テレビをデジタル方式(地デジ)に移行する際、山間部の難視聴地域で共同受信施設の改修などに多額の費用がかかることから、総務省は約50万世帯を対象に経費の一部を補助する制度を新設し、来年度予算の概算要求に盛り込むことを決めた。受信施設を隣の山などに移す必要がある約20万世帯については改修費がかかりすぎるとして、衛星放送などによる代替手段を模索する
奇妙なのは、20万世帯については衛星放送(CS)を使うのに、なぜ50万世帯については共同受信設備を使うのかということだ。CSのほうが安いのなら、全部CSにすればいいではないか。CSなら政府が補助しなくても、個人が加入すればいいし、見られるチャンネルは地デジではたかだか6チャンネルだが、CSなら300チャンネル以上ある。これは要するに、地方民放の電波利権を守るために政府が補助金を投入するのである

特定の私企業を国費で救済することが望ましくないことはいうまでもないが、問題はこの補助金によって何が守られるのかということだ。けさの日経も報じるように、地デジのネット配信の流れは加速しており、2011年ごろには都市部ではインターネットでテレビを見ることが当たり前になっているだろう。つまり、いま山間部まで地デジのインフラを建設することは、ジェット時代に青函トンネルを掘るに等しいのである。このような錯覚は、経済学では「サンクコスト」の問題としてよく知られている。これまでいくら地デジに投資したとしても、それは忘れたほうがいいのだ。

しかし行動経済学の実験は、一貫してサンクコストが人々の行動や心理に強い影響を与えることを示している。特におもしろいのは、過去の投資がプロジェクトの未来の見通しを変えることだ。競馬で、ある馬にすでに賭けた人はこれから賭ける人に比べて、その馬が勝つ確率を有意に高く評価し、そのバイアスは賭け金(サンクコスト)が大きいほど強くなる。地デジの場合も、1兆円以上の設備投資が無用の長物になるという現実を認めたくないというバイアスが強く働くため、バラマキが繰り返されるのである。

このような場合、官僚の責任を追及するのは逆効果である。それは彼らの主観的なサンクコストを高め、かえって既存の投資にこだわり、将来の見通しを楽観的に評価するバイアスを強めてしまう。それよりも、今までのことは水に流して、代替的なオプションを客観的に評価しなおしてはどうだろうか。インターネット時代には「朝令暮改」は恥ではない。

アナアナ変換も含めた補助金の総額は2000億円近いが、それだけあれば全国の2000万世帯にネット配信(山間部や島ではCS)のセットトップ・ボックスを配布できる。光ファイバーを持て余しているNTTも喜ぶし、行き詰まっているネット配信ビジネスも活気づくだろう。総務省もようやく通信と放送の融合を促進する方向に舵を切ったようだから、その政策経費として使えば、効果は高いと思われる。どうせ国費を支出するなら、その費用対効果を客観的に計算し、未来のない地方民放に投入して「死に金」にするより、ブロードバンドへの投資に回したほうがいいのではないか。
2006年09月10日 18:05

ライブドアに物申す!!

ライブドアが自社のウェブサイトで各界への意見をつのった企画に、書き下ろしの原稿を加えたが出た。私も執筆した(本の原稿はウェブとは別の書き下ろし)のでいいにくいが、買って読むほどの価値はない。項目を立てたアンケート形式になっているので話が深まらず、読み物としては退屈だ。

流し読みしてみると、ライブドアを「虚業」とか「カルト」などとする意見が多い。たしかに、そのビジネスに実体がなかったのは事実だが、資本主義の本質は「鞘取り」である。地理的な鞘取りが商人資本主義であり、技術的な鞘取りが産業資本主義だとすれば、資本効率の鞘を取って稼ぐのが「新しい金融資本主義」である。成熟産業でキャッシュフローが浪費されているとき、それを買収して解体・再生することによって資本効率は向上し、経済全体の成長率も高まるのだ。

7日の記事でも書いたように、日本の産業構造を「情報資本主義」に適したものに変えるには、こうした資本市場による資金調達や企業再編を容易にする必要がある。ライブドアや村上ファンドは、そういう「資本の論理」の尖兵をつとめたわけだが、それは伝統的な日本の労働倫理からみると、ブッキングだけで巨額の富を得る「不労所得」とみなされがちだ。ライブドアが、「額に汗する人々」の味方、大鶴特捜部長につぶされたのは、製造業中心の産業構造から脱却しようとしている日本にとって皮肉な事件だった。


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