長谷川 その大家さんの家も、大変な家だったんですね。ひと言でいうと「秘密のある家」なんですよ。秘密を隠蔽し維持するために、家族一人ひとりがそれぞれの役割を担っている。お母さんは、料理や洋裁で子どもに手をかけることによって、子どもを愛しているかのように演出している。でも、それは「かのように」であって、料理や洋裁に没頭することによって、家の内のドロドロした面から目を背けていることになるんですね。「否認」という防衛機制が働いているわけです。そして、大抵の場合は、自分の夫がそういう秘密を持っていることに気づいているんですよ。
柳 あのお母さんが、気づいてた? 気づいてて、黙ってたんですか?
長谷川 このテーブルの上にはアップルジュースがある。もちろん、視界には入っている。なのに、「テーブルの上に、何か置いてないですか?」と訊くと、「何もないです」と答える。見ようともしないで、「ないです」と言ってしまうんですよ。そして、それにまつわる自分の思いや感情も認めない。思いや感情があるということになると、事実がないということが破綻してしまうからね。否認と合理化はセットになっているんですよ。
柳さんは、自分の母親に対しては「かわいそう」という思いしかなかった。別の感情、負の感情は否認されている可能性がありそうです。そして父親に対する感情がない、ということは母親の場合よりも強い否認が働いている。れっきとした事実でも、感情を飛ばすことによって、その一部は、認識から逃れられる。事実でも、全てを生々しく覚えているわけではない。問題とすべきは、そういった事実に付帯している思いなんですね。それで、今日は理想のお父さん、理想のお母さんのもとで、どんな風に育ちたかったんだろう、と柳さんの思いをお訊ねしたかったんです。
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