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フィギュアスケート

真央は努力する天才だった 恩師・樋口コーチ明かす…フィギュア

優勝した浅田真央のフリーの演技

 浅田真央は「努力の天才」です―。名伯楽・山田満知子コーチ(66)と一緒に05―06年シーズンまで真央を指導した恩師の樋口美穂子コーチ(40)が真央の強さの原点と秘話を明かした。小学生からトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に挑んだ天才少女を生み出したのは、非凡な才能だけでなく、隠れた人一倍の努力だった。

 樋口コーチが真央と出会ったのは9年前。小4だった真央は名古屋スポーツセンターを拠点とするグランプリ東海クラブに2000年から所属し、92年アルベールビル五輪銀メダルの伊藤みどりらを育てた山田コーチに06年夏まで師事。樋口コーチは山田コーチと一緒に指導し、主に振り付けを手がけた。

 「ウサギみたいにピョンピョンとジャンプを跳んで、トリプルアクセルも、そんなに苦労して跳んだ記憶がないんです。何でも器用にできるにもかかわらず、すごく努力する。練習などで絶対に泣かないし、足が痛くても口に出さず黙々と滑り続けていた。小学生の頃から1日6時間くらいリンクにいたと思う」と当時を振り返る。

 同リンクは一般開放されており、営業時間中はクラブの生徒と一般客で込み合っている日が多かった。そのため、真央は誰もいない早朝や深夜にリンクを借り切って練習した。「深夜0時から1時頃まで滑ることもあった。本人が納得するまで滑るので、教える私たちの方が『まだやるの?』って感じに。ストイックには見えないけど、努力の虫」。当時からスケートには大人顔負けの情熱を見せていた。

浅田真央(右)の恩師の樋口美穂子コーチ

 樋口コーチは真央がシニアデビューした05―06年シーズンのSP「カルメン」を振り付けた。05年GPファイナルを制したことでトリノ代表候補に躍り出たが、「出られないのは本人も分かっていたことで、もったいないとは言わなかった。次のバンクーバー五輪に目標があった」。世間が騒いだ15歳のファイナル制覇も、バンクーバーへの第一歩でしかなかった。

 5年越しの夢がかない、真央は1か月半後に五輪の舞台に立つ。「当時と比べると表現力がすごく磨かれたと思う。五輪では真央らしい演技をしてほしい。これから2月までどんどん良くなっていくと思うし、それまではミスってもいいと思う。最後は笑っている顔が見たいです」。お姉さんのように慕う恩師からのエールを胸に、夢舞台へ上がる。

 ◆樋口 美穂子(ひぐち・みほこ)1969年5月13日生まれ。40歳。選手として全日本選手権などに出場した後、グランプリ東海クラブのコーチとして振り付けを担当。現在は今季ジュニアGPファイナルで優勝した村上佳菜子を山田コーチとともに教えている。

[2009/12/28-06:01 スポーツ報知]

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