2月7日(日)放送
あるダムの履歴書

写真・左:二風谷ダムのダム湖はすでに半分近く土砂に埋もれてしまった
写真・右:平取ダムの建設予定地

写真:全国でただひとつ建設が「違法」とされたダム、二風谷ダム

 

前原国交相が掲げるダム事業見直しのなかで、国が事業主体となっている28か所のダム計画が凍結されることになった。対象事業を抱える自治体は北海道から沖縄まで全国に及ぶ。そのなかの一つが、北海道日高地方の「平取(びらとり)ダム」である。国が推進してきた「沙流川(さるがわ)総合開発」の一環として来年度の本体着工が予定されていたものだ。 このダムは、沙流川中流にすでに完成している「二風谷(にぶたに)ダム」とセットで構想されたもので、もともと1969年の新全総で計画された大規模プロジェクト・苫小牧東部工業基地(苫東)に水を供給するのが主な目的だった。しかし苫東への工場立地は進まず、1980年代には計画の破綻がはっきりした。だが国は「ダムは治水のために必要」だとして建設を推し進めてきた。
沙流川流域、とりわけ二風谷は、北海道でもアイヌ民族が多く暮らす地域として知られる。1980年代、生活苦のなかにあった住民の多くはダム用地として土地を売ったが、なかで二人のアイヌが土地収用を拒んで裁判闘争に入る。後に参議院議員を務めた萱野茂さんと、地域の長老・貝澤正さんである(ともに故人)。ダムで水没する土地が明治32年の「北海道旧土人保護法」で狩猟民族だったアイヌを農民化するために与えられた土地であり、苦難に充ちた開拓の記憶が染みついた土地だったからである。 二人のアイヌが起こした裁判は、1997年、実質的な原告勝訴で終わる。札幌地裁はアイヌを初めて「先住民族」として認め、アイヌの文化や伝統に何の考慮も払わなかった二風谷ダムの建設を「違法」としたのである。しかし、ダムはこの時点ですでに完成していたため、取り壊すのは影響が大きいとして存続が認められた。国が控訴しなかったため判決は確定し、二風谷ダムは全国で唯一の「違法ダム」として今日まで残った。
二風谷ダムの完成後、清流だった沙流川の水は目に見えて濁った・・・地域の住民はそう口をそろえる。一方では、完成後10年足らずでダムが半ば砂に埋もれてしまうという思わぬ事態にも立ち至った。そのため、平取ダムは建設すべきではないとの声が上がり反対運動も起きたが、国は「二風谷ダムだけでは治水効果は期待できない」として計画を中止しようとはしなかった。当初はダム建設に反対していた地元・平取町でも、現在では平取ダムを予定通り建設してほしいという声が強い。もし今回の着工凍結がそのまま建設中止ということにでもなれば、砂に埋もれた二風谷ダムだけが流域に残されることになる・・・。
番組では、当初の目的を失いながらも推し進められてきた巨大公共事業「沙流川総合開発」をめぐる40年の歳月を関係者の証言を交えながら検証、ダム建設という国策にほんろうされ続けた流域の人たちの思いを描き出していく。

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