池田屋の写真について
一般に池田屋の内部写真として紹介されている古写真は、中川忠三郎氏が撮影した
写真で、京都市教育会編『京都維新史蹟』(京都市教育会、一九二八年刊) に掲載
されている。
この写真について調べていたら面白いことに気がついた。
これは寺井萬次郎氏が昭和四年の十二月、あるいは昭和五年の一月に、当時の「伏
見屋」を現地調査をされ、同行されていたカメラマンの中川忠三郎氏が撮影された
ものと判った。
池田屋騒動の後、池田屋は営業停止となり約七ヶ月後に再開したが、それが後年の
「佐々木旅館」になったとの記述も多く見受けるが、実際は池田屋事変後に営業停
止となり、その屋敷や什器、畳一枚まで競売にかけられることになり、伏見に住む
桝谷という人物が「桝屋」という屋号で営業することになる。
そして、その後「桝屋」から「大勢館」、「伏見屋」、「佐々木旅館」と屋号も変
えて、移り変わっていったとのことだった。
これらはすべて「京都維新を語る会」の調査ですでに判明していることだった。
この写真は、後に佐々木旅館から発行された『池田屋事變始末記』という小冊子の
監修を寺井萬次郎氏が行っていたため、同冊子で最初に紹介された。
だから正確にいえば、中川忠三郎氏が昭和四年の十二月、あるいは昭和五年の一月
に撮影した、当時の「伏見屋」の内部写真ということになる。
そこで僕としてはカメラマンの中川忠三郎氏について調べてみることにしたのだが、
この京都の中川忠三郎氏が撮影した写真はその後、「山田集美堂」の山田米吉会長
が継承して、それを利用して『日本世相百年史』、『幕末維新風俗写真史』といっ
た幕末明治、維新関係の本が制作されていたことが判った。
その後「山田集美堂」は「山田書院」(山田実社長、山田夫美枝取締役)と社名を
変えて続いていたが、一九九五年秋に倒産し、労働争議もあって写真は行方不明に
なっているようだ。
また、原写真は維新を語る会の某会員が寺井萬次郎氏より借り受けたが、何時の間
にか東大に売却されてしまったようだ。
では、東大のどこに原写真はあるのだろうか?
引き続きその行方を調べてみたい。