風知草

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風知草:「乗数効果」余聞=山田孝男

 先週の参院論戦の話題は「消費性向」と「乗数効果」だった。意味を聞かれて菅直人が答えあぐねた。そこだけニュースになり、素人財務相だと世間は笑ったが、笑った側も意味を知らない。天下太平だ。

 この逸話は笑えない。国際標準ならエコノミストが占める財務相に専門外の菅がついた。専門家の補佐が必要だが、官僚答弁排除だから、大学で教える経済学の初級レベルの質問に答えられない。

 消費性向とは、所得のうち消費に回せる割合をいう。乗数効果は投資の波及効果である。どちらもケインズの経済理論に発し、サミュエルソン(ノーベル経済学賞、昨年12月死去)の教科書で広まった。

 話題の攻防は1月26日、舞台は参院予算委員会だった。質問したのは自民党の林芳正(前経済財政担当相)、論点は子ども手当である。

 「乗数効果をいくらと見ますか」と聞かれて菅は返事に詰まり、元財務官僚の政務官の助け舟で「消費性向は0・7」と答えた。子ども手当をもらった人は7割を消費するという見通しを言っている。

 そこで林が「消費性向と乗数効果の関係は」と迫ると、菅は再び立ち往生。「ですから、あのう、ショー、ショー、ショーヒセーコーというのは……」と口ごもる論客形無しの映像がテレビのニュースショーで繰り返し流れた。

 サミュエルソンの教科書に従えば、子ども手当給付の乗数は1から消費性向0・7を差し引いた0・3の逆数(互いに掛け合わせると1になる数)、つまり3・3である。わが参院予算委はこの問題で4度審議中断した揚げ句、ついに正解を得られぬまま散会した。

 ケインズ研究の大御所、伊東光晴京都大名誉教授(82)はこう言っている。

 「乗数効果は好況期こそ大きいが、不況期は、公共事業だろうと、子ども手当だろうと高が知れている。それにそもそも家計や企業の行動を極端に単純化したサミュエルソンの理論は幻想に過ぎない」

 乗数効果は議論の核心ではない、財務相は論敵の土俵に引き込まれず、子ども手当はあくまでも中学、高校の教育費負担の過重を和らげる政策だと言うべきだ--。これが伊東のアドバイスである。

 自民党はまんまと敵の副将に恥をかかせたが、この展開は質問した林の意図するところではなかった。

 初め、林は「民主党には成長戦略がない」と攻めた。勝ち気な菅は「戦略は『コンクリートから人へ』だ」と反撃しただけでなく、「自民党は1兆円の財政支出で1兆円しか効果がでない無意味な公共事業を乱発したじゃないか」と高飛車に旧体制を批判した。

 「どうも乗数効果のことを言っておられるようですが、子ども手当の乗数効果をいくらと見ますか」と林が攻めたのはこの時である。林は菅を追いつめた手柄を誇る代わりに、論戦の不毛を嘆いた。

 政権4カ月半。首相が閣僚を束ね、閣僚は官僚を統率して現実の政治課題を解決しなければならない局面だが、内部の矛盾を隠そうとしてか、民主党はますます観念的、理想主義的な傾向を強めている。

 「いのちを守りたい」と連呼し、ガンジーの墓碑銘を並べてみせた首相の施政方針演説はその象徴だろう。堅実に進んでもらいたい。(敬称略)(毎週月曜日掲載)

毎日新聞 2010年2月1日 東京朝刊

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