2010年02月07日
知覧・韓国岳登山 〜鹿児島の旅〜
鹿児島市で行われた講演会翌日から二泊三日の旅をしました。旅の仲間は黒岩裕勇起さんと黒岩さんの友人のオペラ歌手の上杉麻子さん、そしてコスモアースコンシャストアクト・イベントの担当者である博報堂の塩澤さん(あだ名 そると)。ちなみにコスモアースコンシャストのブログを管理し「そると」という名前でよく登場してくるのが塩澤さんです。最近、一身上の都合?まあ〜色々あったようでして、突然、山にはまってしまったようです。毎週末のように山が通い。「一緒に開聞岳行かない」の一言で参加が即決定。
講演会前日に黒岩さんの薩摩ビール園にて上杉さんのコンサートが行われ私も出席してきました。初めての生オペラ。マイクなしによくもあれだけお腹の底から声が出せるものだと、一番前の席で聞いていたのでこちらの鼓膜までもがビリビリと張り裂けそうでした。私は人様に言わせればどうやら相当の音痴らしく、それだけに歌手は心底凄いと思います。上杉さんのど迫力に圧倒されました。

オペラ歌手の上杉麻子さん
1月31日、旅初日は以前から登ってみたかった開聞岳登山を予定していましたが、この日からドシャ雨。そういえば11月に黒岩さんと奄美大島にも旅をしましたが、あの時も毎日がドシャ雨。雨男は私?それとも黒岩さん?
したがって開聞岳登山は諦め、下山後に訪れる予定であった知覧の特攻平和会館へ一昨年に続き訪れました。この特攻平和会館で出撃直前に特攻隊員が書き残した遺書が展示されており、一枚一枚、読むわけですが、私は出来る限り多くの日本人にあのメッセージを読んでほしい。何故に彼らが死んでいったのか、また死ななければならなかったのか、そして命を捧げてまで彼らは何を守ろうとしたのか、私は一人でも多くの日本人に読んでほしい。その一部は本なので読む事も出来ます。現地に訪れる事が出来ないのならば、それでもいいと思いますが、でも、訪れる事が可能ならばあの最後のメッセージを生で読んでほしい。最近の荒れた成人式の様子がなんとも情けなく悲しくなる。もちろん成人式だけではありません。政治問題しかり。もし、天国から特攻隊員たちが今の日本の様子を眺めていたとしたのならば、一体何を思うのだろうか。本当に申し訳ない。今をしっかりと生きなければと、僕はいつも知覧で同じ事を感じます。せめて年に一回は知覧を訪れじっくりとその何かを感じてみたい。
2008年6月 知覧を訪れて

写真は平和会館の許可を頂いて撮影してます

あどけない表情の特攻隊員たち


特攻知覧平和会館に訪れて
開聞岳を次回の目標とし、レンタカーであてもなくさ迷う旅となった。旅の最終日にもし晴れたら韓国岳に登ろうと決めたのはそれだけ。それにしても桜島が象徴しているように鹿児島は火山が多い。我々が宿泊した宿のすぐ裏に出かけてみたら、地面の至る所からボコボコと温泉が噴き出している。触ってみたら沸騰直前の熱湯。うっかりあのボコボコ水たまりに転んで落ちてしまったら助からないだろうなぁ〜とそれでけ熱かった。

至る所で温水がボコボコと音をたてている

地獄谷。ここから温泉が噴き出している

この背景がなんとも似合うねぇ〜
日本には「地獄谷」と呼ばれる個所が何か所もあるけれど、まるで本物の地獄に迷い込んでしまったかのような雰囲気でした。
道中、焼き物をやっている「陶芸の里 あすか」というお店を発見。ただ、定休日であったのでパンフレットの書いてある電話番号にかけてみた「いいですよ!」と。早速でかけ、ご主人が焼かれた作品を拝見させて頂きましたが、なんとも他にはない個性的な作品が目に飛び込んできた。「これは!」と壺を1つその場で購入。これだから旅は面白い。ふらりと立ち寄った所に大きな出会いがあったりする。ご主人の名前は桑原武満さん。話しが盛り上がり、紅茶まで頂きました。後から分かったのですが、実は桑原さんの息子さんが鹿児島で行われた私の講演会にいらっしゃっていたとのこと。その息子さんが「野口さんの講演会に行ってきた」といったような事を電話で聞いたご主人の桑原さんが「えっ!野口さん、つい先ほど家に突然来たよ!」と、まあ〜運命といいますか、出会いの運とは不思議なものですね。

「陶芸の里あすか」にて


私の左隣が桑原武満さん
そして旅の最終日、ようやく晴れ、韓国岳へ。至る所に噴火した跡の噴火口があり、その噴火口が今では湖になっていて美しい。2時間前後で韓国岳に登頂しましたが、ボルネオのキナバル山以来の登山でなんとも気持ちが良かった。途中、下山してくる登山者と目が合い「えっ!野口さんですか!野口さんもこんな山に登るのですか!」と驚きの声が何度かありましたが、そりゃもちろんですよ。標高の高い山も面白いけれど、山の魅力はなにも標高だけではありませんよ。僕が最も好きな山は白神山地。標高的には極めて低いけれど、あの命溢れる白神山地の森の中にいるとなんとも癒されるし、自然のエネルギーを全身で感じる事ができる。山の魅力は本当に様々。標高だけではないんだなぁ〜。確かに僕も若い時はヒマラヤのような高峰ばかりに目がいっていましたけれど、今は違う。この韓国岳も素直に楽しいと感じながら登っていました。そして1700Mの山頂ですが、登頂すれば今まで登ってきた他の山と同様に感動するものです。

韓国岳山頂にて

やはり山登りは気持ちがいい

噴火口が湖に

韓国岳の山頂から見下ろす噴火口
こうして今回の旅は終了しましたけれど、開聞岳に登れなかったのは残念。まあ〜天候ですから仕方がありません。ただ、また鹿児島にやってくるきっかけを作ってくれたと思えばそれでよし!

鹿児島県は神社が多い
それにしてもこの度では酒を飲み過ぎた。いや、飲まされ過ぎた。なにしろ黒岩さんの会社はビールだけではなく焼酎も作っており、また「黒岩」という40度を超えた原酒の焼酎がこれがまたまた素晴らしく存在感を示す焼酎で毎日が二日酔いの旅でした。

黒岩さんが作っている焼酎の蔵

それにしても、楽しかった。もともと鹿児島は好きでしたがさらに好きになりました。たまにはこうして仕事モードから離れ気の合う仲間たちと旅するのはいいですね。年内、必ず開聞岳に登ります!
講演会前日に黒岩さんの薩摩ビール園にて上杉さんのコンサートが行われ私も出席してきました。初めての生オペラ。マイクなしによくもあれだけお腹の底から声が出せるものだと、一番前の席で聞いていたのでこちらの鼓膜までもがビリビリと張り裂けそうでした。私は人様に言わせればどうやら相当の音痴らしく、それだけに歌手は心底凄いと思います。上杉さんのど迫力に圧倒されました。
オペラ歌手の上杉麻子さん
1月31日、旅初日は以前から登ってみたかった開聞岳登山を予定していましたが、この日からドシャ雨。そういえば11月に黒岩さんと奄美大島にも旅をしましたが、あの時も毎日がドシャ雨。雨男は私?それとも黒岩さん?
したがって開聞岳登山は諦め、下山後に訪れる予定であった知覧の特攻平和会館へ一昨年に続き訪れました。この特攻平和会館で出撃直前に特攻隊員が書き残した遺書が展示されており、一枚一枚、読むわけですが、私は出来る限り多くの日本人にあのメッセージを読んでほしい。何故に彼らが死んでいったのか、また死ななければならなかったのか、そして命を捧げてまで彼らは何を守ろうとしたのか、私は一人でも多くの日本人に読んでほしい。その一部は本なので読む事も出来ます。現地に訪れる事が出来ないのならば、それでもいいと思いますが、でも、訪れる事が可能ならばあの最後のメッセージを生で読んでほしい。最近の荒れた成人式の様子がなんとも情けなく悲しくなる。もちろん成人式だけではありません。政治問題しかり。もし、天国から特攻隊員たちが今の日本の様子を眺めていたとしたのならば、一体何を思うのだろうか。本当に申し訳ない。今をしっかりと生きなければと、僕はいつも知覧で同じ事を感じます。せめて年に一回は知覧を訪れじっくりとその何かを感じてみたい。
2008年6月 知覧を訪れて
写真は平和会館の許可を頂いて撮影してます
あどけない表情の特攻隊員たち
特攻知覧平和会館に訪れて
開聞岳を次回の目標とし、レンタカーであてもなくさ迷う旅となった。旅の最終日にもし晴れたら韓国岳に登ろうと決めたのはそれだけ。それにしても桜島が象徴しているように鹿児島は火山が多い。我々が宿泊した宿のすぐ裏に出かけてみたら、地面の至る所からボコボコと温泉が噴き出している。触ってみたら沸騰直前の熱湯。うっかりあのボコボコ水たまりに転んで落ちてしまったら助からないだろうなぁ〜とそれでけ熱かった。
至る所で温水がボコボコと音をたてている
地獄谷。ここから温泉が噴き出している
この背景がなんとも似合うねぇ〜
日本には「地獄谷」と呼ばれる個所が何か所もあるけれど、まるで本物の地獄に迷い込んでしまったかのような雰囲気でした。
道中、焼き物をやっている「陶芸の里 あすか」というお店を発見。ただ、定休日であったのでパンフレットの書いてある電話番号にかけてみた「いいですよ!」と。早速でかけ、ご主人が焼かれた作品を拝見させて頂きましたが、なんとも他にはない個性的な作品が目に飛び込んできた。「これは!」と壺を1つその場で購入。これだから旅は面白い。ふらりと立ち寄った所に大きな出会いがあったりする。ご主人の名前は桑原武満さん。話しが盛り上がり、紅茶まで頂きました。後から分かったのですが、実は桑原さんの息子さんが鹿児島で行われた私の講演会にいらっしゃっていたとのこと。その息子さんが「野口さんの講演会に行ってきた」といったような事を電話で聞いたご主人の桑原さんが「えっ!野口さん、つい先ほど家に突然来たよ!」と、まあ〜運命といいますか、出会いの運とは不思議なものですね。
「陶芸の里あすか」にて
私の左隣が桑原武満さん
そして旅の最終日、ようやく晴れ、韓国岳へ。至る所に噴火した跡の噴火口があり、その噴火口が今では湖になっていて美しい。2時間前後で韓国岳に登頂しましたが、ボルネオのキナバル山以来の登山でなんとも気持ちが良かった。途中、下山してくる登山者と目が合い「えっ!野口さんですか!野口さんもこんな山に登るのですか!」と驚きの声が何度かありましたが、そりゃもちろんですよ。標高の高い山も面白いけれど、山の魅力はなにも標高だけではありませんよ。僕が最も好きな山は白神山地。標高的には極めて低いけれど、あの命溢れる白神山地の森の中にいるとなんとも癒されるし、自然のエネルギーを全身で感じる事ができる。山の魅力は本当に様々。標高だけではないんだなぁ〜。確かに僕も若い時はヒマラヤのような高峰ばかりに目がいっていましたけれど、今は違う。この韓国岳も素直に楽しいと感じながら登っていました。そして1700Mの山頂ですが、登頂すれば今まで登ってきた他の山と同様に感動するものです。
韓国岳山頂にて
やはり山登りは気持ちがいい
噴火口が湖に
韓国岳の山頂から見下ろす噴火口
こうして今回の旅は終了しましたけれど、開聞岳に登れなかったのは残念。まあ〜天候ですから仕方がありません。ただ、また鹿児島にやってくるきっかけを作ってくれたと思えばそれでよし!
鹿児島県は神社が多い
それにしてもこの度では酒を飲み過ぎた。いや、飲まされ過ぎた。なにしろ黒岩さんの会社はビールだけではなく焼酎も作っており、また「黒岩」という40度を超えた原酒の焼酎がこれがまたまた素晴らしく存在感を示す焼酎で毎日が二日酔いの旅でした。
黒岩さんが作っている焼酎の蔵
それにしても、楽しかった。もともと鹿児島は好きでしたがさらに好きになりました。たまにはこうして仕事モードから離れ気の合う仲間たちと旅するのはいいですね。年内、必ず開聞岳に登ります!
2010年02月06日
コスモ石油アースコンシャスアクト in 山形のお知らせ
2010年02月05日
コスモアースコンシャスアクト鹿児島で大反響!!
1月31日、鹿児島市内にてコスモアースコンシャストアクトの講演会が行われました。約1200人もの方々が集まり、また佐賀、福岡といった他県からの参加者も多数。そして特に驚いたのが、なんと神奈川県の川崎市から申し込まれた遠く鹿児島までいらしてくださった女性の方がいらっしゃいました。握手会の時に「昨年、東京講演会に申し込んだのですが、倍率が高く落ちてしまったので調べて鹿児島まできました」と声をかけてくれましたが・・・本当にありがとうございます。お名前も聞けずまともなお礼もできず、ただ本当に嬉しかったです。2月20日に 東京講演会がありますので、もしこのブログを見てくれていましたらご連絡ください。せめてものお礼としてご招待させて頂きたいと思います。

それにしても鹿児島の方々は熱かった。2時間20分という長時間講演にも関わらず最初から最後まで会場からビシバシとエネルギーが伝わってきました。講演会というものは面白いもので話しているのは確かに一人ですが、会場からやってくる参加者の気というのか、エネルギーというものなのか、それとのキャッチボールなんですね。したがってボールが跳ね返ってこないとこちらも気持が乗り難いものです。鹿児島の会場は私が投げ込んだ以上に勢いのあるボールが私の元に戻ってくるのだから、こっちも真剣。あっと言う間の2時間20分でした。
そして講演会直後から僕のブログ、特に野口健ホームページのカキコミ(掲示板)には本当に多くの、そして熱い気持ちの込められたコメントが多数寄せられました。1つ1つ、拝読させて頂きました。ありがとう!!!

デレデレ?

講演会後の握手会・写真撮影会の様子
近くに知覧があるのも1つ影響しているのか、遺骨収集の話になったとき、会場の空気がより1つにまとまったような希薄を感じました。講演会後の本のサイン会でも「野口健が聞いた英霊の声なき声」(産経新聞出版 喜多由浩著)がどの会場よりも多く売れました。遺骨収集活動は私が今、最も力を入れている活動です。今、私がこうしている間にも空援隊の仲間たちがフィリピンで必死になって遺骨調査、収集を行っています。私は次の3月に現地フィリピンに向かいますが、日本にいても気持ちはフィリピンです。まだまだ多くのご遺骨が私たちを待っています。そしてこの問題、未だ多くの方々に知られていませんが、しかし、こうして講演会を通して着実に伝わっていくことが現場で戦っている私たちにとっては最大のご褒美です。

講演会後にスタッフ達と記念写真
講演会の翌日からプライベートで二泊三日の旅をしました。薩摩ビール園の黒岩社長たちとの旅となりましたが、黒岩裕勇起さんとはこれまでも旅に出かける旅仲間。登山仲間、飲み仲間かな。次回は旅の報告をしたいと思います。

黒岩裕勇起さん、旅仲間?山仲間?それとも酒仲間?
書評倶楽部「野口健が聞いた英霊の声なき声」喜多由浩著が掲載されましたので、是非ご覧ください。
それにしても鹿児島の方々は熱かった。2時間20分という長時間講演にも関わらず最初から最後まで会場からビシバシとエネルギーが伝わってきました。講演会というものは面白いもので話しているのは確かに一人ですが、会場からやってくる参加者の気というのか、エネルギーというものなのか、それとのキャッチボールなんですね。したがってボールが跳ね返ってこないとこちらも気持が乗り難いものです。鹿児島の会場は私が投げ込んだ以上に勢いのあるボールが私の元に戻ってくるのだから、こっちも真剣。あっと言う間の2時間20分でした。
そして講演会直後から僕のブログ、特に野口健ホームページのカキコミ(掲示板)には本当に多くの、そして熱い気持ちの込められたコメントが多数寄せられました。1つ1つ、拝読させて頂きました。ありがとう!!!
デレデレ?
講演会後の握手会・写真撮影会の様子
近くに知覧があるのも1つ影響しているのか、遺骨収集の話になったとき、会場の空気がより1つにまとまったような希薄を感じました。講演会後の本のサイン会でも「野口健が聞いた英霊の声なき声」(産経新聞出版 喜多由浩著)がどの会場よりも多く売れました。遺骨収集活動は私が今、最も力を入れている活動です。今、私がこうしている間にも空援隊の仲間たちがフィリピンで必死になって遺骨調査、収集を行っています。私は次の3月に現地フィリピンに向かいますが、日本にいても気持ちはフィリピンです。まだまだ多くのご遺骨が私たちを待っています。そしてこの問題、未だ多くの方々に知られていませんが、しかし、こうして講演会を通して着実に伝わっていくことが現場で戦っている私たちにとっては最大のご褒美です。
講演会後にスタッフ達と記念写真
講演会の翌日からプライベートで二泊三日の旅をしました。薩摩ビール園の黒岩社長たちとの旅となりましたが、黒岩裕勇起さんとはこれまでも旅に出かける旅仲間。登山仲間、飲み仲間かな。次回は旅の報告をしたいと思います。
黒岩裕勇起さん、旅仲間?山仲間?それとも酒仲間?
書評倶楽部「野口健が聞いた英霊の声なき声」喜多由浩著が掲載されましたので、是非ご覧ください。
ボルネオ企画 多数のご応募ありがとうございました
ボルネオ企画に多数のご応募ありがとうございました。
抽選の結果、4名の方にお送りいたしました。
次回のプレゼント企画も是非お楽しみに!!
2010年01月29日
野口健 テレビ出演情報
明日 野口健が以下の番組に出演します。お時間ありましたら、是非ご覧下さい。
1月30日 土曜日
NHK 総合 AM10:05〜11:25
NHKアーカイブス
「神々の座 世界百名山を撮る 写真家 白川義員」
夜明け地上で最初の光を取り戻すエベレストの頂き。
その東壁が朝陽を浴びて紅く染める一瞬を一人の写真家が9000mの上空から狙う・・・
白川義員さんの世界を是非ご覧下さい。
1月30日 土曜日
NHK 総合 AM10:05〜11:25
NHKアーカイブス
「神々の座 世界百名山を撮る 写真家 白川義員」
夜明け地上で最初の光を取り戻すエベレストの頂き。
その東壁が朝陽を浴びて紅く染める一瞬を一人の写真家が9000mの上空から狙う・・・
白川義員さんの世界を是非ご覧下さい。
「不法投棄に宣戦布告」ついに動き出す
1月27日、千葉県佐倉市の雑木林にて森田千葉県知事、蕨和雄佐倉市長やまた地元の方々と清掃活動を行った。千葉県は不法投棄ワースト3位。昨年、千葉県環境大使に就任した際に森田知事に1つだけお願い致しました。それは知事自らの清掃活動です。不法投棄は明確な犯罪行為です。そして彼らの多くはあちらの世界の方々です。私も様々な経験をしてきましたが、不法投棄は極めて厄介。あのような連中にいくら環境問題を伝えても言葉は通じない。犯罪者集団に対しては摘発以外に方法はない。したがって森田知事には「不法投棄に対して宣戦布告しましょう」と提案。つまり千葉県は腹をくくって不法投棄と戦う事を意志表示する。その為には知事自らが現場に乗り込まなければ、そして現場を知り現実を背負って頂かなければとてもではないが不法投棄業者とは戦えない。

千葉県知事 森田健作氏と

佐倉市長 蕨(わらび)和雄氏とバンパーを運ぶ
私の提案に森田知事は「私は腹をくくっています。やりましょう」とその場でお返事を頂きました。その約束が実現し森田知事と二度目の清掃活動を行った。特に今回は不法投棄が酷い現場。森田知事は「なんだこれは!酷いじゃないか!」と報道陣の前で怒りを露わにし、参加者と一緒になってタイヤなどの粗大ゴミをトラックの荷台に運んでくださった。

左から 森田知事、蕨市長、野口


「知事の怒り」私はこれが最も大切だと思っています。富士山の樹海でも同じですが、私たち富士山クラブは不法投棄されたあの悪意に満ちたゴミと日々闘っています。この10年間、私たちを支えたのは怒りの感情なのかもしれない。犯罪者集団に負けたくない。その思いが私の戦闘意識をここまで育ててくれた。森田知事が動いてくださった事に私は大きな可能性を感じていた。今は不法投棄ワースト3位だが、必ず減らしてみせると心に誓っていた。

「不法投棄と戦っていこう!」と地元の方々と意見交換を行った

清掃前に千葉県職員と打ち合わせ
一般的に環境大使といった「大使」というポジションは形だけのもの。名誉職みたいなもので、お飾りといった要素がたぶんに強い。しかし、私が環境大使になったからには明確なアクションを、つまり変化を起こさなければならない。そうでなければ千葉県の皆さんに申し訳がない。
選挙が近づく度に色々なお誘い、また噂が飛び交います。私は政治に対して諦めてしまったらこの国は終わると常々思っています。しかし、政治とはバッチを付けている人たちだけが行えるものなのかどうか。逆にバッチを付けていない方が本当の意味での政治ができやしないのか、それは人それぞれ、その人のキャリアなり、それまでの立ち位置によって変わってくるのでしょう。 期待されること自体はけっして悪いことではない。ただ、私は私のやり方でこれからも社会と関わっていきたい。

清掃後に千葉の放送大学にて清掃活動や学びの意味について語った
サンケイスポーツ 森田知事と野口健さんが雑木林で清掃活動
東京新聞 汚名返上へ ごみ拾い
ちばとぴ 「不法投棄、絶対許さない」
過去のブログ
2009年8月14日 不法投棄に宣戦布告 千葉県環境大使に就任
2009年9月26日 森田健作千葉県知事と清掃活動
2009年12月13日 千葉県で環境学校開催
千葉県知事 森田健作氏と
佐倉市長 蕨(わらび)和雄氏とバンパーを運ぶ
私の提案に森田知事は「私は腹をくくっています。やりましょう」とその場でお返事を頂きました。その約束が実現し森田知事と二度目の清掃活動を行った。特に今回は不法投棄が酷い現場。森田知事は「なんだこれは!酷いじゃないか!」と報道陣の前で怒りを露わにし、参加者と一緒になってタイヤなどの粗大ゴミをトラックの荷台に運んでくださった。
左から 森田知事、蕨市長、野口
「知事の怒り」私はこれが最も大切だと思っています。富士山の樹海でも同じですが、私たち富士山クラブは不法投棄されたあの悪意に満ちたゴミと日々闘っています。この10年間、私たちを支えたのは怒りの感情なのかもしれない。犯罪者集団に負けたくない。その思いが私の戦闘意識をここまで育ててくれた。森田知事が動いてくださった事に私は大きな可能性を感じていた。今は不法投棄ワースト3位だが、必ず減らしてみせると心に誓っていた。
「不法投棄と戦っていこう!」と地元の方々と意見交換を行った
清掃前に千葉県職員と打ち合わせ
一般的に環境大使といった「大使」というポジションは形だけのもの。名誉職みたいなもので、お飾りといった要素がたぶんに強い。しかし、私が環境大使になったからには明確なアクションを、つまり変化を起こさなければならない。そうでなければ千葉県の皆さんに申し訳がない。
選挙が近づく度に色々なお誘い、また噂が飛び交います。私は政治に対して諦めてしまったらこの国は終わると常々思っています。しかし、政治とはバッチを付けている人たちだけが行えるものなのかどうか。逆にバッチを付けていない方が本当の意味での政治ができやしないのか、それは人それぞれ、その人のキャリアなり、それまでの立ち位置によって変わってくるのでしょう。 期待されること自体はけっして悪いことではない。ただ、私は私のやり方でこれからも社会と関わっていきたい。
清掃後に千葉の放送大学にて清掃活動や学びの意味について語った
サンケイスポーツ 森田知事と野口健さんが雑木林で清掃活動
東京新聞 汚名返上へ ごみ拾い
ちばとぴ 「不法投棄、絶対許さない」
過去のブログ
2009年8月14日 不法投棄に宣戦布告 千葉県環境大使に就任
2009年9月26日 森田健作千葉県知事と清掃活動
2009年12月13日 千葉県で環境学校開催
2010年01月27日
第2回遺骨収集シンポジウム
1月19日に大阪で行われた第2回遺骨収集シンポジウムに関して、本日の産経新聞朝刊にシンポジウムの内容の記事が掲載されました。
以下は記事の抜粋です。
NPO法人空援態による活動によって、昨年、従来の実績を大きく上回る8675体の御遺骨を収集するという成果を発表し、さらに国に対し、今後の遺骨収集に関し、国の事業として予算をつけてくれるように鳩山首相に対し公開質問状を提出したが、届いた回答は、明らかに官僚が書いた無味乾燥な文章だった。野口は、『遺骨収集は国家の義務である』という法律がないから、国家の責任の所在が明確にならないと訴えました。
また、先日の週刊新潮でも取り上げられましたが、昨年11月、日本政府の派遣段によるフィリピンでの活動をめぐり、現地の自治体などから遺骨収集や焼骨の許可に対し様々な横やりが入り、収集した遺骨を日本に持って帰ることができず、2週間、マニラの日本大使館に足止めになったこともあった。現地にいた、倉田さん(空援隊代理事)によると、「現地の自治隊関係者からは『日本からはODAが来ないから遺骨収集のさせない』という話も聞いた。何の関係もない話が遺骨収集と結び付けられている」と憤りをあらわにした。
また、この問題に対する関心が高まってきたとはいえ、国民運動にするにはもう一段上の努力が必要。パネリストの笹幸恵さんは「一番大事なことは関心を持ち続けること」と呼びかけた。
2010年1月27日 産経新聞 第2回遺骨収集シンポジウム
以下は記事の抜粋です。
NPO法人空援態による活動によって、昨年、従来の実績を大きく上回る8675体の御遺骨を収集するという成果を発表し、さらに国に対し、今後の遺骨収集に関し、国の事業として予算をつけてくれるように鳩山首相に対し公開質問状を提出したが、届いた回答は、明らかに官僚が書いた無味乾燥な文章だった。野口は、『遺骨収集は国家の義務である』という法律がないから、国家の責任の所在が明確にならないと訴えました。
また、先日の週刊新潮でも取り上げられましたが、昨年11月、日本政府の派遣段によるフィリピンでの活動をめぐり、現地の自治体などから遺骨収集や焼骨の許可に対し様々な横やりが入り、収集した遺骨を日本に持って帰ることができず、2週間、マニラの日本大使館に足止めになったこともあった。現地にいた、倉田さん(空援隊代理事)によると、「現地の自治隊関係者からは『日本からはODAが来ないから遺骨収集のさせない』という話も聞いた。何の関係もない話が遺骨収集と結び付けられている」と憤りをあらわにした。
また、この問題に対する関心が高まってきたとはいえ、国民運動にするにはもう一段上の努力が必要。パネリストの笹幸恵さんは「一番大事なことは関心を持ち続けること」と呼びかけた。
2010年1月27日 産経新聞 第2回遺骨収集シンポジウム
2010年01月25日
「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」報告!
ヒマラヤ・マナスル峰の麓、サマ村に学校を建てようとマナスル基金を立ち上げてから3年目。ようやく寮一棟が完成しました! 次の目標は教室や図書室にグランドなど
春から第二工事をスタートさせます。4月に私も現地、サマ村に入りますが、ここまでの経緯などまとめてみましたので、ぜひご覧ください。
野口健
「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」前編
「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」中編
「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」後編
ヤフーボランティアのウェブサイトにて、マナスル基金とシェルパ基金のページが開設されました。ぜひ、ご覧ください。
シェルパ基金はこちらから
マナスル基金はこちらから
春から第二工事をスタートさせます。4月に私も現地、サマ村に入りますが、ここまでの経緯などまとめてみましたので、ぜひご覧ください。
野口健
「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」前編
「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」中編
「ヒマラヤに学校をつくろうプロジェクト」後編
ヤフーボランティアのウェブサイトにて、マナスル基金とシェルパ基金のページが開設されました。ぜひ、ご覧ください。
シェルパ基金はこちらから
マナスル基金はこちらから
2010年01月20日
第二回遺骨収集シンポジウムを終えて
1月19日、大阪にて「第二回遺骨収集シンポジウム」(主催・産経新聞)が開催されました。昨年の8月に靖国神社にて第一回遺骨収集シンポジウムが行われましたが、当初、シンポジウムのテーマが一般的にどれだけ世間に注目されているのか、未知数なこともあり、200人も集まればいいのかなぁ〜と思っていましたが、シンポジウムの開催を報じましたところ、あっという間に500人以上の応募が集まり、急きょ大きな会場に変更しました。そして、残念ながら会場の枠の問題もあり、応募された全ての方々の参加はできなくなりました。

その反省から第二回目は1000人以上の会場を準備しましたが、第二回遺骨シンポジウムには約1200人が応募、参加してくださった。この反響の大きさに改めて驚き、そして素直に嬉しかった。

遺骨収集活動を始めて3年目となりますが、日本社会から忘れさられようとしていた遺骨収集問題がこうして注目され、また多くの方々と一緒になって考えそして行動に移していく。まさしくこの展開を目指してやってきました。富士山での清掃活動同様に遺骨収集活動も国民運動としたい。確かに国の為に戦い亡くなっていった方々のご遺骨を日本に戻すのは国の責任です。しかし、国の責任を果たすのは政治家や官僚だけではなく、私たち国民も国家の一員としての役割があるはずです。

空援隊の支部も北海道、神奈川、高知など各地で立ち上がっています。現政権下に於いては国の積極的な関与を期待できない以上、我々民間団体の役割は一段と大きい。
空援隊は本日からフィリピンに遺骨調査団を派遣しています。私自身は3月にフィリピンに遺骨収集に向かいます。
前回のブログはこちらから 2009年12月27日4370体のご遺骨祖国に戻る
2010年1月20日 野口健
その反省から第二回目は1000人以上の会場を準備しましたが、第二回遺骨シンポジウムには約1200人が応募、参加してくださった。この反響の大きさに改めて驚き、そして素直に嬉しかった。
遺骨収集活動を始めて3年目となりますが、日本社会から忘れさられようとしていた遺骨収集問題がこうして注目され、また多くの方々と一緒になって考えそして行動に移していく。まさしくこの展開を目指してやってきました。富士山での清掃活動同様に遺骨収集活動も国民運動としたい。確かに国の為に戦い亡くなっていった方々のご遺骨を日本に戻すのは国の責任です。しかし、国の責任を果たすのは政治家や官僚だけではなく、私たち国民も国家の一員としての役割があるはずです。
空援隊の支部も北海道、神奈川、高知など各地で立ち上がっています。現政権下に於いては国の積極的な関与を期待できない以上、我々民間団体の役割は一段と大きい。
空援隊は本日からフィリピンに遺骨調査団を派遣しています。私自身は3月にフィリピンに遺骨収集に向かいます。
前回のブログはこちらから 2009年12月27日4370体のご遺骨祖国に戻る
2010年1月20日 野口健
2010年01月19日
新たな出会いと再会 〜コスモアースコンシャスアクト富山〜
1月17日、富山市にてコスモ・アースコンスアスト・アクトの講演会が行われました。このイベントはコスモ石油と全国のFMがタイアップし、全国各地で清掃活動、また7月には全国のFMで募集したリスナーの方々、合計数百人が富士山に大集合し清掃活動を行っています。そして私の講演会は年全国5カ所で開催。もうかれこれ続きを読む