以下、研究会議事録の引用です。講演者はその分野の専門家です。
高木仁三郎『プルトニウムの未来』(岩波新書、1994)のp.10には、米科学アカデミーの報告書(1994)を引用して、「実質的に、いかなる組成のプルトニウムも核兵器製造のために利用できる」と、さらに、「つい最近まで、なかなか詳しいことが公表されなかったが、じつはアメリカは、実際に原子炉級のプルトニウムを用いて核実験を行っており、きちんとした核爆発を起こさせるのに成功している」と記されている。
前半の引用内容は、米国が核不拡散政策を推進するために主張している政治的戦略であって、実験的に証明されていない。その報告書には、続けて、「ただし、すべての組成が同様に便利であり有効であるわけではない」とも記されている。高木氏は意識的にこの部分を削除した。
後半の説明について、その実験は、1962年に実施されていた。その事実は、1977年に公表されていたにもかかわらず、高木氏は、意識的にその事実をふせて議論した。1962年に、米国には、確かに、シッピングポート、ヤンキーロー、ドレスデンという3基の商用軽水炉が運転中であったが、軽水炉の4メートルの長尺燃料を再処理できる商用再処理工場は、米国では、まだ、稼動していなかった。軍用再処理工場では、特別な手段を選択しない限り、軽水炉の長尺燃料は処理できない。米国初の商用ウエストバレー再処理工場は、1963年に着工し、1966年に稼動開始したはず。
よって、米国の核実験に利用されたプルトニウムは、米軽水炉の燃料を再処理して抽出した原子炉級プルトニウムではない。
では、そのプルトニウムの正体は、何か、誰でも疑問に思うはず。高木は、その問題を運動論の立場から悪用し、曖昧にして議論した。米エネルギー省広報局資料(1994)によれば、その「原子炉級プルトニウム」は、米英相互防衛協定の下に、英国から供給されたものであった。
1962年当時、英国には軽水炉はなかった。英国の最初の軽水炉は1995年に運転開始したサイズウェルBである。運転中の発電炉は、発電・プルトニウム生産二重目的炉のコールダーホール(1,2,3,4号機、黒鉛減速炭酸ガス冷却、電気出力各6万キロワット、天然ウラン燃料)とチャペルクロス(1,2,3,4号機、黒鉛減速炭酸ガス冷却、電気出力各6万キロワット、天然ウラン燃料)だけ。
コールダーホールでは、燃焼度900MWD/Tで燃料を取り出せば、プルトニウム239の割合は、92%になり、兵器級プルトニウムの割合の93%に近い物に、そして、コールダーホール改良型の日本の東海1号機は、燃焼度3000MWD/Tで、プルトニウム239が79パーセントでプルトニウム240が18パーセントとなる。
米エネルギー省広報局資料には、確かに、1970年代から、プルトニウム240が19パーセント以上(物理的根拠がない)のものが原子炉級プルトニウムと定義し直されたことが明記されているが、実験に利用されたものがそうであるとの直接的な証拠が何もない。米エネルギー省広報局資料ではプルトニウム同位体組成を機密にしている。第三者が確認できないものは学術文献でない。
よって、米国で1962年に実施された核実験は、原子炉級プルトニウムでない可能性もあり(現実的には東海1号機の条件のプルトニウム239が79パーセントでプルトニウム240が18パーセント)、実験に成功しても当たり前であって、特筆すべき情報でない。軽水炉プルトニウムとは、(1)軽水炉で生成され、(2)プルトニウム239が55-60パーセントであること、(3)プルトニウム240が25パーセント程度であること、(4)特に発熱への寄与の大きなプルトニウム238が1.3パーセント(兵器級の100倍)と高いこと等。しかし、英国の物はこれらの条件をまったく満たしていない。
公開されているどの文献にも、「米国は、これまで、軽水炉の原子炉級プルトニウムで核実験したことがない」と断言している。私の文献調査でもそのような結論になっている。実験データがない。軽水炉プルトニウムは、核不拡散政策の下で、予防原則に則り、安全側に管理されているだけ。
軽水炉の原子炉級プルトニウム(プルトニウム239の割合が約60%)では、克服困難なふたつの問題がある。
ひとつは、プルトニウム238のアルファ崩壊による加熱及びプルトニウム241がアメリシウム241に崩壊する時のアルファ崩壊とガンマ崩壊による加熱が大きすぎ(約200ワット)、プルトニウム球と周辺の起爆用火薬や電子制御系を溶融するほどの温度にしてしまうこと(金属プルトニウムの融点は、意外と低く、639.5℃(『理化学辞典』岩波書店))。わずか数キログラムの軽水炉プルトニウムでさえ約200ワットにも達し、より大型原爆ならば、数十キログラムのプルトニウムが必要となるため、発熱量は、1キロワットを越える。これでは熱設計・構造設計のしようがない。
もうひとつは、プルトニウム240からの自発核分裂中性子が少なくとも毎秒一万個と多く、部分的に早く核分裂が進行する早産原爆になりやすいこと。
兵器級プルトニウムを利用した長崎原爆は、安全のため、投下寸前に組み立てることにより、熱の問題に対応していた。原子炉級プルトニウムの場合、米科学アカデミー報告書(使用数分前に組み立てるか、あるいは、火薬の外側からの放熱を工夫するというような、単なる漠然とした考え方のみ)に記されているとおり、解決策は、いまだに、見出されていない。その問題を解決できる具体的な構造設計と熱設計が立証できなければ、軽水炉級プルトニウムで実用的な原爆ができると言えない。
米エネルギー省広報局資料には、米国の核兵器は、すべて兵器級プルトニウムを利用していることを明記されている。さらに、原子炉級プルトニウムを利用しない理由として、製造施設の建設にカネがかかり過ぎること、従事者の被ばくが多くなること、熱の問題、軍関連規制法問題等、現実的に対応できない深刻な問題があることも認めている。
米国は、プルトニウム生産炉で燃焼度を上げて、軽水炉級模擬プルトニウムを生成することができたはずだが、そうすると燃料被覆管破損の問題が生じるのか。しかし、当時の英国の商用炉でも五十歩百歩のはず。米国の意図が何だったのか分からない。「商用炉のプルトニウム」という事実関係が必要だったという政治目的以外に明確な理由は見出せない。
軽水炉の高燃焼度燃料の再処理で抽出されたプルトニウムを利用して現実的に管理可能で有効な原水爆が製造できると考えているひとは工学を知らない素人。兵器級の長崎の例を見よ! いまの時代、非常事態が生じてから数分間で組み立てるようなことをしていたら、相手に叩きのめされる。核戦争とはそのようなものだ。そんな愚行を選択する国はどこにもない。1万キロメートル離れた敵国にICBMで打ち込む数十分の間に、金属プルトニウムは、熱で溶融し、原水爆の機能を果たせなくなってしまう。
世界に軽水炉プルトニウムで製造した原水爆はひとつも存在しない。この現実が現実的運用の困難を証明している。
高木仁三郎『プルトニウムの未来』(岩波新書、1994)のp.10には、米科学アカデミーの報告書(1994)を引用して、「実質的に、いかなる組成のプルトニウムも核兵器製造のために利用できる」と、さらに、「つい最近まで、なかなか詳しいことが公表されなかったが、じつはアメリカは、実際に原子炉級のプルトニウムを用いて核実験を行っており、きちんとした核爆発を起こさせるのに成功している」と記されている。
前半の引用内容は、米国が核不拡散政策を推進するために主張している政治的戦略であって、実験的に証明されていない。その報告書には、続けて、「ただし、すべての組成が同様に便利であり有効であるわけではない」とも記されている。高木氏は意識的にこの部分を削除した。
後半の説明について、その実験は、1962年に実施されていた。その事実は、1977年に公表されていたにもかかわらず、高木氏は、意識的にその事実をふせて議論した。1962年に、米国には、確かに、シッピングポート、ヤンキーロー、ドレスデンという3基の商用軽水炉が運転中であったが、軽水炉の4メートルの長尺燃料を再処理できる商用再処理工場は、米国では、まだ、稼動していなかった。軍用再処理工場では、特別な手段を選択しない限り、軽水炉の長尺燃料は処理できない。米国初の商用ウエストバレー再処理工場は、1963年に着工し、1966年に稼動開始したはず。
よって、米国の核実験に利用されたプルトニウムは、米軽水炉の燃料を再処理して抽出した原子炉級プルトニウムではない。
では、そのプルトニウムの正体は、何か、誰でも疑問に思うはず。高木は、その問題を運動論の立場から悪用し、曖昧にして議論した。米エネルギー省広報局資料(1994)によれば、その「原子炉級プルトニウム」は、米英相互防衛協定の下に、英国から供給されたものであった。
1962年当時、英国には軽水炉はなかった。英国の最初の軽水炉は1995年に運転開始したサイズウェルBである。運転中の発電炉は、発電・プルトニウム生産二重目的炉のコールダーホール(1,2,3,4号機、黒鉛減速炭酸ガス冷却、電気出力各6万キロワット、天然ウラン燃料)とチャペルクロス(1,2,3,4号機、黒鉛減速炭酸ガス冷却、電気出力各6万キロワット、天然ウラン燃料)だけ。
コールダーホールでは、燃焼度900MWD/Tで燃料を取り出せば、プルトニウム239の割合は、92%になり、兵器級プルトニウムの割合の93%に近い物に、そして、コールダーホール改良型の日本の東海1号機は、燃焼度3000MWD/Tで、プルトニウム239が79パーセントでプルトニウム240が18パーセントとなる。
米エネルギー省広報局資料には、確かに、1970年代から、プルトニウム240が19パーセント以上(物理的根拠がない)のものが原子炉級プルトニウムと定義し直されたことが明記されているが、実験に利用されたものがそうであるとの直接的な証拠が何もない。米エネルギー省広報局資料ではプルトニウム同位体組成を機密にしている。第三者が確認できないものは学術文献でない。
よって、米国で1962年に実施された核実験は、原子炉級プルトニウムでない可能性もあり(現実的には東海1号機の条件のプルトニウム239が79パーセントでプルトニウム240が18パーセント)、実験に成功しても当たり前であって、特筆すべき情報でない。軽水炉プルトニウムとは、(1)軽水炉で生成され、(2)プルトニウム239が55-60パーセントであること、(3)プルトニウム240が25パーセント程度であること、(4)特に発熱への寄与の大きなプルトニウム238が1.3パーセント(兵器級の100倍)と高いこと等。しかし、英国の物はこれらの条件をまったく満たしていない。
公開されているどの文献にも、「米国は、これまで、軽水炉の原子炉級プルトニウムで核実験したことがない」と断言している。私の文献調査でもそのような結論になっている。実験データがない。軽水炉プルトニウムは、核不拡散政策の下で、予防原則に則り、安全側に管理されているだけ。
軽水炉の原子炉級プルトニウム(プルトニウム239の割合が約60%)では、克服困難なふたつの問題がある。
ひとつは、プルトニウム238のアルファ崩壊による加熱及びプルトニウム241がアメリシウム241に崩壊する時のアルファ崩壊とガンマ崩壊による加熱が大きすぎ(約200ワット)、プルトニウム球と周辺の起爆用火薬や電子制御系を溶融するほどの温度にしてしまうこと(金属プルトニウムの融点は、意外と低く、639.5℃(『理化学辞典』岩波書店))。わずか数キログラムの軽水炉プルトニウムでさえ約200ワットにも達し、より大型原爆ならば、数十キログラムのプルトニウムが必要となるため、発熱量は、1キロワットを越える。これでは熱設計・構造設計のしようがない。
もうひとつは、プルトニウム240からの自発核分裂中性子が少なくとも毎秒一万個と多く、部分的に早く核分裂が進行する早産原爆になりやすいこと。
兵器級プルトニウムを利用した長崎原爆は、安全のため、投下寸前に組み立てることにより、熱の問題に対応していた。原子炉級プルトニウムの場合、米科学アカデミー報告書(使用数分前に組み立てるか、あるいは、火薬の外側からの放熱を工夫するというような、単なる漠然とした考え方のみ)に記されているとおり、解決策は、いまだに、見出されていない。その問題を解決できる具体的な構造設計と熱設計が立証できなければ、軽水炉級プルトニウムで実用的な原爆ができると言えない。
米エネルギー省広報局資料には、米国の核兵器は、すべて兵器級プルトニウムを利用していることを明記されている。さらに、原子炉級プルトニウムを利用しない理由として、製造施設の建設にカネがかかり過ぎること、従事者の被ばくが多くなること、熱の問題、軍関連規制法問題等、現実的に対応できない深刻な問題があることも認めている。
米国は、プルトニウム生産炉で燃焼度を上げて、軽水炉級模擬プルトニウムを生成することができたはずだが、そうすると燃料被覆管破損の問題が生じるのか。しかし、当時の英国の商用炉でも五十歩百歩のはず。米国の意図が何だったのか分からない。「商用炉のプルトニウム」という事実関係が必要だったという政治目的以外に明確な理由は見出せない。
軽水炉の高燃焼度燃料の再処理で抽出されたプルトニウムを利用して現実的に管理可能で有効な原水爆が製造できると考えているひとは工学を知らない素人。兵器級の長崎の例を見よ! いまの時代、非常事態が生じてから数分間で組み立てるようなことをしていたら、相手に叩きのめされる。核戦争とはそのようなものだ。そんな愚行を選択する国はどこにもない。1万キロメートル離れた敵国にICBMで打ち込む数十分の間に、金属プルトニウムは、熱で溶融し、原水爆の機能を果たせなくなってしまう。
世界に軽水炉プルトニウムで製造した原水爆はひとつも存在しない。この現実が現実的運用の困難を証明している。