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社説

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老朽ダム撤去―「荒瀬」をモデルにしたい

 熊本県の蒲島郁夫知事が同県八代市にある県営荒瀬ダムについて、2年後に撤去工事を始めると表明した。

 長い間使われてきた大規模なダムの撤去は全国初だ。撤去費の負担や、環境に配慮した工法など、克服すべき課題は多いが、この経験は、これから不要になる他のダムの事例にも役に立つ。知恵を結集して乗り越えたい。

 荒瀬ダムは1955年、球磨川中流に発電専用として完成した。当時は県内の総需要量の16%を供給したが、その後の発電方式の多様化で現在は1%に満たない。

 この間、ダム湖には汚泥がたまり、悪臭や赤潮などが目立ってきた。アユなどの魚の遡上(そじょう)も妨げていると、地元住民は訴えている。役に立たなくなっただけでなく、環境に悪影響を与えているという声を受け、潮谷義子前知事が2002年に、10年から撤去にかかる方針を示した。

 ところが、08年に就任した蒲島知事が撤去と存続の費用の試算をやり直させたところ、撤去する場合の方が県の負担が53億円多いという結果になった。これを根拠に蒲島知事は、いったんは存続へと方針を転換した。

 しかし、来月末で失効する水利権の再取得に必要な地元の同意は、漁協の反対などで得られる見通しがたたなくなった。蒲島知事は存続の判断を撤回せざるを得なくなった。

 ダムの寿命はコンクリートの耐久性などから50〜100年前後とされる。国土交通省の8年前の調査では、1級河川にある発電用ダムは1551基。800余基が建設から50年以上たち、90年以上のダムが102基あった。寿命を迎えたり、機能が低下したりしたダムは廃止する時代を迎えている。

 それだけでなく、電力や水の需要の変化、水害対策の見直しによって、計画、建設された時点の必要性がすでに失われているダムもある。荒瀬ダムのように逆に地元に悪影響を与えているダムもあるだろう。

 ダムや橋などの老朽化した河川工作物の撤去について、前原誠司国交相は「国が撤去にかかわる仕組みづくりが必要で、夏までにまとめる」という。

 荒瀬ダムだけのことではない。政府と自治体が一緒に対策を考えなければ、全国でいずれ、うち捨てられたダムやコンクリート構造物が無残な姿をさらすことになる。

 自治体はまず現状をきちんと把握し、撤去した方が公益性が高いと判断されれば、工事計画や財源措置を考える。政府も低利融資や補助金などで支援する仕組みを整えるべきだ。

 鳩山政権のいう「コンクリートから人へ」を実現するには、ムダな公共工事をやめるだけでなく、務めを終えたコンクリートを地元と環境のために、賢く処分していくことも必要だ。

横浜事件―やっと過去と向き合った

 ようやく裁判所が過去の過ちと向き合った。そうであっても、何という長い時がたったのだろうか。

 戦時下で最大の言論弾圧事件とされる横浜事件で、横浜地裁は元被告5人について刑事補償を認める決定をした。実質的な「無罪」判断である。5人の名誉は、事件から68年ぶりに回復された。

 大島隆明裁判長は決定のなかで事件を「思いこみの捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と、総括した。

 事件をでっち上げた当時の特高警察については「違法な手法で捜査を進めたことには、故意に匹敵する重大な過失があった」と、厳しく指摘した。

 それだけでなく、検察については「拷問等の事実を見過ごして起訴したという点には、少なくとも過失があった」。裁判所についても「総じて拙速、粗雑と言われてもやむを得ないような事件処理がされた」と述べ、司法全体の責任を認めた。

 過ちを認めた判断は評価する。だが、元被告が再審を求めてから24年もかかってのことである。

 この事件では1942年から45年にかけて、言論・出版関係者約60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県警特高課に治安維持法違反容疑で逮捕された。凄惨(せいさん)な拷問によって4人が獄死した。

 最初の再審請求は86年。以後、戦前・戦中の行為を省みることをしない裁判所に、4次にわたる再審請求で挑んできた。明らかな冤罪をどう総括するかは、戦後の司法に突きつけられたリトマス紙のような意味合いがあった。

 裁判資料が焼却されて存在しないことなどを理由に門前払いが続き、再審が認められたのは2003年だった。元被告らは再審裁判での無罪判決を求めてきたが、法解釈に終始し実体的な審理は行われなかった。

 最高裁は08年「治安維持法の廃止」などを理由に、有罪、無罪を示さない「免訴」とした。

 振り返ればこの時が、最高裁が国民へのメッセージを出す最大の機会だっただろう。今回の決定のような総括によって、軍国主義の暴走を止めることができず、言論弾圧から国民を守ることを放棄していた責任を明確にしていれば、と残念である。

 ただ、最高裁は2裁判官の補足意見として、刑事補償によって実質「無罪」を得る道筋を示した。内心では、横浜地裁の決定と総括に安堵(あんど)していると信じたい。

 治安維持法の下での言論弾圧がいかに過酷だったか、この事件は思い起こさせる。一方、戦後になっても冤罪の歴史は続いている。裁判官、検察官ら司法関係者は今回の決定をしっかり受け止め、意味をかみしめてほしい。

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