きょうのコラム「時鐘」 2010年2月7日

 人には何か取りえがある。そう言うと、あの怖い目でにらまれそうだが、朝青龍の引退会見の一言が強く心に残る。「品格、品格と言われたが、土俵に上がれば鬼にもなる」

モンゴルの草原に鬼が出るのかどうかは知らない。が、人並み外れた体と腕力の男たちが、負傷を覚悟で闘うのは尋常なことではない。心に鬼もすみつく、と言われて、「鬼気迫る」という言葉が浮かんだ

ある画家から聞いた逸話を思い出す。剣豪小説の挿絵を描いた人は、画室で心を集中させ、血煙が漂う気配を察して初めて絵筆をとったという。タイを好んで描いた人は、腐り出して魚の形が崩れ、強い腐臭を放つ中でも、平然と筆を動かした。鬼気迫る姿である

画室も土俵も真剣勝負の場である。鬼にならねば、人の心を打つ仕事は残せないのだろう。土俵の外で暴れ出す鬼は困る。だから品格が求められる、と説教しても後の祭りだが、心に鬼を宿すからこそ光る品格もある

カネや権力の亡者はいるが、鬼気迫るひた向きさを見失ったような時代である。あの男にはそれがあった。後味の悪い引き際だが、土産は残していった。