歌好きの双子の看板娘〜リリーズ(1)
誕生前から決まっていた立ち位置
燕(つばめ)奈緒美と真由美、双子の姉妹デュオ。取材の冒頭、まずは姉妹の見分け方について聞いた。「子どものころから、私の方がずぅっと太っていたんですよね」と、姉の奈緒美さん。「でも、今はそうでもないんだよね。むしろ妹の方が太ったって逆に言われる……」
筆者の見たところ、姉がきりっとした顔立ち、妹はほんわりとした雰囲気。ただ、これも、どちらかと言えば、というレベルの話だ。一番分かりやすいのは、立ち位置も、座る場所も、常に姉が向かって左で、妹が右だということ。「デビュー前、歌のレッスンを受けていたころから、ずっとこの位置。何となく落ち着くんですね。母のおなかにいたころから、このポジションだったのかもしれません」
ただし、幼少のころの写真は別。どちらが姉で、どちらが妹なのか、今もって本人たちも「分からない」という。
2人は、1960年12月7日、炭鉱の町、北海道・夕張市に生まれた。「燕」という珍しい姓だが、先祖はもともと新潟・燕の出身で、曽祖父の代に開拓のため北海道に渡ってきたのだという。父親は、石勝線の清水沢駅近くで電器店「ツバメ商会」を営んでいた。「父は若いころ、カメラマンの土門拳さんに弟子入りしたいと真剣に考えたほどのカメラ大好き人間。趣味が高じて、カメラとか、家電とかを扱う店を開業したんです」
周囲が進言でオーディション
ここ2、3年、市の財政破綻で全国の注目を浴びている夕張だが、2人が子どものころは、まだ町に活気があった。「父は、『うちが町で一番最初にネオン管の看板を付けた店だ』と、よく自慢していました。北海道ではまだ珍しかった(オ―トバイの)ハーレーダビッドソンも持っていたんですよ」
駅前商店街の、かわいい双子の看板娘も、とにかくよく目立った。「店のウインドーの中に入って遊んだり、店番をしたり。いつもチョロチョロしていました」
店では、レコードも扱っていた。だから、いつも周りに音楽があった。「ガロの『学生街の喫茶店』とか、チェリッシュとか、シモンズとか。あと、ブルース・リーの映画『燃えよドラゴン』のテーマ曲。飛ぶように売れました」
姉妹も、物心ついたころから、「話している時より、歌っている時の方が長い」と言われるほど、よくデュエットしていた。
そんな姿を見た近所の人や、店に出入りするセールスマンが両親に進言した。「歌の道に進ませたらどうですか」と。親もその気になった。ある日、「出かけるよ」と言われて車で向かった先は、日本を代表する芸能事務所、渡辺プロダクションが札幌で行ったオーディションの会場。2人が12歳の時だった。(次号に続く)
(中央公論新社 増沢一彦)
1975年、14歳の時に『水色のときめき』でデビュー。2作目の『好きよキャプテン』が大ヒットし、双子アイドルとして人気を集める。テレビの『ズバリ!当てましょう』や時代劇『銭形平次』にもレギュラー出演した。20歳の時に所属していた渡辺プロダクションから独立。その後、歌手活動を中断していた時期もあったが、2005年に本格的に活動を再開した。ふるさと・夕張の再建支援活動にも励んでいる。
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- 札幌のHIRO
- 2009年04月23日 19:19
稚内のホテルでこのHP見ました!
リリーズさんは夕張を応援すべく頑張ってますよね!
昨年は夕張・札幌・歌志内ロマン座でコンサートを
開催してCD・グッズの販売収益の中から
夕張にチャリティー募金もされてます!花畑牧場の生キャラメル工場が夕張にオープンしましたが
オープニングにリリーズさんが呼ばれ無かったのは残念!
な〜んとなくGWにはリリーズさんが夕張に?
1日工場長でも1日ショップ店長さんでも・・・?よしたけさん!
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- ノブノブ。
- 2009年04月25日 02:44
リリーズのお二人と同じ歳です。
デビューの翌年の15の歳に【熱い想い】とともにファンとして歩み始めました。そして四半世紀ぶりのお二人の再始動で再会出来たのが、昨年の5月。
【感激】に心が震えました。
あの15歳の時の【ときめき】が、また蘇ってきたのです。
心はその時のままだったのです。
その時代にファンで、まだいらしていない方、是非ライブに参加をしてみて下さい。私と同じような【感動】を味わえる筈です。
きっと…。
連載、次回以降も楽しみにしております。
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- すずらん
- 2009年04月25日 19:00
初めて見た時は、その妖精のような可憐さと愛くるしさにびっくり。いっぺんでファンになりました。最近の若い人は知らないかも知れませんが、彼女たち、本当に可愛かったんですよ。おとぎの国から出てきたようでした。今のタレントにはないタイプですね。
同じ昭和35年生まれだし、この30数年間ずっと応援してましたよ。
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- S35生・清水沢中学校卒業者
- 2009年04月28日 14:04
高校生の頃までツバメ商会では、良くレコードを買いました。
閉店セールの時は、母が電気スタンドを買ってきたのを覚えてます。
当時の清水沢商店街は夕鉄バスや三菱のバスが行き交い、清水沢駅も乗換駅として賑わっていました。
炭鉱が栄え、活気があり、夕張にとって本当に良き時代でした。
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- ラッキー
- 2009年06月27日 11:04
初めてコメントさせて頂きます。ラッキーと申します。
私もほぼ同じ年代ですが(昭和36年5月生まれ)、当時のことは今でもはっきり覚えていますし、リリーズの応援にも毎日のように行かせて頂きました。当時お二人の真っ白なベレー帽をちょこっと頭にのせ、可愛らしく歌う姿が印象に残っています。
私はその頃は埼玉県の大宮という所に住んでいましたが、リリーズが銀座の東芝銀座セブンや、銀座メイツなどでミニコンサートなどを開くたびも応援に行かせて頂きました。いまでもリリーズのCDを聞き、当時の懐かしい思いを楽しんでおります。とにかくお二人の純粋で素朴な性格に惹かれました。ありがとうございました。
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