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青春グラフィティ

100万ドルの微笑で売り込む〜石野真子さん(2)

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いよいよデビュー、恥ずかしさ忘れ必死

 

 日本テレビ系列で放送されていた視聴者参加型の歌手オーディション番組「スター誕生!」に見事合格し、1年後、いよいよ念願だった歌手の道へ。ただ、実際にデビューするまではめまぐるしく環境が変わり、戸惑うことも少なくなかった。「スター誕生!」合格からデビューまでの1年間を、今改めて振り返ってもらった。

 ――「スター誕生!」の決戦大会で(レコード会社や芸能プロダクションの)16社からスカウトの意思を示されたのには、(プラカードが)こんなに揚がるなんて、もうビックリでした。うれしかったですね。これでホントにデビューできるんだ、このときを待ってましたって、そんな感じでした。

 ――所属する事務所なんですが、16社の中から、最終的にバーニングプロダクションを選ばせてもらいました。何かホントに素人判断なのですが、バーニングには先輩に郷ひろみさんがいらっしゃるから大丈夫じゃないか、と思ったんです。もちろん両親や周りのスタッフの方とも相談して決めましたが、当時の事務所の専務さんから「当社はあなたを将来、こういう風にしたい」という温かいお手紙をいただき、ここだったら安心、みたいな気がしました。

 ――デビュー曲は作詞が阿久悠さん、作曲が吉田拓郎さんの「狼なんか怖くない」だったんですが、どんな歌なのか、一刻も早く聴きたいと兵庫の実家で心待ちにしていたところ、拓郎さんが歌ってくださったデモテープを電話で聴かせてもらったんです。あっ、これが私の歌なんだ、デビュー曲なんだって、すごく感激したのを覚えています。

 ――デビュー直前に上京して日本テレビ音楽学院に通いながら、夜は事務所に行ってお茶くみみたいなことをしていました。デビュー曲と顔を覚えてもらうために、社長から「お前、歌え!」と言われ、スタッフとか出入りのお客様の前で、アカペラでデビュー曲をよく歌いました。恥ずかしいっていうよりも、何でも「ハイ!」みたいな、何かこう「やるんだ」って感じで。一生懸命でした。
 

田舎出の少女という感じの写真にがっくり

 

 ――デビューレコードのジャケット写真は、篠山紀信さんに撮影していただきました。赤坂のおしゃれな公園での撮影で、スタイリストさんも付いてくれたのですが、田舎から出てきたばっかりで、洗練されてなくて、出来上がったジャケット写真を見ると、なんか眠たそうで「ホニョー」っとした顔していて、「アーア」って思いました。せっかく、あんな有名なカメラマンに撮っていただいたのに、ホントにがっくりでした。

 ――その頃、写真もいっぱい撮り始めるようになって、髪形はこういう風にしましょうかとか、美容院はここがいいとか、衣装はメルヘンチックな感じにしましょうかとか、そういう毎日でした。だから、私が歌でデビューするっていうよりも、周りのスタッフが一生懸命に「石野真子」を作ってくれてるって感じで、それについて行くのに、もう必死でした。

 そして、ついに歌手デビューの日がやってきた。1978年3月25日、石野さんはデビュー曲「狼なんか怖くない」をビクターから発売する。当時17歳の少女につけられたキャッチフレーズは「100万ドルの微笑」。少しタレ気味の目と八重歯がチャームポイントで、キャッチフレーズ通りの微笑を振りまいて、アイドルへの階段を駆け上っていく。  (次号に続く)

(読売新聞 松崎剛)

石野真子プロフィル

いしの・まこ 兵庫県出身。血液型はA型。1978年3月、「狼なんか怖くない」で歌手デビュー。その年の音楽祭の新人賞を総なめにし、トップアイドルに。テレビやラジオを中心に活躍するが、81年、結婚を控えて芸能界を一時引退。83年に女優として復帰、テレビドラマのほか、映画や舞台にと活動の場を広げる。2003年にアルバム「Truth」をリリースし、現在は、ライブなどの音楽活動にも力を入れている。

2009年04月01日  読売新聞)
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