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青春グラフィティ

ただただ、歌手になりたくて〜石野真子さん(1)

自宅倉庫でひたすら歌ったデビュー前

 
 

 石野真子さんは2003年に、アルバムをリリースしてから、本格的に音楽活動を再開させた。今は年数回のペースで、ライブも行っている。そのライブを聴きにくる人の中には、「ドラマを見ていて好きになりましたが、歌っているなんて全然知らなかった」「ドラマではお母さん役が多いけど、昔はアイドルだったんですね」などと話す若い人も少なくないという。今からざっと30年前。歌手としてデビューした石野さんはまぎれもなく、時代を駆け抜けたアイドルだった。

 ――子供の頃からずっと歌手になりたいと思っていました。家でビーズのハンドバッグを作っていて、家業は忙しかったのですが、そのお手伝いをしながら、家事もしながら、そのほかはもう勉強もせず、全部、歌うことに費やしていました。

 ――歌う場所は、自宅の奥の、段ボールとかをいっぱい置いてある、3畳ぐらいの狭い倉庫。そこでいつも、レコードをかけてはひたすら、何回も何回も歌っていました。譜面を見て勉強するとかではなく、音楽の仕組みみたいなことは一切お構いなしで、ただひたすら、毎日、歌っていました。

 ――その頃は、そうですね、ソノシートか何かで雑誌の付録に付いていた、林寛子さんの「素敵なラブリーボーイ」とか、アグネス・チャンさんの「ひなげしの花」とかを、よく歌いましたネ。お金がないから、そんなにいっぱいレコード買う余裕はなかったのですが、初めて荒井由実さんの「あの日にかえりたい」を買った時は、嬉しくて、もうドキドキでした。
 

「スター誕生!」、16社がスカウトの意思

 
歌謡大賞の新人賞を受け、喜びいっぱいに突っ走る。1979年3月13日撮影

 「どうしても歌手になりたい」と願っていた少女の、夢をかなえるドアを開いてくれたのは、日本テレビ系列で放送されていた視聴者参加型の歌手オーディション番組「スター誕生!」だった。

 ――当時、「花の中三トリオ」で山口百恵さん、桜田淳子さん、森昌子さんがいたんですが、それまで素人だった人がデビューして、どんどん活躍している姿はすごく眩しくて、憧れでした。3人ともそのきっかけを作ったのが「スター誕生!」。この番組に出たら、もしかして私もデビューできるんじゃないか、って思いました。

 ――実は、「スター誕生!」に出る前に、ほかの「全日本歌謡選手権」って番組に挑戦したんですが、10週勝ち抜かなければならないところを、1週目で落ちちゃいました。(審査員だった)淡谷のり子さんからは「あなたは歌手に向いていない」って言われたんです。でも、もちろん、歌手になることはあきらめきれませんでした。

 ――「スター誕生!」で歌ったのは、ダニエル・ビダルの「天使のらくがき」です。その頃って、オーディションではみんな百恵さんとか淳子さんの歌ばかり歌うので、ちょっと変わった歌を歌ったら、目立つんじゃないかと思って。で、この「天使のらくがき」はそれこそ、何千回、何万回と歌って、練習したんですよ。

 予選会、本選を勝ち抜いた石野さんは、最終審査の決戦大会も見事にクリアする。芸能プロダクションやレコード会社のスカウトたちを前に、「一生懸命歌いました。よろしくお願いします」と頭を下げると、実に16社がプラカードを揚げ、スカウトの意思を示した。この時、高校1年生。新たな「スター誕生」の瞬間だった。(次号に続く)

(読売新聞 松崎剛)

石野真子プロフィル

いしの・まこ 兵庫県出身。血液型はA型。1978年3月、「狼なんか怖くない」で歌手デビュー。その年の音楽祭の新人賞を総なめにし、トップアイドルに。テレビやラジオを中心に活躍するが、81年、結婚を控えて芸能界を一時引退。83年に女優として復帰、テレビドラマのほか、映画や舞台にと活動の場を広げる。2003年にアルバム「Truth」をリリースし、現在は、ライブなどの音楽活動にも力を入れている。

2009年03月25日  読売新聞)

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