「燃えろアタック」人気、衰えず〜荒木由美子さん(4)
大歓迎されたヒロイン・小鹿ジュン
「荒木さんに、ぜひ中国に来てほしい」。
中国のIT起業家から、夫である湯原昌幸さんの所属事務所に、こんな国際電話があったのは、義母・吉のさんが亡くなって、しばらくしたころだった。
芸能界から退いて20年、しかも中国から、どうしてラブコールが?
起業家は続けた。「僕らは、テレビドラマ『燃えろアタック』の大ファンなのです。今の中国経済を支えている40代前後の人たちは、あのドラマを見て青春時代を過ごしました」
『燃えろアタック』とは、1979年1月から80年7月まで、テレビ朝日系列で放送されたスポーツ根性ドラマ。荒木さんは、バレーボールに情熱を傾けるヒロイン、小鹿ジュンを演じた。「放送は最初、半年間の予定でしたが、視聴率がどんどん上がって25%を超え、放送も延長されたのです」
 中国では、『排球女将』(バレーボール女子キャプテンの意)のタイトルで繰り返し放送され、ヒロインの根性と努力は多くの視聴者の心を打った。先の起業家は当初、荒木さんのことを「小鹿ジュン」の名で捜していたという。中国では、もはや「役」が独り歩きしていたのだ。
 
燃え尽きかけた心が再燃
電話をもらった当時、荒木さんが一種の虚脱状態にあったことは、前回記した。「それまでの20年間、介護のために、ほとんど家の中という狭い世界にいたので、違う土地に行くのもいいかな、という気になった」
訪ねてみて驚いた。上海でも、北京でも、杭州でも熱烈歓迎。しかも、幼稚園児から老女まで、ファン層が実に幅広い。「私が10代のころ、応援してくださる方々から感じた熱気が、中国にそのままあったのです。何しろ、私を呼んでくれた起業家の方のビルには、小鹿ジュンが特訓で逆立ちをしていたことにならって、“逆立ちルーム”まであったのですから!」
日本で燃え尽きかけていた心が、再び燃えた。そして、帰りの飛行機の中で思った。「これを何かのきっかけにしたい。よし、介護の体験を字にしてみよう」
その思いは翌年、『覚悟の介護』として実を結ぶ。
先月20日、北海道・キロロリゾートのホテルで、荒木さんのトークショーが行われた。集まったのは、中国からの観光客約80人。日本の旅行会社が組んだ北海道滑雪&温泉ツアーのオプション企画として開催されたのだ。「小鹿ジュン=荒木由美子」の人気は、少しも衰えていなかった。
参加者には、『覚悟の介護』の中国語版をプレゼント。著書のサインを求める長い列ができた。「きらびやかなことは、もう考えていません。すべてに身を任せ、私が出て行けるところがあれば、出て行きたい。それと、湯原さんも62歳。サラリーマンなら定年退職している時期です。そんな1人の男性をしっかり見つめながら、前に進んで行きたいですね」
この人の生き方に、ブレはない。
(中央公論新社 増沢一彦)(おわり)
あらき・ゆみこ。1960年、佐賀県生まれ。1976年9月に「第1回ホリプロ・タレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞して芸能界入り。同期生に同キャラバンでグランプリに輝いた榊原郁恵らがいる。歌手として『渚でクロス』『ヴァージン ロード』『うつらうつら』などを発表。ドラマやバラエティー番組などでも活躍するが、1983年、結婚を機に芸能活動から退いた。2004年、義母の介護体験をつづった著書『覚悟の介護』を出版した。