安全パイだった湯原昌幸さんと結婚〜荒木由美子さん(2)
「恋の相手ではない」と周囲も安心
13歳年上の湯原昌幸さんと知り合ったのは、20歳を過ぎたころだった。
グループサウンズ「スウィング・ウエスト」の元ボーカルの湯原さんは、『雨のバラード』などのヒットでも知られる歌手で、バラエティなどもこなすタレント。愛嬌のあるルックスと人柄で、テレビ番組でも人気者だった。
「当時、湯原さんがメーンで、私たち若いタレントがゲストという番組が、いっぱいありました。湯原さんは、私たちを分け隔てなくかわいがってくれました」
ドラマのリハーサルで、TBSに行った時のこと。廊下を歩いていたら、スタッフに呼び止められた。「由美子、今、別のスタジオで湯原さんが歌っているから、ちょっとだけ行ってみない?」
のぞいてみると、昼の歌番組『シャボン玉こんにちは』の収録で、湯原さんが本番に臨んでいるところだった。
「湯原さんが歌い終わってパッと振り返った所に私が立っていたんです。すると、湯原さんの顔が見る見るうちに真っ赤になった。まるで、ゆでダコみたいに(笑)」
やがて、ドラマの収録に入ろうかというころ、「皆で食事に行こうか」と誘われた。一般的に若いタレントと共演者との関係に対して、芸能プロのスタッフは神経を使う。しかし……。
「湯原さんについては、恋心を抱くような相手では100%ない、とホリプロのスタッフも思っていたようです。つまり、湯原さんは誰もが心配しない安全パイだったわけで(笑)。実際会ってみて、こんなに自由でのびのびとしていて、楽しい人がいるんだな、と思いました。ただ、当時は恋心じゃないんですよ、私は。ああ面白い人だな、優しい人だな、という感覚でした」
その後、2人で食事をしたり、映画を見に行ったりしているうちに、さすがに「これってデートみたいだな。中途半端な気持ちじゃいけないな」と思うようになった。
彼のまじめさが分かり付き合い開始
「そこで、自分の心よりも、相手の気持ちを探ってみようと思い、ある日、『まじめなお付き合いなら、私も考えさせてもらいますが、遊びの1人でしたら、私はそういう相手ではありません』と言ったんです。生意気ですよね、22歳ぐらいで。すると湯原さんは『失礼だ!』と、すごく怒った。その時に彼のまじめさを感じました。私もまじめにお付き合いさせていただこうと」
1983年に2人は結婚。荒木さんは芸能界から引退した。しかし、この後、荒木さんには「義母の介護」という大きな試練が待ち受けていた。「結婚を決めて、芸能界を去ります、と言った時点で周囲の大人たちが引いていくのを感じました。世の中、そんなに優しくないですよね。もう戻るところはない。でも、それはまさに私自身が決めたこと。だから、介護という現実を突きつけられても、負けるわけにはいかなかったのです」
後に介護体験をつづった著書の題名通り、それは『覚悟の介護』だった。
(次号に続く)
(中央公論新社 増沢一彦)
あらき・ゆみこ。1960年、佐賀県生まれ。1976年9月に「第1回ホリプロ・タレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞して芸能界入り。同期生に同キャラバンでグランプリに輝いた榊原郁恵らがいる。歌手として『渚でクロス』『ヴァージン ロード』『うつらうつら』などを発表。ドラマやバラエティー番組などでも活躍するが、1983年、結婚を機に芸能活動から退いた。2004年、義母の介護体験をつづった著書『覚悟の介護』を出版した。