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青春グラフィティ

アイドルから脱皮、広がる仕事 〜石川ひとみさん(3)

念願の紅白歌合戦に出場

2008年12月撮影

 デビューから3年たった1981年に生まれた大ヒット作「まちぶせ」は、ひそかに思いを抱く人、少女が切ないほどの気持ちを吐露するという歌だ。

 テレビから流れてきたメロディーを忘れない人がいるのはもちろんのこと、当時はまだ生まれていなかった今の若者でも知っている人が多い。年代を超えて長く歌い継がれているヒット曲である。

 ――いい曲だと思う一方で、なんて難しい曲なのだろう、とも思いました。ただ歌い上げるという感じではなくて、ナチュラルな中に芯のしっかりした女の子がいてっていう流れの曲なので、サラッと淡々と歌うのを心がけました。レコーディングのとき、それまで経験したことのないような感覚、なんかすごく自分にマッチした、ピッタリ来ちゃったみたいな感覚があったのを覚えています。

 この年、全日本有線放送大賞の特別賞を獲得、念願だったNHK紅白歌合戦にも出場した。翌年からはNHKの歌番組「レッツゴーヤング」の司会も務めるようになる。単なるアイドルから脱皮し、仕事の領域もどんどん広がっていった。 

 ――紅白歌合戦のことは、今も忘れません。NHKホールのお客様の歓声がすごくて、ライティングも明るくて、お客様もよく見えました。出場できたのはやっぱりうれしくて、とにかく一生懸命歌いましたが、感情が高ぶって、グッと来ちゃいました。わたし、すごく感動しやすいんです。

 

1か月半の入院、不安な日々

 

 しかし、いいことばかりは続かない。アイドルの絶頂期にいた石川ひとみさんには、過酷とも言える運命が待ち構えていた。87年、ウイルス肝炎のひとつであるB型肝炎を発症し、一か月半の入院を余儀なくされる。この病気のため所属事務所の契約も打ち切られ、芸能活動は休止せざるを得なかった。

 ――発症する一年か二年前に母子感染によるB型肝炎のキャリアであることは知らされていたのですが、発症して入院しなくちゃいけなくなったときは、「まさか自分が」って驚いたし、やっぱりショックでした。この病気がどういう経過をたどっていくか、いつ治るのかっていうのがよくわからなかったし、これからどうやって歩いていこうかなという不安もあって、自分の気持ちをコントロールするのが難しかったですね。

 「とにかく一日も早く治るように努力するしかない」。もう仕事どころではなかった。

(次号に続く)

(読売新聞 松崎剛) ※撮影協力 ホテルストリックス東京・バー「ポットベリー」 

 

石川ひとみプロフィール

愛知県出身。誕生日は9月20日で、おとめ座。1978年5月、「右向け右」で歌手デビュー。81年4月にリリースした「まちぶせ」が大ヒットする。87年にB型肝炎を発症し、いったん芸能活動を休止するが、その後、復帰。93年に闘病記「いっしょに泳ごうよ」(集英社)を出版。B型肝炎についての講演を続ける一方で、CDアルバム「みんなの一五一会」シリーズのリリースなど、地道な歌手活動を展開している。

2009年02月12日  読売新聞)

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