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青春グラフィティ

新人賞相次ぐも大ヒットには遠く 〜石川ひとみさん(2)

 歌うことの楽しさを実感する日々

2008年12月撮影

 1978年にデビューした石川ひとみさんは、その年、多くの新人賞を獲得する。銀座音楽祭・大衆賞、新宿音楽祭・銀賞、横浜音楽祭・新人賞、そしてFNS歌謡祭・最優秀新人賞。翌年からはNHK人形劇「プリンプリン物語」の主役の声を演じ、主題歌も歌った。が、肝心のレコードの方はしばらく、大きなヒットには恵まれなかった。

 ――デビューしたての頃は、もう訳がわからなくて、今、自分がどこで何をしているのかって、感じでした。レコーディングの楽しさというか、歌う楽しさというのはすごく感じていたのですが、そのほかのことというのは何にもわからない状態でした。

 当時はアイドルの全盛時代。キャンディーズは解散してしまったが、ピンク・レディーが国民的人気を博し、メガヒットを次々に世に送り出した。若い男性ファンがコンサート会場にあふれ、テレビ局の出入り口でアイドルを待ち受ける光景が見られたのもこのころのことだ。
山口百恵さんは結婚のため80年に引退するが、10月の最終公演に向け、百恵フィーバーを巻き起こした。

――アイドルって呼ばれることに、特に意識はしていませんでした。別に、アイドルになりたかった訳ではないので。確かに当時はアイドルと呼ばれる人が多くいたのでしょうけれど、私自身は、結果的にそういう風になったかなという感じ、です。
 

10枚目の「まちぶせ」で大きく脱皮

デビュー当時のワンショット
 

 

 デビューから3年。最初の「右向け右」から数えて10枚目となるシングルが、どちらかと言えば「歌よりも容姿」と見られがちだったアイドルを、大きく脱皮させることになる。♪夕暮れの街角 のぞいた喫茶店――。81年4月にリリースした荒井由実作詞・作曲の「まちぶせ」である。
 この年の4月、筆者は記者としてスタートした。取材に駆け回る中で、街角や喫茶店で「まちぶせ」をしばしば耳にし、今でもメロディーがよみがえることがある。 

 ――「まちぶせ」はもともと三木聖子さんが歌っていたのですが、高校時代、名古屋の東京音楽学院に通っているとき、三木さんが同じ渡辺プロダクションの先輩ということで、私自身もレッスンでよく歌わせてもらっていたんです。最初にその曲を聴いたときは、うわっ、なんていい曲なんだろう、って思いました。私も経験したことのあるような詞の内容で、もう、すごくいいな、と。

 ♪好きだったのよ あなた 胸の奥でずっと――。この詞は、石川さん自身の「まちぶせ」への思いを代弁していたかのようでもある。  (次号に続く)

(読売新聞 松崎剛) ※撮影協力 ホテルストリックス東京・バー「ポットベリー」
 

 

石川ひとみプロフィール

愛知県出身。誕生日は9月20日で、おとめ座。1978年5月、「右向け右」で歌手デビュー。81年4月にリリースした「まちぶせ」が大ヒットする。87年にB型肝炎を発症し、いったん芸能活動を休止するが、その後、復帰。93年に闘病記「いっしょに泳ごうよ」(集英社)を出版。B型肝炎についての講演を続ける一方で、CDアルバム「みんなの一五一会」シリーズのリリースなど、地道な歌手活動を展開している。2007年12月には、デビュー30周年を記念した「with〜the best of 一五一会」を発売した。

2009年02月04日  読売新聞)

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