自分も親もびっくりのデビュー〜石川ひとみさん(1)
「どうしても歌手に」ではなかった
「普通の女の子に戻りたい」と引退を表明し、キャンディーズが後楽園球場(現・東京ドーム球場)で最終公演を行ったのは1978年4月。当時人気絶頂だったアイドルグループが去って、その一か月後、石川ひとみさんは「右向け右」で歌手デビューを果たす。大きな瞳に、愛くるしい笑顔。新しいアイドルの誕生だった。
――デビューのきっかけは、あのころの人気番組、フジテレビの「君こそスターだ!」で7週勝ち抜いたことでした。私は愛知県出身で、高校時代、渡辺プロダクションの東京音楽学院名古屋校に通っていたのですが、渡辺プロダクションの新人オーディションに受かったことで、番組のディレクターから、「君こそスターだ!」に出てみないか、と誘われたんです。
――でも、私の高校は風紀が厳しい女子高だったので、テレビになんか出られませんと、最初はお断りしました。そしたら、「この番組は名古屋では放送されてないから、大丈夫」と言われて。じゃあ、出てみようかと。後で高校にもちゃんと話したら、校長先生からは「頑張ってきなさい」と励まされました。
小学校から中学にかけて天地真理さんが大好きで、天地さんのレコードをかけてはよく一緒に歌っていたという。「歌手になりたい」と憧れてはいたが、「まさかなれるとはまったく思っていなかった」少女は、しかし、見事に7週を勝ち抜いて、歌手の扉を開くことになる。
歌詞間違えVTR止めても合格
――誰一人、7週も勝ち抜けるなんて、予想もしていませんでした。親もそうですし、何より私自身が、本当にびっくりしました。番組は生放送ではなくてVTR撮りだったのですが、一週目の時の本番で歌詞を間違えてしまって、「すみません」と手を挙げて、途中で歌うのをやめちゃったんです。結局、もう一度歌わせてもらいましたが、ディレクターは「今までたくさんの出場者がいたけど、VTRを止めたのは君だけだ」とあきれていました。
一週目に歌ったのは岩崎宏実さんの「ドリーム」。アイドルが、また新しいアイドルを呼ぶ。当時は、そんな時代だったのかもしれない。
(次号に続く)
(読売新聞 松崎剛) ※撮影協力 ホテルストリックス東京・バー「ポットベリー」
愛知県出身。誕生日は9月20日で、おとめ座。1978年5月、「右向け右」で歌手デビュー。81年4月にリリースした「まちぶせ」が大ヒットする。87年にB型肝炎を発症し、いったん芸能活動を休止するが、その後、復帰。93年に闘病記「いっしょに泳ごうよ」(集英社)を出版。B型肝炎についての講演を続ける一方で、CDアルバム「みんなの一五一会」シリーズのリリースなど、地道な歌手活動を展開している。2007年12月には、デビュー30周年を記念した「with〜the best of 一五一会」を発売した。