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青春グラフィティ

子連れ芸能活動に波紋そして試練〜アグネス・チャンさん(最終回)

米スタンフォード大学の卒業式で(1992年)

 エチオピアの難民救済キャンプを訪ねた翌年、所属プロダクションの社員と結婚。同じ年に長男が誕生した。妻として母として、また芸能人として多忙な日々を送る中、子育てと仕事の両立に関する彼女の姿勢が、思わぬ波紋を広げることになる。

 子連れ出勤や職場への託児所設置の必要性などについての発言が、「芸能人のわがまま」などと、バッシングの標的になり、子連れで仕事をすることの是非を問う「アグネス論争」にまで発展したのだ。

 本人は、「女性が子育てをしながら仕事を続けるには、どうしたらいいのか」を簡潔に述べたつもりだった。だから、「なぜ理解してもらえないのか」という疑問をぬぐえなかった。そんな時、友人を通して出会ったのが、米スタンフォード大学のマイラ・ストローバー教授だった。教授は、こう声をかけてくれた。「私の下で、経済の側面から男女の問題や利害関係の歴史を勉強してみたらどうですか。そうすれば、今回の論争も無駄にはならない。このままだと、ただの騒ぎで終わってしまいますよ」

 1992年に同大学の博士課程を卒業。2年後には、教育学博士号を授与された。

51歳から相次ぎ病魔に襲われた

北京の人民大会堂で熱唱(2007年)

 日本デビュー35周年を翌年に控えた2006年。51歳になったアグネスを次に襲ったのは、病魔だった。右あごの裏にある唾液(だえき)腺の腫瘍(しゅよう)。35周年記念シングルを録音した2日後、香港の病院で摘出手術を受けた。

 後遺症の顔面まひにも苦しんだ。一方で朗報もあった。日中国交回復35周年を記念した北京・人民大会堂での公演。当初は2007年9月開催の予定だったが、中国側の事情で1か月延期に。これが逆に幸いした。延期で体が空いたある日、右胸に小さなしこりがあることに気づく。「乳がん」だった。急ぎ10月1日に手術。早期発見のおかげで、月末には人民大会堂の舞台に立つことができた。81歳の母も、香港から駆けつけた。「すごく喜んでくれた。歌、うまくなったねって(笑)」

恵まれない子供のため燃焼したい

 人気絶頂の中での海外留学、復帰後の低迷、バッシングの嵐、重い病……。いろいろなことがあった。しかし、どんな試練も、前向きな考え方と盛んな向学心で乗り越えてきた。「もちろん、家族の支えも大きい。でも、やっぱり世界の子どもたちの存在かな。どんなに自分が苦労をしても、アフリカやアジアの恵まれない子たちと比べれば、大したことはない。私の残り時間がどのくらいあるか分からないけれど、できるだけそれを、人のために使えたらと思う」

 インタビュー後、「好きな言葉を」と差し出した色紙に、「毎日が誕生日」と書いた。「これまでは、生きているのが当たり前だと思っていた。でも、今は違う。一日一日を新鮮に生きたい」

その笑顔は、どこまでも愛らしかった。(おわり)


 

(中央公論新社  増沢一彦)

アグネス・チャン

香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビューし、一躍アグネスブームを起こす。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学科)を卒業。84年 国際青年年記念の平和論文で特別賞を受賞。85年 北京チャリティーコンサートの後、食料不足で緊急事態にあったエチオピアを取材。その後、芸能活動だけでなく、ボランティア活動、文化活動にも積極的に参加する。89年 米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。教育学博士号( Ph.D.)を取得。現在は歌手活動のほか、エッセイストや日本ユニセフ協会大使などとして幅広く活躍している。

2009年01月21日  読売新聞)

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