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青春グラフィティ

難民キャンプで学んだボランティアの心 〜アグネス・チャンさん(3)

 1978年に芸能界復帰後、思うようにいかない中で足を運んだ母のふるさと、中国・貴州省の町。そこで彼女を出迎えてくれたのは、地元の子どもたちだった。しかも、アグネスが台湾で録音した『帰ってきたつばめ』を合唱して――。涙が止まらなかった。「歌というのは、ヒットするとか、しないとかじゃなくて、人と人との心を結びつけるためにあるもの。それがよく分かった」

 ボランティアへのこだわりも、自分のわがままによるものだと感じ始めた。「実力がついてからでないと、人を助けることもできないはず。ただ単に『ボランティアをやりたい、やりたい』だけじゃ、やっぱりわがままですよね」

嫌だったバラエティーに出演

 帰国後、所属プロダクションに「これからは、わがままを言わずに仕事をします」と申し出た。実際、曲のPRのためにスーパーマーケット回りもした。「階段で歌ったり、レジの近くで歌ったり。人が集まってくれば、屋上や駐車場で歌わせてもらえた。こうしたことを積み重ねて、ホールとか会館とかに戻ることができたんです」

 敬遠していたテレビのバラエティー番組にも、出るようになった。「私が話せば話すほど、皆が笑う。どうやら私は天然ボケの走りだったようで(笑)。レギュラー番組が増えていくうちに、会社もボランティア活動を大目に見てくれるようになった」

有名人のあなたの役目を自覚なさい

エチオピアのシリンカ難民救済キャンプで(1985年)

 そして1985年、日本テレビ系「24時間テレビ」の総合司会者として、エチオピアの難民救済キャンプを訪ねる。そこで目の当たりにした悲惨な状況が、彼女を後に日本ユニセフ(国連児童基金)協会大使などの活動へと走らせる。

 当時、エチオピアは内戦状態にあり、しかもひどい干ばつに見舞われていた。目の前で子どもがバタバタと倒れ、やせ細った人たちが、砂嵐の中をさまよっていた。あまりの衝撃に、食べ物がのどを通らなくなった。しかし、日本から一緒に来た看護師は、同情してくれるどころか、厳しい言葉を彼女に発した。「あなたが病気になったら、私が面倒を見なきゃいけないのよ。もう手いっぱいなんだから。あなた、いったい何しに来たのよ」と。

 さらに、容赦のない言葉が続く。「少しでも子どもたちに申し訳ないという気持ちがあるのなら、与えられている役目を果たしなさい。有名人のあなたの役目は、現実を伝えることでしょ。日本に帰って、この状況をきちんと伝えなさい」

 アグネスは、今も中央アフリカでエイズの子どもたちに手を差し伸べているこの看護師を、心から尊敬している。

(次回に続く)


 

(中央公論新社  増沢一彦)

アグネス・チャン

香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビューし、一躍アグネスブームを起こす。上智大学国際学部を経て、カナダのトロント大学(社会児童心理学科)を卒業。84年 国際青年年記念の平和論文で特別賞を受賞。85年 北京チャリティーコンサートの後、食料不足で緊急事態にあったエチオピアを取材。その後、芸能活動だけでなく、ボランティア活動、文化活動にも積極的に参加する。89年 米国スタンフォード大学教育学部博士課程に留学。教育学博士号( Ph.D.)を取得。現在は歌手活動のほか、エッセイストや日本ユニセフ協会大使などとして幅広く活躍している。

2009年01月14日  読売新聞)

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