【福島良一メジャーの旅】引退R・ソンソンはやっぱり最強左腕

2010.01.09


Dバックス時代のランディ・ジョンソン。その体同様、“長い”野球人生を全うした(リョウ薮下撮影)【拡大】

 新年早々、メジャーからビッグニュースが飛び込んできて、正月気分も吹っ飛んだ。あの「ビッグユニット」の愛称で知られる最強左腕ランディ・ジョンソンが引退したのだ。

 1988年、彼がエクスポズ(現ナショナルズ)でデビューした当時は唖然としたものだ。史上最長身208センチという化け物のような体と、まるでロックンローラーのような長髪。そして、何よりも球は速いが、どこに行くかわからないあまりのノーコンぶりに。

 それがメジャー22年で通算303勝、歴代2位の4875三振を奪い、5度もサイ・ヤング賞に輝くほどの大投手になるとは…。2004年には40歳で完全試合達成など、これほど凄いサウスポーは50年以上生きていて見たことがない。

 とにかく、3階から投げ下ろすような160キロの剛速球は飛ぶ鳥も落とす(これってホントの話!)勢いで、彼が先発すると相手チームの監督は左バッターを全員ベンチに下げたものだ。1993年のオールスターでは慄いて打席から逃げ出した臆病者もいたぐらいだ。

 彼の投げるスライダーも尋常ではなく、長い歴史の中で最も打つのが難しい球だといわれた。確か、00年の日米野球では右打席に立つ新庄剛志(元阪神)の股間を通り抜け、危うくプリンスの一物に命中しそうになったほどの軌道を描く。

 そして、彼にとって最高の瞬間といえば、やはり01年のワールドシリーズだ。4年連続世界一へ王手をかけたヤンキースに、当時ダイヤモンドバックスのエースだった“巨大な物体”が立ちはだかり、第6戦に先発し勝利を収めた。

 翌日の第7戦には、何とブルペンから颯爽と登場してリリーフ登板。チームに劇的な逆転サヨナラ勝ちをもたらし、先発2枚看板の1人、カート・シリングとともにMVPを獲得。こんなことは世界一を決める頂上決戦でも例を見ない。

 将来、彼の野球殿堂入りを疑う余地はない。また、メジャー6球団に在籍した中で、89〜98年まで10年間にわたって活躍し、95年には球団史上初の地区優勝に導いたマリナーズで背番号「51」が永久欠番になるのも間違いないだろう。

 ただし、01年マリナーズに入団したときに恐れ多くも彼の51番を譲り受け、球史に残る大スターとなったイチローがいる。栄光の背番号は史上最高の左投手から日本の天才打者へと継承され、いずれ偉大な2人の永久欠番になるはずだ。

 イチローも「常に意識した存在だった」というビッグユニットよ、“Thanks For The Memories”(思い出をありがとう)。

■福島 良一(ふくしま・よしかず) 1956年10月3日、千葉県市川市生まれ、53歳。1973年、高校2年で初渡米して以来、毎年現地で大リーグ観戦。故・伊東一雄氏を師と仰ぎ、大リーグ評論家となる。現在は専門誌などへの執筆や、テレビ、ラジオなどで評論活動中。主な著書に「大リーグ物語」(講談社現代新書)、「大リーグ雑学ノート1、2」(ダイヤモンド社)などがある。