高木マニア堂

何となく思いついたこと、目についたことをツラツラと…。

060:リック・フレアーにもこんな時代が…

ノンセクション2010年02月06日 07:00 | フォルダ : 

関連キーワード :プロレスリック・フレアーデスマッチ

 <2007年9月=東スポ・プロレス格闘技iモードより>

 ハルク・ホーガンの半引退状態が続く今「レジェンド中のレジェンド」と称されるべき存在は、リック・フレアーしかいまい。

 そのタイトル歴や偉大さは今さら説明不要。1949年生まれの58歳。今年でデビュー35周年。今もWWEのリングで戦い続ける姿には神々しさすら感じられる。

 日本国内ではNWA世界王者として数々の防衛戦。また歴史に残る「平和の祭典(1995年=北朝鮮・平壌)のメーンイベントでアントニオ猪木と、たった1度の“日米達人対決”を戦った姿が記憶に残る。

 意外と忘れがちだが、1978年には挑戦者としてジャンボ鶴田のUN王座に挑戦していたり、1995年には新日プロのG1クライマックスに参戦し、越中詩郎と「ある意味、夢の対決」を行っていたり、1996年の「クロサワ(中西学)9番勝負」では、実にアッサリとギブアップ負けを喫したことも忘れてはならない。

 もっと変わったフレアーの経歴はないか? と本紙縮刷版をめくっていたら、あったあった。何とフレアーはデビュー直後の1973年6月に、国際プロレスの「ビッグサマーシリーズ」に初来日。6月26日の秋田・大館市体育館大会で、ラッシャー木村と金網デスマッチを戦っていた。結果は17分50秒、当然のように木村のKO勝ち。後にダスティ・ローデスとのNWA世界戦を始め、ごくごく最近も金網リングで戦っているフレアーだが、この木村戦が「はじめてのかなあみ」だった可能性は高い。

「狂乱の貴公子」となるのは、まだまだ先の話。「テネシーの怪童」と紹介されていたフレアーは、シリーズの目玉であるジ・アウトローズ(ディック・マードック&ダスティ・ローデス)の子分扱い。シングル戦績は木村、ストロング小林、グレート草津、マイティ井上、アニマル浜口、寺西勇、松本勝三(後の大位山勝三)と18戦して3勝15敗。3勝のうち2つは反則勝ちで、キチンとフォール勝ちを収めているのは7月7日の石川・七尾大会における松本戦(10分46秒・エビ固め)のみ。惨憺たる成績で初来日のシリーズを終えている。

 唯一のタッグ戦出場は6月21日の上越大会でマードックと組み、木村&井上と対戦(2―1で日本組の勝ち)。記事には「外人組には弱点とでも言うべきフレアーがいる…」とまで辛辣に記されている。

 まさに「人に歴史あり」だ。 

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