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それは、私達の2期の夜間演習中に起きました。 今日はその日のことを詳しくお話します。 夜間演習の夜、昭和12年7月7日 朝、豊台を出発。 鉄道を行進する隊と、畑を行進する隊。 目標は砂利取り場。 八中隊、全員集合。訓示あり。 山崎(私)は仮設敵。 仮設敵は初年兵2名とニ年兵1名。 仮設敵3名は隊を離れ、一文字山に向かった。 中隊は各分隊に別れ、演習に入る。 西五里地点、大瓦窟地点において演習。 仮設敵である私達は、一文字山の稜線に着き、周辺を見渡した。 苑平県城、その脇を平漢線が見える。 鉄橋もはっきり。 シルクロードの大理石の橋は見えない。 竜王廟の赤く塗った建物が見える。 一文字山と盧溝橋、竜王廟、これらを三角の点にして 竜王廟までは多少長く、その付近を人の動きが激しく動いていた。 稜線にいる私達は、三平壕を二箇所掘った。 八中隊の動きもかすかながらもよく見えた。 永定河の土手にわりと多い人影が動いているのが不思議。 八中隊は演習をして竜王廟に向かっていくのが わが一文字山稜線から、かすかながら見ることが出来た。 どの地点で昼飯にしたのかはわからない。 大瓦窟の端に、道でもあるのかな。 日本兵らしくない人影が見える。 (演習で)一文字山をどんな方向から攻めてくるかと考えていたが 大体、苑平県城の方角が、赤く夕焼けに染まる頃、 中隊は竜王廟あたりを演習しながら何やら動いているのが観察できた。 夜間演習の本番を二年兵は9時と見ていた。 6時過ぎても明るく、暗くならないうちに、飯ごうの飯を食べた。 その頃になると八中隊の動く影も見えなくなっていた。 竜王廟あたりをうろついていた人影はなく、永定河の土手の人も消えた。 一文字山周辺 百八十度真っ暗闇である。 家屋の明かりもなく、しかし、苑平県城にほのかな明かりが灯り 太鼓、ちゃるめら、笛、鐘、胡弓、様々な楽器の全く夢の世界に来たメロディが暗い空に流れてきた。 今日は七夕さまだ。空を見るとなんと星が今にも降って来る様に 星星の空だ。 ニ年兵が「永定河の方を見てろよ、光の合図がくるからな、見逃すな」と言った。 「はい」私ははっきりと答えました。 (9時なんだな。一文字山は2回目だ、頑張るぞ。 一時間もすれば、山を登ってくる。仮設敵3名は、しっかり守るぞ) と誓う。 永定河の方面から、暗闇を通して明かりが動いた。 「灯りが動きました」「よし、わかった」 ニ年兵は光を、一、二、三、と送った。 5秒も経たないのに、発砲。 音がして一文字山の右、私が立っていた6メートル下の地面に ぶつーんと、弾の落ちた音。勘で竜王廟の方向からだと思った。 何秒も経たないで頭上、右、5メートルくらいのところを ひょひょーんと弱り切った音をたてて後方に行った。 正面からの様に続いてニ年兵の立っている所から左下4メートルの地面に かなり大き目の音を出し、ぼそっと落ちた。 苑平県城の先か、暫らくは何が何だかわからない。 八中隊が実弾を撃ってくるなんて。 ニ年兵と三人は、とにかく隊が攻撃してくるのを(山を登ってくるのを) 待つ事にした。 待てど待てども、八中隊の夜間演習隊の兵は姿を現さなかった。 苑平県城の7月7日の、七夕祭りの祝いのメロディーも静かに消えて 夜空には見た事もない明るく光る星の大群が今にも降るかに見えた。 ニ年兵は、呟いた。 「どうしたのかな、遅い、何かあったのかな」と考えていた。 12時は過ぎたのではないか。 一文字山、空に浮かんでいる無限の星の中に、 下のほうから足音がして、「おおい、いるか」と叫びながら登ってくる兵隊。 「支那兵が発砲して来た。山を降りて隊に集合」 私達は突然の夜間演習中止に驚いた。 やはり、そうであったか。 野地少尉の小隊に加わり、朝の来るのを待った。 ********* 1.砂利取り場付近(昼の演習) 2.仮設敵が待機する一文字山(夜間演習の目標) 3.1→3→4とたどるピンクの線は八中隊の進んだ経路 4.この当時急に中国の兵によって作られた壕
こんばんわ(^^)こちらに引越しされたんですね。
体験談も新しく書き加えられているようです。 また、私のブログへの転載をさせていただけないでしょうか。問題があるようでしたら、削除させて頂きます。 毎日寒い日が続きますが、お体に気をつけてお過ごしください。(2006年01月24日 20時02分52秒)
大正生まれのおじいちゃんさん
転載の許可を下さり、ありがとうございます。 おじいちゃんのこの体験は、後の世代に語り継いでいくべき大切な話だと思います。 少しでも多くの人の目に留まるようになればと思います。 (2006年01月27日 23時33分05秒) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |