2050-05-03
古本屋の殴り書き(書評と雑文):雪山堂
“言弾(ことだま)を撃て!”をテーマに、「雪山堂」(せっせんどう)店主が責任を持って書き連ねる殴り書きの数々。
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2010-02-05
忘れる
その時、悲しみに沈んでいる僕の耳に、「さあさあ、ご覧よご覧よ」という声が聞こえた。振り返ると、そこにはのぞきからくりがあって、何十人もの子供が集まっていた。そしてのぞきからくりのめがねの前には、見物人の列ができていた。男が芝居気たっぷりに、連続する絵の説明をした。「ほらそこに勇ましい騎士がいるだろう。そして輝くばかりに美しいお姫様」。涙はすっかり乾き、僕は一心にそのからくりの箱を見つめた。手品師のこともお皿のことも、もう完全に忘れていた。僕はその魅力に抗することができずに、1キルシュ払ってめがねの前に立った。隣のめがねの前には、女の子が立っていた。目の前に、心ときめく物語の絵が次々に展開していった。元の世界に戻った時、僕は1キルシュとお皿を失(な)くしていた。手品師は影も形もなかった。僕は失くした物のことを忘れた。騎士の活躍と恋と戦いの絵が、僕を飲みこんだ。空腹も忘れ、家で僕を待っている恐怖さえ忘れていた。
【「手品師が皿を奪(と)った」ナギーブ・マハフーズ、1969年、高野晶弘訳/『集英社ギャラリー〔世界の文学〕20 中国・アジア・アフリカ』朝鮮短編集、魯迅、巴金、茅盾、クッツェー、ナーラーヤン、イドリース、マハフーズ(集英社、1991年)】
2010-02-04
増刷『石原吉郎詩文集』石原吉郎(講談社文芸文庫、2005年)
詩とは「書くまい」とする衝動であり、詩の言葉は、沈黙を語るための言葉、沈黙するための言葉である――。敗戦後、8年におよぶ苛酷な労働と飢餓のソ連徒刑体験は、被害者意識や告発をも超克した「沈黙の詩学」をもたらし、失語の一歩手前で踏みとどまろうとする意志は、思索的で静謐な詩の世界に強度を与えた。この単独者の稀有なる魂の軌跡を、詩、批評、ノートの三部構成でたどる。
藤井直敬、加藤典洋
1冊挫折、1冊読了。
挫折11『つながる脳』藤井直敬〈ふじい・なおたか〉(NTT出版、2009年)/毎日出版文化賞受賞作品。誠実さが強過ぎて、まだるっこくなってしまっている。文章の話だ。「僕」という一人称も鼻につく。不思議なほどわかりにくい文章である。40ページほどで挫ける。
17冊目『言語表現法講義』加藤典洋(岩波書店、1996年)/これは勉強になった。明治学院大学国際学部での講義を編集し直したものだが、いやはや凄い。テクニカルな視点で表現の豊かさを追求している。加藤の比喩が絶妙。言われなければ気づかないことが満載。ブロガーは必読のこと。数多くのテキストが引用されており、読書案内としても秀逸。傑出したプレゼンテーション能力にたじろぐがいい。
「ホームにて」中島みゆき
北国から上京した者は一様に東京の寒い冬にたじろぐ。そして満員電車の中の孤独を知る。故郷(ふるさと)は地図の上から心の中へ移動する。帰省は乗り物による移動ではなく、変わらぬ過去を確認する作業となる。私のニヒリズムでさえ、郷愁にはかなわない。この曲にじっと耳を傾けながら、私は俯(うつむ)き加減で奥歯を噛みしめる。
植物状態の男性とのコミュニケーションに成功、脳の動きで「イエス」「ノー」伝達
5年前に植物状態と診断された男性が、質問に対する脳の反応によって「イエス」や「ノー」などの意思疎通ができるとする研究結果が、3日の医学誌「ニューイングランド医学ジャーナル(New England Journal of Medicine)」に発表された。
この男性は現在29歳で、2003年に交通事故で脳に深刻な外傷を負った。身体的な反応はなく、植物状態と診断されていた。
英ケンブリッジ(Cambridge)にあるウルフソン脳イメージングセンター(Wolfson Brain Imaging Centre)のエードリアン・オーウェン(Adrian Owen)博士率いる英・ベルギーの研究チームは、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)を使い、男性に「イエス」「ノー」で答えられる質問をしたときの脳の動きを撮影した。その結果、男性の脳が正しく反応していることが確認できたという。
この技術は、健常者に対しては100%正確に脳の反応を復号化することができるが、話したり動いたりできない植物状態の患者に対して試されたのは今回が初めて。過去3年で植物状態の患者23人に対して実験を行い、4人から反応が確認されたが、「イエス」「ノー」のコミュニケーションができたのはこの男性1人だけだった。
ベルギー側の代表、リエージュ大学(University of Liege)のスティーブン・ローレイズ(Steven Laureys)博士は、「この技術はまだ始まったばかりだが、将来的には患者が感情や思考を表現することで、自ら環境をコントロールして生活の質を高められるようにしたい」と抱負を語っている。
大鶴基成関連記事
2010-02-03
日本最強のパワースポット−長野県分杭峠
- Wikipedia
- Yahoo!ドライブ
- 分杭峠までのアクセス
- 分杭峠・ゼロ磁場
- 分杭峠 ゼロ磁場の情報サイト
- パワースポット 分杭峠 ゼロ磁場
- 気のスポット!分杭峠
- 長野県・パワースポット分杭峠のミネラルウォーター ゼロ磁場とは?
- 長野県伊那市にある分杭峠
東京の投資顧問会社を捜索へ(増田俊男)
東京の投資顧問会社が、カナダのIT関連企業の未公開株について、「上場すれば40倍になる」とうたって無登録のまま投資を募っていた疑いが強まりました。警視庁は、この会社を近く金融商品取引法違反の疑いで捜索するとともに、株のほかコーヒー栽培などへの投資も募り、少なくとも50億円を集めていたとみて、捜査を進める方針です。
この会社は東京・中央区に本社がある投資顧問会社、「サンラ・ワールド」です。警視庁の調べによりますと、「サンラ・ワールド」は「上場すれば40倍に値上がりする」などとうたって、国に無登録のまま、カナダのIT関連企業の未公開株への投資を募ったとして、金融商品取引法違反の疑いが持たれています。「サンラ・ワールド」は、時事評論家の増田俊男氏の知人の女性が社長を務め、増田氏が自分の著書の読者などを対象に講演会を開いて投資を募っていました。しかし、関係者によりますとカナダの企業の株は上場が何度も延期され、現在も上場されていないということです。また、「サンラ・ワールド」は、ハワイでのコーヒー栽培やパラオの銀行などへの投資も募っていましたが、中には配当が得られず、出資した金の返金に応じてもらえないとして訴訟を起こした投資家もいるということです。警視庁は、さまざまな名目で少なくとも50億円を集めていたとみて、捜査を進める方針です。
目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世
サブカル手法でアプローチする世界宗教入門、といった内容。記述が正確で、大変勉強になった。「教祖を目指す」というネタで、実は「教団の力学」を明らかにしているところがお見事。冷徹な眼差しから繰り出されるユーモアといった味つけだ。
本書の教えを遵守すれば、きっと明るい教祖ライフが開けるでしょう。教祖にさえなれば人生バラ色です!
この一言で教祖を目指す人はまずいない。が、しかし、信仰の動機が欲望に支えられていることを巧みに表現している。「幸せになりたい」という願望は、現在が不幸である証なのだ。他人の不幸に付け込むのが、宗教という宗教の常套手段である。言わば「不安産業」。
では果たして、教祖の機能とは何か?
では、最初にもっともシンプルな教祖の姿を提示します。教祖の成立要件は以下の二要素です。つまり、「なにか言う人」「それを信じる人」。そう、たったふたつだけなのです。この時、「なにか言う人」が教祖となり、「それを信じる人」が信者となるわけです。
シンプルにして明快。一瞬、「エ?」と思わされるが、よくよく考えてみると確かにこの通りだ。教義の高低・浅深は関係ない。教祖と信者の関係性は、こうして生まれここに極まるのだ。
ヒトという動物の特徴は色々あるが、何と言っても際立っているのは「コントロールするのが好き」という点であろう。スポーツは身体のコントロールである。車や機械の運転は、延長された身体性と考えられる。そして極めつけは「他人をコントロールすること」だ。
小犬を見ては「お手」を無理強いし、子供が生まれると躾(しつけ)や教育と称して、家のしきたりや社会通念を叩き込む。長ずるに連れ、よりよい学歴を目指すことを強制し、社会に出るや否や地位獲得に余念がない。地位とは、「多くの人々をコントロールできる立場」のことである。
脳や身体がネットワークを形成している以上、社会がネットワーク化(ヒエラルキー化)することは避けられないのだ。そしてコントロールの最終形が宗教と拳銃であると私は考える。生殺与奪を握っているという点において、この両者は顔の異なる双子なのだ。
ゲラゲラ笑いながら読んでいると見落としがちであるが、そこここに慧眼(けいがん)が窺える――
さて、ここからは具体的な教義作成について考えていきますが、最初にはっきりと述べておきたいことがあります。皆さんの中に、宗教に関して次のような持論をお持ちの方はいませんか。すなわち、「宗教は社会の安寧秩序を保ち、人々の道徳心を向上させるものであり、社会を乱すものであってはならない」と。残念ながら、これはとんだ見当外れなので直ちに忘れて下さい。宗教の本質というのは、むしろ反社会性にあるのです。特に新興宗教においては、どれだけ社会を混乱させるかが肝(きも)だということを胸に刻んでおいて下さい。
現に大ブレイクした宗教を見てみると、どれもこれも反社会的な宗教ばかりです。イスラム教しかり、儒教しかり、仏教しかり。どれも最初はやべえカルト宗教でした。しかし、その中でも最もヤバいカルトはキリスト教でしょう。イエスの反社会性は只事ではありません。罪びとである徴税人と平気でメシを食い、売春婦を祝福し、労働を禁じられた安息日に病人を癒し、神聖な神殿で暴れまわったのです。当時の感覚で言えばとんでもないアウトローで、もちろん社会の敵なので捕らえられて死刑にされます。同胞のユダヤ人からも、「強盗殺人犯は許せてもイエスだけは許せねえ」と言われる程の嫌われっぷりでした。しかし、イエスはこれほど反社会的だったからこそ、今の彼の名声があるとも言えるのです。
これはまさしく、クリシュナムルティが説いている「反逆」である。普通に生きている人々は、普通の状態において既に「社会の奴隷」となっている。つまり、形成された社会を容認してしまえば、信者は二重の意味で奴隷となるのだ。とすると、社会にプロテスト(異議申し立て)することで何らかの自由を目指す必然性が生じる。このようにして社会の奴隷は、奴隷である自分の立場に気づき、自由を求めて今度は教祖の奴隷となるのだ。ま、早い話が「ご主人様」を取り替えただけのことだ。
人間の価値観というものは、その殆どが作られた幻想に過ぎないが、最も奥深い部分に埋め込まれたソフトウエアが宗教である。本来であれば人間を解放するための宗教が、教義によって人間を束縛するというジレンマを抱え込む。自由になるためには犠牲が伴うのだ。
だが、真の宗教、あるいは思想、または普遍的な物語はそうではあるまい。既成の価値観に反逆しがらも、教祖や教義、そして自分自身からも自由になる方途があると私は信ずる。なぜなら、それがなければ世界の平和は成立しないことになるからだ。
今、世界平和を妨げているものは国家、民族、そして宗教である。いっそのこと全部なくすか、新しくするべきだ。
2010-02-02
小田雅久仁
1冊挫折。
挫折10『増大派に告ぐ』小田雅久仁〈おだ・まさくに〉(新潮社、2009年)/第21回ファンタジーノベル賞受賞作品。時を同じくして前原政之さんと、橋本大也さんが褒めていたので読んでみた。前原さんが書いているように、比喩・置き換えは確かに素晴らしい。お見事である。しかしながらテンポが悪い。あらすじの行方がわからなくなっている。積み上げられた細部、といった印象。それと舜也の視線が完全に大人のものとなっているところがおかしい。三人称と一人称が入り混じっているのも違和感を覚えた。わかっている。私に堪え性がないだけの話だ。54ページで挫ける。でも、次の作品は必ず読もうと思う。
私
世界が原子で構成されているなら、「私」という存在は原子と原子の間で揺れる波のようなものだろう。飛沫は失った何かである。そして私は瞬間瞬間の変化を拒絶しながら、昨日までの自分の形状にこだわっているのだ。私は寄せるだけで、返す波は別人である。今、「私」という現象があるだけに過ぎない。
文庫化『生かされて。』イマキュレー・イリバギザ(PHP文庫、2009年)
1994年、「永遠の春」と呼ばれたルワンダで大量虐殺が起こった。人口比9割のフツ族が突如ツチ族に襲いかかり、100日間で100万人の人々を殺したのだ。牧師の家の狭いトイレに7人の女性と身を隠した著者は、迫り来る恐怖と空腹に負けず、奇跡的に生き延びた。祈りの力によって、希望の光を灯したその後の彼女は、虐殺者たちをも許す境地に達する……。心揺さぶる感動の書、待望の文庫化。
2010-02-01
2010年1月のアクセスランキング
順位 | 記事タイトル |
---|---|
1位 | 日本は「最悪の借金を持つ国」であり、「世界で一番の大金持ちの国」/『国債を刷れ! 「国の借金は税金で返せ」のウソ』廣宮孝信 |
2位 | 『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ウィリアム・ノースダーフ |
3位 | アインシュタインを超える天才ラマヌジャン/『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』ロバート・カニーゲル |
4位 | 郷原信郎:民主主義国家で政治家が言いがかりのような事件で潰されることは絶対にあってはならない |
5位 | クリシュナムルティとの出会いは衝撃というよりも事故そのもの/『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J.クリシュナムルティ |
6位 | 少年兵は流れ作業のように手足を切り落とした/『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』後藤健二 |
7位 | ジニ係数から見えてくる日本社会の格差/『貧乏人のデイトレ 金持ちのインベストメント ノーベル賞学者とスイス人富豪に学ぶ智恵』北村慶 |
8位 | 『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ |
9位 | その男、本村洋/『裁判官が見た光市母子殺害事件 天網恢恢 疎にして逃さず』井上薫 |
10位 | 『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』その後 |
11位 | 獄中の極意/『アメリカ重犯罪刑務所 麻薬王になった日本人の獄中記』丸山隆三 |
12位 | ミッキー安川のずばり勝負/宮崎正弘、佐藤優 |
13位 | 信用創造のカラクリ |
14位 | 巧みな介護の技/『古武術介護入門 古の身体技法をヒントに新しい身体介助法を提案する』岡田慎一郎 |
15位 | 輪廻転生からの解脱/『100万回生きたねこ』佐野洋子 |
16位 | エレクトーン奏者maruさん情報 |
17位 | 2009年に読んだ本ランキング |
18位 | 経頭蓋磁気刺激法(TMS)/『脳から見たリハビリ治療 脳卒中の麻痺を治す新しいリハビリの考え方』久保田競、宮井一郎編著 |
19位 | 日垣隆が文雅新泉堂をこき下ろしていた |
20位 | 精神障害者による犯罪の実態/『偽善系II 正義の味方に御用心!』日垣隆 |
小沢問題で検察リークに踊らされるメディアへの危惧
既にメディアから干されつつあると、上杉本人がラジオで語っている。
昨年3月、西松建設事件の発端となる大久保秘書の逮捕された直後、筆者はフジテレビの報道番組『新報道2001』に出演した。
当日のゲストは、宗像紀夫・元東京地検特捜部検事と、笹川尭自民党総務会長(当時)、小池晃共産党政審会長などであった。
大久保秘書の逮捕について発言を求められた筆者はこう語った。
「私自身、議員秘書経験がありますが、その立場からしても、政治資金収支報告書の記載漏れでいきなり身柄を取るのはあまりに乱暴すぎるように思う。少なくとも逮捕の翌日から、小沢一郎代表(当時)はフルオープンの記者会見で説明を果たそうとしているのだから、同じ権力である検察庁も国民に向けて逮捕用件を説明すべきだ。とくに記者クラブにリークを繰り返している樋渡検事総長と佐久間特捜部長は堂々と記者会見で名前を出して話したらどうか」
筆者は、当然のことを言ったつもりでいた。ところが、番組放送終了後、笹川総務会長が烈火のごとく怒っていた。私に対してではない。番組の幹部に対してである。
「あんなやつを使うな! あんなのとは一緒に出ない」
昼過ぎ、スタジオを出た筆者の元に検察庁担当の社会部記者から電話が入った。
「お前まずいぞ、(検察側の)実名を出しただろう。『調子に乗りやがって』と、検察は怒っていたぞ。心配して言ってんだ。本当に、気をつけた方がいいぞ」
彼の話によると、本気でやろうと思えば、痴漢だろうが、交通違反だろうが、あらゆる手段を使ってでも、狙われたら最後、捕ってくるというのだ。たとえば道を歩いていて、他人の敷地に間違えて足を踏み入れただけで不法侵入の疑いで持っていかれるかもしれないということだった。
メアリー・ルティエンス、井村和清
2冊読了。
15冊目『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1990年)/伝記三部作の最終章。1980年から亡くなるまでの6年間が綴られている。読み物としては少しも面白くない。多分、資料が多過ぎたせいだろう。内容が散漫な上、人物像の全体性が浮かんでこない。だがこれは、メアリー・ルティエンスだけの責任とは言えない。クリシュナムルティは組織を作らなかったために、思想の広まる様子がつかみにくいことを見逃すわけにはいかないだろう。ロスアラモスの国立研究調査センター(原子爆弾の開発を目的として創設されたアメリカの国立研究機関)での講話は真剣勝負そのもので、微塵の妥協も許さぬ内容であった。いずれにせよ、この三部作はスピリチュアル色が強いので、しっかりとクリシュナムルティの思想を学んでから読むことを勧める。
16冊目『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ 若き医師が死の直前まで綴った愛の手記』井村和清(祥伝社ノンブック、1980年/祥伝社、2005年)/30年前のミリオンセラー。田坂広志の講演“なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか”で紹介された件(くだり)を確認するために読んだ。31歳で死んでゆかねばならなかった医師が、2歳の娘と身ごもった子へのメッセージを綴った遺稿集。元々は私家版だったとのこと。井村和清は最後の最後まできれいな生き方を貫いた。私は彼よりも15年多く生きているが、そのこと自体が恥ずかしく思えた。長女も既に彼より長生きしているのだ。10代、20代の若者に読んでもらいたい作品である。
2010-01-31
覚者は一法を悟る/『白い炎 クリシュナムルティ初期トーク集』J.クリシュナムルティ
収められているのは1927〜1930年に行われたインタビューと講話である。星の教会を解散したのが1929年だから、神秘宗教の匂いが強い。読むのであれば、後回しにするべきだ。つまらぬ先入観を持ってしまえば、クリシュナムルティをスピリチュアル系の枠組みでしか捉えられなくなる可能性があるからだ。現に訳者の大野純一がそんな方向に進んでしまっている。
クリシュナムルティを襲ったプロセス体験は、確かに奇妙な出来事だ。不思議といえばこれに勝る不思議もない。だが、クリシュナムルティは万人がプロセスを経験せよとは言っていないのだ。彼の思想をつかめないあまりに、プロセス体験を持ち出して特別視することは、クリシュナムルティからかえって遠ざかることになるだろう。
尚、3分の1ほどが『生と覚醒のコメンタリー』からの箴言集となっている。クリシュナムルティの古い言葉と新しい言葉を対比することを大野は意図したようだが、杜撰な構成の言いわけにしか聞こえない。
30代のクリシュナムルティは、自分が覚知した世界を伝える言葉を持っていたとは決して言い難い。しかしながら、口を突いて出る言葉の奔流を抑えることができない。明らかに思想の原型を見て取れるのだが、星の教団の信者に理解されているとは思えない。超然とした彼の姿は、孤独な情熱と静かな怒りに包まれていた。
「覚り」とは言葉で伝えることのできない世界なのだ。ここに覚者の苦悩があった。言葉で説明されたものは知識となってしまい、思考の範疇(はんちゅう)に収まる。「覚り」とは、他人から教えてもらうべき性質のものではなく、自分で経験する世界なのだ。
クリシュナムルティはインタビューに答える。「覚者は一法を悟る」と――
世界のすべての〈教師〉は、生の成就であるあの〈生〉に到達したのだと私は思います。ゆえに、すべての生の極致であるその〈生〉に入る者は誰であれ、【その事実によって】、仏陀、キリスト、ロード・マイトレーヤになるのです。なぜなら、そこにはもはや区別がないからです。ですから、それはそうした存在者たち以上だと私が言う時、それは、普通の個人の観点から見て「それ以上」なのです。(1928年、ロンドンでのインタビュー)
ロード・マイトレーヤとは弥勒菩薩(みろくぼさつ)の生まれ変わりのこと。これは、クリシュナムルティによる「仏の宣言」と考えていいだろう。
では彼等が覚ったものは何であったのか? それは「生の全体性」である。クリシュナムルティがプロセスで知覚したのは、無限にして広大な生の領域であった。我(が)という鎧(よろい)を打破した瞬間、諸法は無我となり、あらゆるものが渾然一体となった縁起の世界が立ち現われる。
クリシュナムルティが「過去に対して死ななくてはならない」と説く意味もここにある。我々の人生というのは、橋の上から下流を眺めているような代物である。流れ去った過去に囚(とら)われ、脈々と流れ通う生を実感することができないのだ。「私」を形成しているのは過去の記憶である。未来に希望を持ったとしても、それは過去の反転に過ぎない。
そして自我はまた、他人との差異によってしか支えることができない。「私」が「私だ」と言う時、それは「他の誰か」であってはならないのだ。だから人は常に「かけがえのなさ」を欲する。だからこそ自分が軽く扱われると自我が傷つくのだ。自我は拡大化の一途を目指してやむことがない。自我の葛藤こそ暴力の原因である。仏教で説かれる「世間」には差別の義がある。僧のことを出世間(しゅっせけん)と名づけるのは、差別の世界から離れる意味が込められているのだろう。
クリシュナムルティが説いた瞑想は、心の内なる領域をただ観察することであった。天台は止観(しかん)と説き、日蓮は勧心(かんじん)と顕した。この三者が同じ世界を覚ったとすれば、それはまさしく諸法実相ということになる。時間は諸行無常を奏で、空間は諸法無我と広がり、存在と現象は諸法実相と開かれる。
花はいつか枯れる(諸行無常)。花は香る(諸法無我)。そして花は在るのだ(諸法実相)。
「帰らざる日のために」いずみたくシンガーズ
中村雅俊主演『われら青春!』のテーマソング。「俺たちの朝」にも書いた通り、当時の歌の特徴は女性コーラスにあった。極めつけがこの曲で、女性コーラスがリードを担っている。スタッカート気味のコーラスが軽快な切れ味となっており、今聴いても古めかしさを感じさせない。昭和50年前後は、まだ青春そのものに価値がある時代だった。「青春」とは中国古代の五行説によるもので、春を表す色が青とされている。その他は、朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)と名づける。
元祖どっきりカメラ 暴力学園 ガッツ石松(35)
「元祖どっきりカメラ」という醜悪な番組があった。それからというもの、騙(だま)される人を観て視聴者が笑うという文化が形成されてしまった。これは、ガッツ石松が35歳の時に撮影されたもののようだ。一人では何もできない若者達が、集団となるや否や暴力性を発揮する。暴徒の群れを押しとどめるのは、それを上回る暴力性か、あるいは慈悲しかない。ガッツ石松が立派だと思ったのは、拳で殴らなかったことだ。ビンタを張ったのは、やはり彼が正真正銘のボクサーである証拠といえよう。その後バブル景気を経て、テレビは「やらせ」や「インチキ」を平然と行うようになる。大掛かりな仕掛けの詐欺といってよかろう。
納税は国民の義務?
日本の憲法には「納税は国民の義務」という条文がありまして、例によってお上に従うのが大好きな日本人は、これをありがたく遵守しています。一方、アメリカ合衆国憲法には「議会は税を課し徴収することができる」としかありません。
欧米諸国において憲法とは、国民の権利と国家の義務を規定したものなのです。日本はまるっきり逆。国民に納税しろと命じるずうずうしい憲法は世界的に見てもまれな例です。
スペインの憲法には「納税の義務」が記されていますが、税は平等であるべしとか、財産を没収するようなものであってはならぬなど、国家に対する義務も併記されています。日本では納税しないと憲法違反となじられますが、役人が税金を湯水のごとくムダ遣いしても憲法違反にはならず、はなはだ不公平です。
一方的に国民に納税を要求する取り立て屋のような憲法があるのは、日本・韓国・中国くらいものですから、こんな恥ずかしい憲法はもう、即刻改正しなければいけません。
(※左が単行本、右が文庫本)