群馬・赤城山
2010年2月5日
ウミは広いな大きいな〜、月がのぼるし、日がしずむ〜♪
童謡「ウミ」を大声で歌うと平安な気分になりませんか? おおらかな詞に優しいメロディー、果てしのない大海原が思い浮かびます。
ところが、この歌には「戦争協力」の意味があるという説があります。本当でしょうか。
問題視されるのは、第3節です。「ウミニ オフネヲ ウカバシテ、イッテ ミタイナ、ヨソノ クニ」という歌詞が、大日本帝国の海外進出への期待を、子どもたちに歌わせたのではないか、というのです。
「ウミ」は1941(昭和16)年2月、国民学校1年生用の音楽教科書『ウタノホン 上』に初めて掲載されました。作詞は童謡詩人の林柳波(1892〜1974)、作曲は井上武士(1894〜1974)でした。林も井上も、ともに海とは無縁の群馬県の出身です。林が生まれ育った沼田は山に囲まれて地平線が見えない場所です。
「ウミ」が作られたころ、日本は中国との戦争が泥沼化し、南方に目を向けていました。前年9月、北部仏印(ベトナム北部)に進駐、41年の7月には南部へも兵を進めました。南進論が唱えられ、国民が南方にさまざまな関心を抱いていたときです。
林は、当時の多くの作詞家同様、軍歌も作りました。「あゝ我が戦友」(37年)というヒット曲もあります。文部省の教科書編集委員を務め、国策に協力する立場にありました。
でも、現代の研究者たちは林の「戦争協力」説に慎重です。戦時中の児童教育の研究で知られる作家の山中恒さんは、「時代の流れを追ってゆくと、『ヨソノクニ』は南方を指しているようにもみえる。でも……」と言って、「ウタノホン」の教師用手引書を見せてくれました。いわば先生のためのアンチョコです。そこには、「ウミ」の第3節について「海国日本国民の憧憬と意気とを歌ったものである」との解説があります。「海事思想とは、南方雄飛の意味でしょうが、露骨に海外進出を強調しているわけではない。決め付けてしまうのはどうだろうか」と山中さんは話します。
日本の近代音楽史を研究する戸ノ下達也さんも「国威発揚なら『日ガシズム』は変だ。むしろ子どもの感性や想像力を養う意識がみられる」と言います。
「イッテミタイナ」に自由への渇望を感じとるか、海外雄飛へのひそかな野心をみるか…林の生きた時代と、彼の作詞家人生を見てみましょう。
(続きは2月6日付け朝刊の別刷り「be」をお読みください。)
童謡「ウミ」は唱歌や童謡のCDに数多く収録されている。「ウミ」を楽曲中に取り入れ、NHK「みんなのうた」で放送されたTUBEの「みんなのうみ」は、CDがソニー・ミュージックから発売されている。
「ウミ」を作詞した林柳波の妻、林きむ子については、森まゆみ『大正美人伝』(文春文庫)が詳しい。明治・大正の美人を知るには、長谷川時雨『新編 近代美人伝』(岩波文庫、上下巻)がお勧め。顔かたちだけではなく、きりっと美しく生きた女性たちの列伝だ。ただし、岩波文庫版では、きむ子は数行程度で、詳しくは復刻版『美人伝』(不二出版)に。
夏&海を愛するTUBEが、国民的童謡「ウミ」へのオマージュを込めて制作した楽曲。
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