池田信夫 blog

Part 2

October 2006

一昨日の「過剰の経済学」という記事には、予想外に多くの反響があったので、少し続きを書く。この問題は拙著のテーマなので、理論的な詳細に興味のある読者は、本を読んでください。

情報処理デバイスの価格が急速に低下し続けると、それ以外のすべての生産要素の相対価格が上がる。つまり他の生産要素で行っている作業をデジタル化するコストが低下する。たとえば動画(NTSC)をデジタル伝送するには270Mbpsの帯域が必要で、当初はデジタル化は不可能だと思われていたが、圧縮技術の進歩によって現在では1Mbpsあれば伝送できるようになった。映像をデジタル伝送・蓄積・再生するコストが圧倒的に低くなったため、アナログ技術のコストが相対的に上がり、コンピュータに代替されたのである。

このように特定の目的のための固有技術をコンピュータのような汎用技術が駆逐する現象は、今に始まったことではない。かつて蒸気機関、鉄道、自動車、電力などは、伝統的な技術に代わって多くの用途に使われる基盤技術となった。しかし、それは応用技術の効率を上げることで生産性を高める技術(enabling technology)なので、産業構造が汎用技術に対応しないと経済成長率は上がらない。最初に発電所ができたのは1870年代だが、電力エネルギーが蒸気機関を上回ったのは1920年代だった。生産性が上がったのは、電力とモーターを使った「オートメーション」が普及してからだ。

デジタル革命の場合も、最初のMPUができた1970年から30年以上たっても、その効果は十分発揮されていない。産業構造がまだ製造業型のままだからである。コンピュータの最大の特徴は、従来は分野ごとに異なる機械で行われていた情報処理をソフトウェアに置き換え、汎用のハードウェアで実行することである。映像処理も事務処理も同じハードウェアでできるので、用途ごとの境界はなくなり、その代わりハードウェアとソフトウェアの水平分業が進む。要素技術がモジュール化され、世界的な部品市場が成立するので、垂直統合型の大企業よりも独立なベンチャー企業の競争力が高まる。

したがってITによって生産性が上がるかどうかは、企業がどこまでそれに対応するかに依存する。情報処理コストの低下によって利益を得られる企業の価値は高まるが、既得権を失う企業の価値は低下する。グーグルのような計算資源浪費型の企業のコストは、何もしなくても3年で1/4(ムーアの法則)のペースで低下するが、ブロードバンドの普及で市場を失う放送局は、何もしなければ蒸気機関のように絶滅するだろう。

すべての物体が重力の法則に従うように、現代のいかなる産業もムーアの法則による創造的破壊をまぬがれることはできない。ITの性能向上は、鉄道や電力と違って指数関数的であり、40年以上にわたって一定だから、破壊力は一段と大きい。しかも半導体だけでなく、光ファイバーでも磁気ディスクでも光学ディスクでも急速な技術革新が続いている。その原因は、情報がデジタル化され、電荷や磁気があるかないかの識別さえできれば、1ビットの情報が蓄積できるようになったからだ。原理的には、識別の単位は原子レベルまで小さくすることができるので、計算・記憶能力の急速な上昇は、まだ10年以上は続くだろう。

今後10年、ムーアの法則が続いたとすると、情報処理コストは現在の1/100になる。それはいいかえれば、いま情報処理に投入されている人的・物的資源の99%が過剰になるということである。もちろん価格の低下によって需要も拡大するが、既存の設備の陳腐化も急速に進む。こうした状況で大事なのは、Jensenのいうように、ITがつねに生み出す膨大な過剰設備・過剰雇用に対応して、古い産業からすみやかに退出して新しい産業に資源を移転する資本市場のメカニズムだ。ITが経済システムを変えるのは、これからである。
2006年10月29日 00:17

悪魔的ビジネスモデル

下流喰い―消費者金融の実態

須田慎一郎

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本書で描かれる、サラ金の「悪魔的ビジネスモデル」はおもしろい(といっては怒られるかもしれないが)。住宅ローンでは長期的な返済計画を立てて元利を返済するが、サラ金は短期資金なので、そういう計画を立てない。貸金業者も「利子さえ入れてもらえばいいですよ」といい、完済の期限を示さない。これは一見、債務者に「やさしい」商売に見える。100万円借りた場合、出資法の上限金利29%でも、月々の金利は2.4万円でよい。それも滞ったら、「**さんで借りて返してくださいよ」と他の貸金業者を紹介する。その金利も返せなくなったら・・・という繰り返しで、気づいたら莫大な借金を抱えてしまうのである。元金を返さないで、いつまでも「ベタ貸し」できる債務者が上客なのだという。

このトリックのポイントは、元金というストックの大きさを隠し、金利というフローだけを見せるところにある。行動経済学的にいえば、近視眼バイアスをうまく利用しているわけだが、ストックとフローの関係を混乱させて消費者を欺く悪魔的ビジネスモデルは、サラ金だけではない。携帯電話の端末が0円で買えるのは、その価格(ストック)が通話料(フロー)に上乗せされるからだし、ゲーム機の価格が安いのもゲームソフトのライセンス料で回収するからだ。プリンタは安いがインクカートリッジが高いとか、エレベーターは安いが修理費用が高いなど、ストックの価格をフローに分散して安く見せかけるトリックは多い。

このように消費者のバイアスにつけこむビジネスは、一種の不公正競争である(エレベーターの場合は公取委が排除勧告を出した)。規制が必要なのは金利ではなく、このトリックだろう。上限金利を引き下げると、高リスクの(バイアスの大きい)債務者が借りられなくなるという効果はあるが、悪魔的ビジネスモデルがある限り、被害は根絶できない。たとえば元利の返済計画を義務づけるとか、多重債務を制限するなど、バイアスを中立化する規制が必要ではないか。

追記:この問題について、大竹文雄氏のブログで、大竹氏と池尾和人氏(金融庁の懇談会の委員)が議論している。大竹氏のいう「双曲割引」というのは近視眼バイアスの一種で、池尾氏のいう「プレディター」というのは消費者の無知につけこむビジネスという意味だから、事実認識は両者ともこの記事とあまり違いはない。ただ大竹氏が上限金利の引き下げに批判的であるのに対して、池尾氏は引き下げれば債務者が早めに資金的に行き詰まって歯止めになると考えているようだ。
2006年10月28日 15:14
経済

過剰の経済学

クリス・アンダーソンのブログに、"Economics of Abundance"という記事が出ている。内容は『ロングテール』にも出ているが、要は従来の経済学が稀少な資源の効率的な配分を考える学問であるのに対して、ムーアの法則によって計算・記憶能力が事実上「自由財」になったので、こうした過剰な資源をどう利用するかを考える経済学が必要だという話だ。

これは、もとはジョージ・ギルダーが『テレコズム』でのべたことである。彼は「豊かな資源を浪費して不足するものを節約する」という経済原則にもとづいて、トランジスタを浪費する(Carver Mead)ことがマイクロコズム(コンピュータ世界)の鉄則であり、帯域が毎年倍増するという「ギルダーの法則」によって、帯域を浪費することがテレコズム(通信世界)の鉄則だと主張した。

この預言を信じて、ノーテルやルーセントは光ファイバーに巨額の投資を行い、JDSユニフェーズの株価は天文学的な額になったが、テレコズムの楽園は実現しなかった。「最後の1マイル」という稀少性が解決しなかったからである。だから残念ながら、いまだに経済学は正しいのだ。すべての資源が自由財になることがありえない以上、ある資源が過剰になれば、必ず別の資源が相対的に稀少なボトルネックになるから、重要なのは過剰な資源ではなくボトルネックなのである。

ムーアの法則でコンピュータの情報処理能力が自由財に近づいているというのは正しいが、問題はそれによって何がボトルネックになるかである。ハーバート・サイモン(1971)の有名な言葉を引用すると、
情報の豊かさは、それがそれが消費するものの稀少性を意味する。情報が消費するものは、かなり明白である。それは情報を受け取る人の関心を消費するのである。したがって情報の豊かさは関心の稀少性を作り出し、それを消費する膨大な情報源に対して関心を効率的に配分する必要が生じる。
資本主義の前提は、資本が稀少で労働は過剰だということだ。工場を建てて多くの労働者を集める資金をもっているのは限られた資本家だから、資本の稀少性の価格として利潤が生まれる。これは普通の製造業では今も正しいが、情報の生産については状況は劇的に変わった。ムーアの法則によって、1960年代から今日までに計算能力の価格は1億分の1になったからである。

これは建設に100億円かかった工場が100円で建てられるようになるということだから、こうなると工場に労働者を集めるよりも、労働者が各自で「工場」を持って生産する方式が効率的になる。それが現実に起こったことである。メインフレーム時代には、稀少な計算機資源を割り当てるため、ユーザーはバッチカードを持ってコンピュータの利用時間を待ったが、PCの登場によってボトルネックはユーザーになった。ここでは逆に、ユーザーの稀少な時間を効率的に配分するため、コンピュータは各人に所有され、その大部分は遊んでいる。

つまり情報生産においては、資本主義の法則が逆転し、個人の関心(時間コスト)を効率的に配分するテクノロジーがもっとも重要になったのである。だからユーザーが情報を検索する時間を節約するグーグルが、その中心に位置することは偶然ではない。資本主義社会では、稀少な物的資源を利用する権利(財産権)に価格がつくが、情報社会では膨大な情報の中から特定の情報に稀少な関心を引きつける権利(広告/狭告)に価格がつく。

20世紀の大衆消費社会では、こういう関心の配分は大して重要な問題ではなかった。規格化された商品を大量生産・大量消費するには、マスメディアで一律の情報を一方的に流せばよかったからだ。しかしロングテール現象が示すように、人々の真の選好は想像されていた以上に多様で変わりやすく、そこから利益を得る技術はまだほとんど開発されていない。マーケティングというのは、ハイテクとは無縁のドブ板営業だと思われてきたが、これを合理化することが今後のITのフロンティアの一つになろう。
2006年10月27日 01:53
IT

ソフトバンクのモバイル戦略

きのうのICPFセミナーは、大盛況だった。ソフトバンクモバイルの松本副社長は、率直に今後の戦略を語った。特に次世代の技術のロードマップは興味深かったが、気になったのは、ソフトバンクが採用を計画しているWiMAXについて否定的な評価をしていたことだ。松本氏によれば、現在のWiMAX(802.16)は使い物にならず、(クアルコムが買収した)FlarionのF-OFDM(802.20)のほうがすぐれているという。これはクアルコムのバイアスがあるような気もするが、今後のソフトバンクの技術戦略が大きく変わることを予感させる。また次々世代の技術(HSDPA系/802.20/EVDO系)がひとつに収斂してゆくという見通しも興味深い。

「ソフトバンクの強みは、自前の技術を持っていないことだ」というのもおもしろい。「ドコモの技術は世界最高に近いが、すべての技術が最高ではない。しかし彼らは、3番手でも5番手でも自前の技術を使わざるをえないだろう。これに対して、ソフトバンクは研究開発部門を持っていないから、世界一の技術を選ぶことができる」。これは当ブログでも指摘した"Not Invented Here"のパラドックスだが、キャリアの幹部がみずから「当社には技術がない」というのは初めて聞いた。

「基地局を倍増する」という構想に疑問が出されたのに対して、「通常の基地局だけでなく、Femtocellを使う」という話が出てきたのは、たぶんニュースだろう。これは先日のEconomistの特集でも紹介されていたが、オフィスや家庭にある無線LANの基地局を携帯電話の基地局として使うもので、松本氏によれば「現在の基地局のコストのほとんどは不動産と建設コストだが、それを大幅に節約できる」。特にソフトバンクの場合は、500万世帯を超えたヤフーBBのインフラを使ってブロードバンドのFMCが実現できる。

これは見方を変えれば、無線LANを使ったスカイプなどの無料VoIPに対する携帯電話側の防御策である。松本氏は、無線LANはしょせん室内と特定のホットスポットに限定されるという見方のようだが、そのうち携帯電話もオールIPになるから、そこに無料VoIPを乗せることは可能だ。これが究極の価格破壊だが、ソフトバンクはそれに踏み切れるだろうか。松本氏も「電話ビジネスは、データ量に比べて異常に料金の高いボッタクリだ。この超過利潤がなくなるのは必然だが、その前に次の収益源をさがさなければならない」といっていた。

ボーダフォンの買収で巨額の負債を抱え、あまり冒険的な戦略はとれないだろうと見られていたソフトバンクだが、松本氏の登場でおもしろくなってきた。「失うもののない強み」を生かしてタブーや前例主義を否定し、ユーザーの立場から他社に挑戦するという決意に期待したい。

追記:松本氏は、FACTAでもWiMAXを公然と批判している。これは必ずしも彼のクアルコムびいきではなく、業界の客観的な見方でも、モバイル性能では802.20のほうが評価が高いようだ。これまで総務省の研究会では、2.5GHz帯はWiMAXの指定席と思われてきたが、これは大きな波乱要因になりそうだ。
2006年10月25日 10:28
IT

auはなぜつながりやすいのか

ソフトバンクの「予想外」な安売りで、ようやく携帯電話の競争が盛り上がってきた。しかし事前予約では、KDDIの圧勝だ。ヘビーユーザーによれば、「なんといってもつながりやすいのがauの魅力」だという。この理由は、実はKDDIが政府に従わなかったからだ。

第2世代(2G)の携帯電話では、ITUの標準化論争で決着がつかず、GSMが事実上のITU標準となった。ヨーロッパはGSMで統一したが、アメリカはキャリアごとにバラバラになり、日本はPDCで統一した。これは「GSMよりPDCのほうがすぐれている」というNTTの主張に従って、郵政省(当時)が各社に行政指導したためだったが、おかげでドコモが技術的な主導権を握り、他社は競争で不利な立場に置かれた。

3Gでは、ITUでW-CDMAとCDMA2000の二つが標準として認められたが、大勢はW-CDMAと考えられ、1999年に行われた日本の3Gの電波割り当てでは、郵政省はまた各社を指導してW-CDMAに統一しようとした。ところが、CDMA2000の特許をもつクアルコムが「政府が特定の変調方式を押しつけるのはおかしい」と批判し、みずからキャリアとしてCDMA2000で参入しようとした。そうなると、3つの枠に4社が応募するので、オークションなどの透明な手続きをとらざるをえない。あわてた郵政省は、DDI(当時)を説得してCDMA2000に変更させ、クアルコムも矛を収めて、結果的には3社の談合で免許がおろされた。

これはDDIにとっては不本意な変更だったが、結果的には正解だった。ドコモのFOMAは、コアネットワークも基地局も丸ごと変えなければならないが、CDMA2000はDDIの2GのインフラcdmaOneと互換性があり、2Gの基地局に付加的な設備をつけるだけで3Gになるので、改造は低コストで早くできた。しかも3Gの端末で2Gの基地局の電波も受かり、FOMAが電波の届きにくい1.9GHz帯しか使えないのに対して、auの3Gは有利な800MHz帯も使えるため、カバー率はFOMAよりはるかに高くなったのである。

このように技術革新の激しい現代では、政府が技術に介入すると、まず間違うと考えたほうがよい。特に変調方式まで政府が決めて談合で電波を割り当てる「電波社会主義」は、やめるべきだ。この夏、アメリカで行われたAuction 66も、変調方式を決めない帯域免許だった。「日の丸検索エンジン」とか「ユビキタス」とか下らない産業政策の旗を振るよりも、電波政策を自由化することが最大の産業振興策だろう。

3Gの談合を打ち破った当時のクアルコム日本法人の社長が、今度ソフトバンクモバイルの副社長になった松本徹三氏だ。明日のICPFセミナーでは、彼にソフトバンクモバイルの戦略を語ってもらう。まだ空席があるので、申し込みはeメールで。
2006年10月24日 20:27
法/政治

1段階論理の正義

貸金業規正法の改正案がさらに手直しされ、特例措置の高金利を廃止して、消費者信用団体生命保険を借り手にかけることも禁じる方針が与党で決まった。前者については、当ブログでも何度か書いたので、ここでは後者について考えてみよう。

この保険は、債務者の生命保険でサラ金を返済させるもので、「人の命を担保にとるのは非人道的だ」という批判を浴びて、業界では自粛していた。今回の規制では、これを法律でも禁止するようだ。これは一見、債務者を自殺に追い込んで借金を取り立てるサラ金の悪逆非道な行為を防止する人道的な規制のようにみえる。

しかし問題はまず、そういうことが起こっているのかどうかということだ。金融庁の調査によれば、この保険の総受取件数のうち、自殺を原因とする受取件数は9.4%。これは死亡原因(20~69歳)のうち自殺の占める率9.04%とほぼ同じである。つまり、この保険に入ることによって自殺が増えるという因果関係は見られない。

第二に、加入をやめると何が起こるのか。この保険は貸金業者がかけるので、廃止しても債務者の負担は減らない一方、遺族には債務が残る。生命保険で返済されないと、遺族は借りてもいない借金を返さなければならない。このような「団信」と呼ばれる生命保険は、住宅ローンなどにもあるもので、債務者が死んだ場合に債権者にとっても遺族にとっても必要なリスク管理である。それを法律で禁止したら、相続した債務によって自殺する遺族が増えるだろう。

このように「命を担保に取るのは許せない→保険をやめさせる」といった1段階論理の正義による規制が、日本の法律には多い。たとえば

1.店子が追い出されるのはかわいそうだ→店子を追い出せないようにする(借地借家法)
2.労働者が解雇されるのはかわいそうだ→解雇制限を厳重にする(労働基準法)

という規制は、一見、弱者を守っているように見える。しかし2段階目を考えてみると、この規制に家主や経営者が合理的に対応すれば、

1.→家を貸すのをやめる→借家の供給が減る→家賃が上がる
2.→正社員を減らし契約社員や派遣社員にする→非正規雇用が増える

という結果になり、結局は弱者が困るのである。自分の行動に対して、相手がどう対応するかを予想して行動することを戦略的行動とよぶ。ゲーム理論は戦略的行動の理論だが、法律家にはこういう2段階の推論さえできない人が多い。この原因は、法律ではすべての段階で「正義」が「合理性」よりも優先されるためだと思われる。近視眼的な正義が、結果的には大きな社会的不正義を生んでいることに気づくべきだ。
2006年10月23日 01:46

State of Denial

Bob Woodward

Simon & Schuster

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ご存じウッドワードのブッシュ政権3部作(?)の3冊目。当然ベストセラーの第1位を独走しているが、内容的には前作と重複が多く、あまり新味はない。日本人には大して興味のないホワイトハウスの楽屋話が多く、560ページは冗漫だ。扱っている時期は、最初の『ブッシュの戦争』と2冊目の『攻撃計画』を合わせたもので、ブッシュの選挙前の1997年から始まるが、最初の本では彼を持ち上げていたのに、本書では当初から無能な大統領だったという扱いになっている。

本書の主人公は、ブッシュというよりラムズフェルド国防長官である。彼がいかに傲慢で、部下にきらわれているかというディテールが繰り返し描かれる。彼は米軍がイラク国民に「解放者」として歓迎されると信じており、戦争終結後の占領統治については、何も考えていなかった。諜報部門から「大量破壊兵器は見つからない」という報告が上がっても、彼はそれを無視し、自分に反対する者を次々に国防総省から追放する。結局、彼に反対する者はいなくなり、政権全体が「裸の王様」になる。

これはベトナム戦争を描いたハルバースタムの古典『ベスト&ブライテスト』を思わせる。当時の主人公はマクナマラだが、彼は後年、回顧録で「ベトナム戦争は誤りだった」と総括する。著者がラムズフェルドへのインタビューで、マクナマラの「最高司令官は生命の犠牲をともなう過ちをおかすものだ」という言葉をどう思うかと質問すると、なんとラムズフェルドは「私は最高司令官ではない」と答える。

失敗の原因も、ベトナム戦争とよく似ている。戦争の指導者は、自分の望む情報を聞きたがるものだ。ベトナム戦争でも、現地から上がってくる勝利に次ぐ勝利の報告をワシントンは信じ、ベトコンの能力を過小評価して戦力を逐次投入した。またテクノロジーを過大評価して、味方の犠牲なしに敵を殲滅する「きれいな戦争」が可能だと信じる(ラムズフェルドのRMA)のも似ている。実際には、民間人と敵の区別もつかないゲリラ戦では、ハイテク兵器は役に立たない。

しかしアメリカ政府が、公式にはいまだにベトナム戦争を誤りだったと総括していないように、ブッシュ政権はイラク戦争の失敗を認めようとしない。これを著者は「否定状態」(state of denial)と呼ぶ。彼らがベトナムの失敗から何も学ばなかったのは、それを失敗と認めなかったからだ。過去について盲目な者は、同じ過ちを繰り返す。それは日本の過去の失敗を「国民の物語」として正当化しようとする人々と同じである。
2006年10月20日 22:54

市場浄化

田原総一朗

講談社

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著者はもう70歳を超えるが、その野次馬精神は衰えない。本書も、ライブドアや村上ファンドの「国策捜査」をはじめ、最近の事件について論じたものだ。検察の捜査と、それに付和雷同するメディアの姿勢についての批判には私も同感だが、新聞などの2次情報がほとんどで、中身が薄い。

後半は、メディア業界の話。第4章はデジタル放送問題で、私へのインタビューが15ページにわたって続く。単なる取材だと思っていたのに、オフレコの話まで直接引用されているが、まぁいいか。ただ録音の書き起こしが不正確で、「民放連」が「銀行連」になったりしている。NHKの原田放送総局長にもインタビューしているが、理論武装が足りないので、官僚的な答弁で逃げられている。傑作なのは、民放連の氏家元会長へのインタビューだ:
8年前、私が民放連の会長だったとき、当時の郵政省からいってきたんだけど、「デジタル化する。これは国策である」と。それで僕は、それは筋が違うと反論しました。[・・・]それで一度は郵政省も引いたんです。ところがその後、「国の助成金を、郵政省で何とかとるように考えます」といってきた。
そうか。アナアナ変換の国費投入は、98年に決まってたのか。民放連に要求されて仕方なく電波利用料に手をつけたのではなく、最初から流用するつもりだったわけだ。氏家氏は、官僚主義で自縄自縛になっているNHKよりもはるかに冷静に業界の状況を見ているが、インターネットについては何も知らない。「IPマルチキャストの維持費は膨大だ」というから、どんなにかかるのかと思えば「ひと月約2500万円」(単位は不明)。これが「厳密な予測計算をした結果」だというのだから、テレビ業界の情報過疎は重症だ。
2006年10月19日 13:25
経済

教育バウチャー

きのう開かれた教育再生会議の第1回会合で、「教育バウチャー」が話題になったようだ。しかし日本では、これまでほとんど論じられたことのない政策が唐突に持ち出された印象が強く、当惑している委員も多い。またメディアにも「市場原理主義」といった類型的な反応が多いので、ここで基本的なことを少し解説しておこう。

バウチャーのアイディアは、そう新しいものではない。これを提案したのは、1962年に書かれたフリードマンのCapitalism and Freedomである(訳書は絶版)。フリードマンの主眼は、アメリカで深刻な問題である公立学校の荒廃をどう解決するかということだった。貧しい黒人地域で生まれた子供は、たとえ才能があっても、近くの低レベルの公立学校へ行かざるをえない。その結果、格差は固定され、さらに貧しい地域の学校はますます劣化するという悪循環が生じる。学校の荒廃は、日本でも深刻化している。これを防ぐために、消費者が学校を選べるようにしようというのがバウチャーである。

またバウチャーは、今までにない制度でもない。たとえば奨学金は、学生に補助金を支給するバウチャーの一種だ。規制改革会議で提唱されたのも、現在のように私立学校だけに教職員の数に応じて補助金を出すのではなく、公立も私立も同じ扱いにして、生徒の数に応じて補助するということである。経済学でいえば、これは従量制の「生産補助金」であり、市場メカニズムを歪めないぶん、公立学校のような「配給制度」よりも望ましい。

しかし欧米でも、バウチャーの導入には抵抗が強い。特にアメリカでは、宗教学校への州政府の支出が憲法違反だという訴訟が各地で起こされ、連邦最高裁は2002年に違憲ではないという判決を出したが、対応は州ごとにまちまちだ。ブッシュ政権も、大統領選挙でバウチャーの導入を公約したが、議会の反対が強く、2002年の「包括的教育法案」ではバウチャーを引っ込めざるをえなかった。民主党は、教職員組合の支援を受けてバウチャーに強く反対しており、全国レベルで実施される見通しは立たない。

バウチャーへの反対論として、「教育を競争原理にゆだねると、学校がつぶれて地域が荒廃する」といったお決まりの批判があるが、バウチャーの目的は、競争圧力によって公立学校にも教育環境を改善するインセンティヴを与えることであり、つぶす必要はない。奨学金で大学がつぶれないように、これはバウチャーのチューニング次第でどうにでもなる問題だ。「格差が拡大する」という類の反対論もナンセンスだ。上にのべたように、バウチャーはむしろ格差をなくすために発案されたのである。

学校への導入に抵抗が強いなら、イギリスのように、まず保育所に導入してはどうだろうか。現在の保育料は、親の所得税額で決まる方式になっており、税金を払っていない自営業者がベンツで子供を無料保育所に迎えに来る、といった問題がよく指摘される。また保育時間が勤務実態に即していないため、「無認可保育所」が多いが、これは補助を受けられないので高コストでサービスの質が悪い。これを一定の基準を満たした保育所に子供の数に応じたバウチャーを出すようにすれば、サービスも改善されるだろう。
2006年10月18日 15:54
IT

パラダイス鎖国

今月はじめ、家電メーカー5社が共同で「テレビポータルサービス」(TVPS)という会社を設立し、テレビからネットワークに接続できるサービス「アクトビラ」を2007年2月から始めると発表した。総務省と経産省もこれを支援し、「PCではインテルとマイクロソフトに標準を握られたが、家電では日本メーカーが標準化すべきだ」などと表明している。しかし、今日のITmediaの記事を読んで驚いた。この「ネットワーク」はインターネットではなく、決められたサイトしか見えない閉域網(walled garden)なのだという。

この種のデータ放送サービスは、これまでにいくつもあった。今回とほぼ同じなのは、BSデジタルで行われた「イーピー」である。これも家電各社が共同でセットトップ・ボックス(STB)をつくり、BMLでテレビ局のサイトにつなぐものだったが、ユーザーが数万人にとどまり、2004年2月に解散した。アクトビラがイーピーと違うのは、インフラがダイヤルアップの代わりにブロードバンドになり、ようやくHTMLをサポートすることになったことぐらいだが、コンテンツにはTVPSの「審査」が必要になるなど、囲い込み志向は強まっている。

STBのビジネスはむずかしい。かつてテレビ局各社のやったデータ放送は全滅し、マイクロソフトのWebTVさえ撤退を強いられた。ソフトバンクのBBTVも事業を縮小し、NTT、KDDIや電力系などがやっているSTBビジネスも、黒字になったものは一つもない。まして最初からインターネットを拒否するアクトビラが成功する可能性は、万に一つもない。それは自業自得だが、問題はこれを行政が後押ししていることだ。マイクロソフトの向こうを張るつもりなら、せめて彼らの戦略に学んではどうか。

1980年代、IBM-PCがオープン・スタンダードで世界に広がったとき、日本のPCメーカーはPC-9800とそれ以外のコップの中の戦いを続け、業界全体が沈没した。携帯電話も同じだ。このように、ほどほどに大きい日本市場に安住して囲い込み競争を続けているうちに世界市場に取り残される現象を、海部美知さんは「パラダイス鎖国」と呼んでいる(先日は、同様の現象を指摘した私の3年前のコラムが、「はてなブックマーク」で100もリンクを集めて驚いた)。日本企業がITの世界でリーダーシップをとるには、まずこの「パラダイスぼけ」を直す必要がある。
2006年10月18日 11:58
メディア

社会主義末期のNHK

菅総務相が、NHKに拉致問題について「命令放送」を行わせると発言したことが波紋を呼んでいる。メディア各社は「政府の介入を許すな」などと論じているが、どうも基本的な事実関係がよく理解されていないのではないか。

まず命令放送は、今度初めて行うものではなく、毎年4月に総務省からNHKに「国際放送実施命令」が出される。これは国際放送が政府の補助金を受ける半国営放送である以上、当たり前だ。税金だけ出して口を出さないのでは、納税者に申し訳が立たない。朝日新聞によれば、今年の命令書交付のときも、総務省から口頭で、拉致問題を重点的に扱うよう要請があったという。今度の菅氏の話も、この命令を明文化するだけの話だ。

新聞記者は、普段はNHKに政府からの介入がないと思っているのかもしれないが、少なくとも私の勤務していたころは、当時の会長室(今の総合企画室)には郵政省と直通のホットラインがあり、日常的に郵政省から放送内容について「コメント」が来ていた。「国会中継を相撲で中断するのはけしからん」という類の話まで電話してくるので、それをいかに丁重に無視するかが会長室の重要な仕事だった。こういう介入も、政府がNHK予算を承認する以上、ある意味では当然だ。企業で取締役が経営者を牽制するのと同じである。

そもそもラジオの短波放送で22カ国語の国際放送を行うことに、今どういう意味があるのだろうか。日本でさえ、短波放送の聞こえるラジオを持っている人は、ほとんどいない。まして妨害電波を流している北朝鮮で短波放送を流しても、政治的には何の意味もない。中国も含めて、海外に情報発信するならウェブでやるのが一番いいが、NHKの番組のインターネット配信はきびしく規制されている。

NHKが裁判所から受信料の督促を行うことについても批判する向きが多いが、これは今年、政府・自民党の合意で決まった受信料の税金化の方向を具体化しただけである。インターネットでメディアに無限の未来が開けている時代に背を向けて、減り続ける受信料に国家権力を使って歯止めをかけることしか経営方針がないような放送局に、今さら何をいっても無駄だ。

経営陣は知らないだろうが、NHKの現場の士気は、私の元同僚(部長クラス)によれば「入局以来最低」である。「メディアとして新しいことをやろうという空気は、海老沢さんのときより少なくなって、マルチメディア局は解体されてしまった。『構造改革事務局』でやっているのは経理のチェックだけ」というソ連末期のような状況だ。橋本会長は「つなぎのチェルネンコみたいなもんだが、ゴルバチョフさえいないところが絶望的だ」と彼は嘆いていた。
ビル・エモット

PHP新書

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タイトルは物欲しげだが、日本の話は前半の100ページだけ。内容は、今年出た原著なき訳書とほぼ同じ楽観論だが、そのリアリティも薄らいだ。前著でも懸念されたように、安倍政権とともに「古い政治」が息を吹き返しているからだ。

特に本書もいうように、農業の改革は重要である。政策としては話題にもならないが、農水省の予算は3兆円で、農業以外のすべての産業を所管する経産省の予算の4倍近い。日本の農業補助金は世界最高(1世帯あたり12万円)で、財政赤字の原因になっているばかりでなく、貿易自由化を阻害して内外価格差の原因になり、労働生産性の低い兼業農家を温存して地方経済の活性化を阻害している。それなのに、安倍内閣の農水相は、なんと「利権の帝王」松岡利勝氏だ。

著者は、『国家の品格』に代表される一知半解の「グローバリズム批判」には容赦しない。藤原氏などが「日本の古い伝統」と錯覚しているものは、たかだか明治以降、多くは戦後にできた風習であり、逆にインサイダー取引や粉飾決算は「市場原理主義」が生み出した新しい現象ではなく、兜町の「伝統」である。途上国の貧困を救うには、「ほっとけない貧しさ」を嘆いてホワイトバンドを買うよりも、貿易の自由化を進めるほうが効果的だが、ホワイトバンドをつけた若者は「反グローバリズム」のデモで貿易自由化に反対している。

東アジア圏の経済統合をさまたげている「歴史認識」の問題については、著者は欧州の経験に学べと説いている。欧州にも血で血を洗った歴史があるが、それを徹底的な対話で乗り超えた。それに比べると、アジアでは日中韓のいずれも感情論に閉じこもって、事実の検証や論理的な対話の努力を怠っている。著者が編集長をつとめたEconomist誌は、保守派の世界的なオピニオン・リーダーだが、日本の右翼のように伝統や国家を情緒的に絶対化しないところは、さすがに成熟している。
2006年10月17日 01:48

Repeated Games and Reputations

George J. Mailath & Larry Samuelson

Oxford Univ Pr

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一昨日の「高利貸しが最貧国を救う」には、多くのリンクが集まって驚いた。先日の「効率の高すぎる政府」とこれが、当ブログの歴代1位と2位である。繰り返しゲームの話題の反響が大きいのは、日本のムラ社会の実感に合うからだろうか。そのせいかどうか、この分野ではKandori(1992)やOkuno-Postlewaiteなど、日本人の重要な貢献が多い。本書は、この分野の第一人者による繰り返しゲーム理論の集大成である。

しかし繰り返しゲームだけで640ページの本を読むのは、博士課程の学生以外にはきつい。不完全モニタリングや私的モニタリングなど細かい話が多く、応用例がほとんどあげられていないので、現実的なインプリケーションがよくわからない。繰り返しゲームをてっとり早くおさらいするには、Pearceの古典的なサーベイがウェブにある。長期的関係や評判が社会的にどのような役割を果たしているかを知るには、Greifの本のほうがいいだろう。

WSJによれば、ニューズ・コーポレーション、NBCユニバーサル、ヴァイアコムなどが、YouTubeは違法だという結論に達し、これを買収したGoogleを相手どって損害賠償を請求する方向で検討しているという。賠償請求額は、違法なビデオクリップ1本について15万ドルだというから、7000万本以上あるクリップの0.1%(7万本)が請求の対象になるとしても、総額は100億ドルにのぼる。1万本あまりが請求対象になっただけで、YouTubeの買収額16.5億ドルが吹っ飛ぶ。(*)

こうした法的リスクは、前の記事でも紹介したように、Mark Cubanなどが繰り返し警告してきたが、問題のスケールがどの程度かよくわからなかった。また一部の権利者がYouTubeと配信契約を結ぶなど、友好的な態度も見せているので、訴訟に至ることはないだろうという楽観論もあった。しかしこれは、赤字のYouTubeでは訴えても取れる金が知れているので、Googleのような深いポケットがスポンサーになってから「太らせて食おう」という陽動作戦だったのかもしれない。

焦点は、これも前に書いたように、YouTubeがDMCAのセーフハーバーで免責されるかどうかだ。ハーバード大学のJohn Palfreyによれば、YouTubeは広告を掲載するようになったので、DMCA512条に定める「著作権侵害行為から直接に金銭的利益を得ていない」(§512(d)2)という免責条件を満たしていないと判断される可能性があるという。ただ権利者も、訴訟を起こして悪者扱いされるのはいやなので、水面下で交渉するかもしれない。

なお法的リスクについて、GoogleはYouTubeの株主にすぎないので有限責任だという説明があるが、これは誤り。GoogleはYouTubeを完全に買収したので、法的には両者は一体であり、賠償責任はGoogleがすべて負う(**)。今のところ、Googleの時価総額は1300億ドルもあるので、たとえ100億ドルの賠償を命じられたとしても破産することはないと思われるが、その企業価値は大きく損なわれるだろう。

(*)もちろん、これはあくまでも請求額である。訴訟で実際に支払った賠償額は、Napsterが6000万ドル、Groksterが5000万ドルだった。しかしYouTubeのアクセスはこれに比べると桁違いに多く、支払い能力も勘案されるので、Googleのように高い収益を上げていると不利だ。

追記:小飼弾氏の反論がTBされているが、ここで挙げられているのは日本企業のアメリカ法人の話で、本件とは関係ない。WSJの記事でも"deep-pocketed Google could be held responsible for YouTube's legal liabilities"と書いているように、Googleが賠償責任を負うことは自明だ。YouTubeのブランドは残すとしているので、法人格は別にするのかもしれないが、アメリカでは連結財務諸表しか発表しないので、両者は法的にも財務的にも一体である。ちなみにNapster事件では、RIAAは親会社Bertelsmannに賠償を請求した。YouTubeについても、Googleに対して訴訟が起こされるだろう(起こすとすれば)。

追記2:タイム=ワーナーのCEOは、Guardianとのインタビューで「著作権をめぐってYouTubeと交渉している」ことを認め、今後はGoogleが交渉相手になるとしている。ただし訴訟を起こすかどうかは明言していない。Cubanも指摘するように、まず他のマイナーなビデオサイトを訴えて、セーフハーバーが適用されないという判決を引き出してから、Googleと交渉して賠償を引き出すのかもしれない。

(**)これは間違い。原則としては、賠償責任は親会社に及ばない。ただし実際にはグレーな部分もあり、債権者は親会社と一緒に訴えるので、係争になれば、Googleが賠償責任を問われることは避けられないだろう。コメント欄参照。

追記3:Cubanの予想通り、ユニバーサルがGrouperとBolt.comを相手どって訴訟を起こした(10/18)。

2006年10月15日 03:59
経済

高利貸しが最貧国を救う

今年のノーベル平和賞は、ムハマド・ユヌスと彼の設立したグラミン銀行に与えられることが決まった。ユヌスはアメリカで経済学の博士号を得て、故国バングラデシュの大学で教えていたが、飢饉に苦しむ農民を救済するため、1983年にグラミン銀行を設立した。その融資は、1人当たり数十ドルから百ドル程度のマイクロファイナンスと呼ばれるものだが、融資残高は57億ドルにも達している。

従来の常識では、バングラデシュのような最貧国で金融を行うことは不可能だと考えられていたが、グラミン銀行は無担保で、年利20%という高金利であるにもかかわらず、返済率は99%だ。そのしくみは、債務者に5人ぐらいのグループを組ませ、共同で返済の連帯責任を負わせるものである。グループのうち、だれかの返済が滞ると、他のメンバーが代わって返済する責任を負い、債務不履行が起こると、そのグループに所属する人は二度と融資してもらえない。しかしちゃんと返済すれば、融資額は次第に大きくなる。

農村では人々は互いをよく知っているから、返済能力のない人とはグループを組まないし、約束を破ると村八分にされる。このように村の中の長期的関係(繰り返しゲーム)によってモニタリングを行うので、マイクロファイナンスは移動性の低い農村ほどうまく機能する。グラミン銀行の債務者の94%は、家庭を捨てて逃げられない女性である。バングラデシュでも、移動性の高い都市部では、商業銀行の債務不履行率は60~70%にも達する。

こういう関係依存型の金融システムは新しいものではなく、日本でもかつて頼母子講や無尽と呼ばれる相互扶助型の金融制度があった(現在の第二地銀の前身は無尽)。欧州でも、中世には同様の連帯責任システムがあった(Greifは、これをCommunity Responsibility Systemと呼んでいる)。現在でも、途上国には同様の金融システムが広くみられるため、そういう伝統的なしくみを利用したマイクロファイナンスが普及し、CGAPという国際組織もできている。

グラミン銀行はNPOではなく、営利企業である。開発援助のような「施し」は有害だ、とユヌスは批判する(WSJ)。返さなくてもいい金だと、人々は過大に要求し、それを有効に使わないからだ。借金だと、人々はそれを返すため一生懸命に働くので、技能が身につく。日本でも、90年代のバラマキ公共事業は、建設業の行政依存を強め、地方経済の立ち直りをかえって遅らせた。ユヌスもいうように、大事なのは金を与えることではなく、人々が自立して働くのを支援することである。

追記:マイクロファイナンスをサラ金と混同する人もいるが、ここで書いたように、グラミン銀行のシステムは村落共同体を基礎にしているので、都市では機能しない。むしろ日本の問題は、伝統的な相互扶助システムが崩壊したのに、そういう感覚で安易に親戚の連帯保証人になる人が多いことだ。日本では、もう関係依存型ファイナンスが成立する条件はないので、こういう「人的担保」についてもルールを厳格化すべきである。
2006年10月13日 15:01
IT

Telecoms Convergence

今週のEconomist誌の特集は、「テレコムの融合」である。通信業界の状況は混沌としているが、ただひとつ間違いないのは、電話サービスに依存したテレコムビジネスが遠からず終わるということだ。音声からデータ(IP)への移行によって、物理的コネクションとサービスが切り離され、通信業界のビジネスモデルは根本から変わるだろう。その影響を受けるのは、携帯電話も同じだ。今はまだコモンキャリアの収入の半分以上を音声サービスが占めており、変化は始まったばかりである。

他方、これから何が新しいサービスの主役になるかは、まだわからない。NGN、FMC、quadruple playなど、さまざまなバズワードが飛び交っているが、サービスが統合されること自体に意味はない。問題は、それによってどれぐらい料金が下がるのか、あるいは新たなサービスが実現できるのかだが、今のところそういう優位性は見えない。それよりも明白なメリットは電話がタダになることだから、無線VoIPをブロードバンドのインフラと統合できれば成功するだろう。

「通信と放送の融合」の見通しも不透明だ。VerizonやNTTが進めているFTTP(fibre to the premises)は、投資に見合う収益が出るかどうか疑わしい。世界で唯一、利益の出ているIPTVサービスは、香港のPCCWのやっているFTTN(fibre to the node)で、これは建物に入るところまでファイバーを使い、加入者線はDSLを使うものだ。またケーブルテレビと似たようなサービスをIPでやっても意味がない。消費者にとって魅力的なのは、時間に制約されずに蓄積された番組を見ることだから、そうしたオンデマンドサービスを低コストで実現できれば、IPの特長が生かせる。

融合ネットワークは、規制にも新たな問題を提起している。既存キャリアがNGNを競争相手と共有すべきかどうかについては、国ごとに対応がわかれている。アメリカはアンバンドリング政策を放棄して、ケーブルとの競争に望みを託したが、EUと日本はインフラ開放を義務づけている。固定と携帯、通信と放送を同じ業者が提供できるかどうかについても対応はさまざまだが、垣根は撤廃される方向だ。

業界ごとに縦割りになっている規制も統合し、これまで独占的な業者と当局との「暗黙の取引」で進められてきた規制は、明示的なルールにすべきだ。また国際的なルールを共通化して、国際的な相互参入をうながすことも必要だ。アメリカで論争の続いている「ネットワークの中立性」には意味がない。現在のインターネットはすでに中立ではないが、規制すべきではない。

新しい融合サービスが開花しても、狭義の通信業界の収入が増えることは期待できない。現在の電話料金は独占時代のなごりで非常に高価であり、これがデータと平準化されれば、料金は大幅に下がるだろう。これはもちろん消費者にとってはよいことだが、コモンキャリアにとっては(売り上げベースでは)事業縮小である。キャリアにとって重要なのは、ブロードバンドの新たなビジネスを展開するよりも、インフラを効率化してコストを削減することである。それによって新しいビジネスを展開するのは、サービスやコンテンツの提供者と、デバイスのメーカーだろう。
2006年10月12日 00:34

新書365冊

宮崎哲弥

朝日新書

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著者とは、10年以上前、まだ彼が博報堂に勤務していたころにつきあったことがある。彼も私も、ニフティの「現代思想フォーラム」の常連で、オフラインでも何度か会った。彼は西部邁氏に興味をもっていて、私に「紹介してくれ」といったが、私は「学問的に得るものはないので、やめたほうがいい」といって断った。その後、彼は自分で西部氏に接触し、一時は彼の編集する『発言者』の常連になったが、案の定、喧嘩別れした。

本書は、そんな著者の博識ぶりが発揮され、読書ガイドとしてはよくできている。毎月60冊もの新書をすべて読破して書評するというのは、2ヶ月に1冊の書評も持て余している私からみると驚異的だが、意外にていねいに読んでいる。特に彼の得意とする政治・思想・宗教の分野では、右翼とか左翼とかいう図式にとらわれないで、バランスのとれた評価をしている。ただし、著者が高く評価する橋爪大三郎・佐伯啓思・仲正昌樹・中島義道といった「新書文化人」は、私はまったく評価しない。

他方、彼の苦手とする経済・ビジネス・科学技術の分野は、質量ともに弱い。『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』という駄本がBestにあげられ、金子勝氏と「リフレ派」がともにリストアップされているお粗末ぶりだ。科学の分野は2冊しかなく、ITやインターネットは1冊もない。全体としては、著者よりも年上の文科系のおじさん向けのラインナップである。

先日、テレビ朝日のスタジオで会ったら、「週にテレビ・ラジオあわせてレギュラーを10本もっている」といっていた。しかし本人は「現代の辻説法」のつもりでも、テレビ局のほうは「何でもコメントする便利な評論家」として使っているのである。ワイドショーにまで顔を出していると、西部氏のように使い捨てにされて、安っぽいイメージが残るだけだ。そろそろ腰をすえて、まとまった学問的な仕事をしてはどうだろうか。
10月からボーダフォンはソフトバンクモバイルに社名変更しましたが、それに先立ち9月1日付けで副社長技術統括兼CSO(最高戦略責任者)に松本徹三さんが迎えられました。米クアルコム社の上級副社長を務められた松本さんは、世界の携帯電話業界のリーダーのひとりとして長年活躍されています。ボーダフォンはJ-フォン時代以来、3位に甘んじてきましたが、今月下旬から「ナンバー・ポータビリティ」が始まるなか、ソフトバンク傘下でどういう戦略で巻き返すのか、その秘策を松本さんにうかがいます。

スピーカー:松本徹三(ソフトバンクモバイル副社長)
モデレーター:池田信夫(ICPF事務局長)

日時:10月26日(木)18:30~20:30
場所:「情報オアシス神田」
    東京都千代田区神田多町2-4 第2滝ビル3F(地図

入場料:2000円
    ICPF(情報通信政策フォーラム)会員は無料(会場で入会できます)

申し込みはinfo@icpf.jpまで電子メールで氏名・所属を明記して(先着順で締め切ります)
2006年10月10日 19:20
IT

Google/YouTubeの次の課題

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GoogleのYouTube買収については、おおむね好意的な評価が多いようだ。株価も上がっている。16.5億ドルという価格も、Googleの時価総額1300億ドルからみれば大したことはないし、たとえばヤフーが1999年にBroadcast.comを57億ドルで買収したのに比べれば、まだバブルという域には達していない。

しかし懐疑的な意見も多い。Broadcast.comを売ったMark Cubanは、「Googleという深いポケットを持ったYouTubeは、損害賠償でもうけようとする弁護士たちの恰好の餌食になるだろう」と予想している。YouTubeは「DMCAのセーフハーバーで免責される」と主張しているが、セーフハーバーは、ISPの提供しているホームページにユーザーがコンテンツを載せるような場合を想定しており、投稿ビデオを配信するYouTubeに適用されるかどうかはわからない、とDeclan McCullaghは指摘している。

しかし本質的な問題は、法律論ではない。DMCAでISPが免責されたのも、すでにウェブが広がってしまい、ユーザーのコンテンツを事前にチェックする義務をすべてのISPに課したら営業が成り立たなくなる、という既成事実のためだった。だからNapsterは、P2Pが広がる前につぶされた。YouTubeが生き残る上で必要なのも"too big to fail"の力関係を作り出すことだから、Googleがバックについた意味は大きい。

さらに重要なのは、企業にとっても「YouTubeを生かしておいたほうが得だ」と思わせることだ。この買収と同時に、YouTubeはユニバーサル、CBS、ソニーと音楽ビデオの配信についてライセンス契約を結んだ。ユニバーサルは先月、YouTubeを訴える意向を示唆していたが、逆にYouTubeをプロモーションに利用するほうが有利と考えたようだ。企業にとって重要なのは、著作者の人格権ではなく利益なので、何年もかけて法律を改正するよりも、企業の利益になるしくみを作ったほうが早い。

権利処理の問題は、ある程度は技術的に解決できる。著作権のある映像についても、自動的に権利処理を行って広告収入をシェアすることは、技術的には可能だ。しかし小さなビデオクリップにいちいち権利処理コストをかけられないので、それをどこまで低コストに処理できるかが勝負だろう。GoogleとYouTubeは、そういう権利処理のプラットフォームを開発しているという。オープンで低コストの自動権利処理システムができ、Google/YouTubeが採用すれば、それが国際標準になるかもしれない。

ただし技術だけでは解決できない問題も多い。音楽では、日本でいえばJASRACのような権利者団体があり、包括契約のしくみもあるが、映像にはそういう制度がない。権利処理を自動化するには、まず権利を一本化し、強制ライセンスによって許諾権を切り離し、ライセンス料に定価を定めるなど、定型的な処理手続きをつくる必要がある。これも今までは必要に迫られていなかったので進んでいないが、Google/YouTubeが権利処理コストを下げればもうかるという先例をつくれば、まとまるかもしれない。

情報処理がウェブ上で自動化され、効率が高まる一方で、権利処理はきわめて非効率で、コンテンツ流通の最大のボトルネックになっている。この問題を解決した者が、次のマイクロソフトになるだろう。これは技術的にもビジネス的にもきわめて困難で、しかも小さな企業が採用しても意味がないという点で、Google/YouTubeにふさわしい課題だ。彼らが新しいプラットフォームをつくって成功すれば、制度は後からついてくるだろう。
2006年10月10日 00:44
経済

スウェーデン銀行賞

今年のスウェーデン銀行賞(通称ノーベル経済学賞)は、Edmund Phelpsが受賞した。またも疑問の多い人選である。今回の授賞理由になった業績は、1970年に出た本だ。内容は、その2年前に発表されたFriedmanの「自然失業率」仮説を数学的に理論化したもの。いわゆるmicrofoundationの流行するきっかけとなり、合理的期待形成理論の先駆ともいえるが、それならLucasと一緒にでも授賞すればよかったのではないか。

ただ、このへんからマクロ経済学が大きく変わり、ケインズ理論が終わる節目になった意味は大きい。日本では90代まで、不況になると「景気対策」と称して財政出動が行われたが、そういう政策がナンセンスであることは、すでにFriedman/Phelpsが明らかにしていた。日本では、政治家や官僚が「経済学は役に立たない」とかいって勉強しないために、バラマキ公共事業に100兆円以上の国費が浪費されたのだ。

とはいえ、Phelpsから始まったNew Classical Economicsも、かなりいかがわしいものだ。この種のモデルは、マクロ理論と称しながら、実際には巨大な「代表的個人」の確率的な行動を記述しているだけである。これは各個人の行動が独立で同型的であることを仮定しており、そのモデルの「合理的」なふるまいは、実はこの同型性の仮定から導かれる。各個人が合理的であっても、効用関数や所得が異なれば、集計的な行動は不規則になりうる。数学的には、任意の集計的な超過需要関数が合理的個人から導けるのである(Sonnenschein-Mantel-Debreu)。

実際には、個人の行動は同型的でもなければ合理的でもなく、相互依存していて、バブルも恐慌も起こる。それがケインズの予測したような動きをしなくなったことは事実だとしても、NCEの予測が当たった試しもない。そもそも(行動経済学で実証されたように)ミクロで合理的でない経済が、マクロで合理的に動くはずはないのである。Phelpsの業績は、その後30年にわたってマクロ経済学者の雇用を創出した点では意義があるが、実証科学としての経済学の発展にはほとんど寄与しなかった。


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