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内舘氏、朝青龍「日本に敬意欠けていた」 (2/2ページ)

2010.2.5 05:06
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内舘氏、朝青龍「日本に敬意欠けていた」
けいこ後、内館牧子横綱審議委員の肩を抱く朝青龍=09年4月、両国国技館【フォト】

 内館氏はこの日、朝青龍の引退発表を受けてコメントを文書で発表。丁寧な字面ながら、過去の両者の“バトル”をほうふつさせる内容だった。

 「朝青龍が自ら引退したことはベストの選択だったと思います。出処進退は自ら決めるというのは角界の美意識でもありますし、横綱たる者がいかなる処分でも勧告されて従うのは恥ずかしいことです」

 横綱審議委員に就任して2000年12月にけいこ総見に初出席した際には、当時新入幕の朝青龍が“飛び入り”し。横綱貴乃花から2勝を挙げた際には「気っぷがいい。覇気を感じて気持ちよかった」と絶賛していた内館氏。その後、数々の朝青龍の“問題行動”で苦言を呈するうち、完全な“敵対関係”になった。

 07年7月、名古屋場所中に腰を痛めたとして夏巡業を休場しながらモンゴルに帰国してサッカーに興じていたことが発覚。謹慎中の同年9月には、モンゴルで痛めたひじの静養をしている朝青龍に、「引退声明を出した方がいい。早めに引退会見してお辞めになった方がいいのでは」と引退勧告を行っていた。

 「『天敵』と呼ばれた私ですがこの選択に安堵(あんど)しております」

 09年4月、内館氏は心臓弁膜症の手術のため7カ月ぶりにけいこ総見に姿を見せた内館氏に朝青龍が握手を求め、耳元で快気を祝う言葉をささやいた。このときばかりは「(豊臣)秀吉のような人たらしね」と笑顔を浮かべたが、今年1月25日に横審を退任した際には「禄をはんでいながら(日本相撲)協会をなめている」と最後まで辛口を貫いていた。

 「今後、日本であれ他の外国であれ、どこかで何かの仕事をなさるでしょうが、その際、その国とその業界、およびその仕事に対し敬意を払うことを忘れないでほしいと思います。朝青龍は日本に、角界に、そして相撲という仕事に、敬意が欠けていた。それを持てば、彼のよさがもっとあらわれ、そして評価されると考えています」

 内館氏の厳しい、そして本気で苦言を呈してくれる“愛情”は、朝青龍に通じたのだろうか。




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