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横綱・朝青龍(29)=高砂=が4日、電撃引退した。日本相撲協会が泥酔暴行問題の処分を協議するため午前11時から両国国技館で開いた理事会の途中、師匠の高砂親方(元大関・朝潮)とともに呼び出され、弁明したが、横綱審議委員会が史上初めて突きつけた引退勧告により自ら引退を決意。歴代3位の25回目の優勝を決めた初場所直後に不祥事で引責。お騒がせ横綱らしい幕切れとなった。
朝青龍が泣いた。午後3時6分。理事会で引退を告げた会議室から高砂親方とともに出て来ると、涙を浮かべていた。「お世話になった。引退します」体力の限界でもなくけがでもなく泥酔暴行問題での引退。この男ならではの理由で99年初場所の初土俵から戦ってきた土俵に別れを告げた。
電撃的な引退劇は横審の伝家の宝刀が流れを決めた。午前11時の理事会直前。武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)に横審の鶴田卓彦委員長から連絡が入った。書面に記された内容は横審が史上初の「引退勧告」の総意をまとめた事実だった。
理事長も水面下で、高砂親方に4日の理事会までの引退届の提出を迫っていた。当初、理事会は処分の決議を行う予定はなかったが、鶴田委員長からの通告が協会トップの決断を後押しした。会議の冒頭で理事長は横審の総意を報告。07年8月のサッカー騒動で下した出場停止処分に続く再犯も重大だった。外部役員の吉野準監事が厳罰を主張。甘い処分を下せば世間一般から激しい非難が協会に及ぶことは確実だった。会議は一気に処分への議論へ激変した。
理事会は朝青龍と高砂親方から事情を聞くことが提案され、正午前に中断。午後1時過ぎ、渦中の師弟が国技館に現れると、約20分、暴行の事実について事情を聞いた。朝青龍が「酔っていて覚えていない」とあいまいな返答を繰り返し処分への流れは加速。この時点で選択肢は解雇か引退に絞られた。雰囲気を察した師弟が「考えさせてください」と猶予を申し出て理事会は再び中断。解雇を想定した協会は顧問弁護士を呼んだ。
運命が決まったのは午後3時過ぎだ。九重、友綱、二所ノ関の各理事が会議室を飛び出し、意思確認のため師弟がいる一室へ向かった。朝青龍はここで腹をくくった。3時4分。再び入室し、引退の決意を明かした。解雇だと退職金などがなくなる危険がある。引退なら功労金など約2億円を手にでき、引退相撲の開催も可能。協会側も横綱をクビにする初の汚点は作りたくなかった。両者の思惑は一致した。
結局、泥酔暴行問題の真相は不明のまま。引退会見では終始、不敵な笑みを漂わせたが、思い出の一番に触れられた時は強気の仮面がはがれた。「新三役で横綱・武蔵丸関を破った一番です。誇りに思います」。01年夏場所初日。初めて横綱を倒した一番を振り返ると涙を流し絶句した。
「モンゴルの大草原の少年を横綱に育てていただいて感謝しています」と頭を下げる一方で「品格って言うけど土俵では鬼になる」と抵抗した。優勝直後に起こした土俵外の騒動での引責引退。「強ければいい」の甘い哲学が命取りになった。
◆朝青龍 明徳(あさしょうりゅう・あきのり=本名ドルゴルスレン・ダグワドルジ)1980年9月27日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。29歳。1997年9月に高知・明徳義塾高に相撲留学。99年1月に高砂部屋に入門し、初場所で初土俵。2001年初場所で新入幕。03年初場所後にモンゴル人として初めて第68代横綱に昇進。05年に史上初の年6場所全制覇と7連覇を達成。幕内優勝25回は歴代3位。殊勲賞、敢闘賞とも3回。幕内通算596勝153敗76休。得意は突き、押し、左四つ、寄り、上手投げ。184センチ、154キロ。03年に結婚したタミル夫人と1女1男をもうけるが09年に離婚し、現在は独身。
(2010年2月5日06時05分 スポーツ報知)
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