カミングアウト 

2010/02/04(木)
中の人はいませんって人は、ここからの記事は飛ばしてね。
しかも長いデス。
ほんっとに。








さっき旦那から電話がかかってきました。
健康診断の結果です。
「病院から電話あって、逆流性食道炎と慢性胃炎だって。潰瘍痕がいくつかあるって。大変なら東京戻ってくればいいよ、くるみも待ってるよ」
高知が辛いんじゃない。
SILさんといるのが辛いんじゃない。
だけど、どっか奥底に、ずっと溜まってるものがある。
ひどい孤独感がある。
だから本当のことをカミングアウトしてみる気になった。いつかするつもりだったし。
人の歴史なんざ興味がない人はまたRO日記のときにでも。

さかのぼること12年前。
ずっと不仲だった両親に「文句があるなら出ていけ」といわれ、中学生のころから貯めたお金をもって家を出た。
物ごころついたときから厳しすぎる、今風にいえばDVに近い父親の躾けにずっと反抗心をもっており、「いつか出ていきたい」と思って貯めたお金だった。
大学のバイトで稼いだお金も合わせて100万弱。
西国分寺のお墓の横のアパート(安かった)を借りて、一人暮らし。
「大学くらいいけ」という両親に「学費くらい払ってね」といい残したので学費は心配なかったけど、生活費はギリギリ。
それからしばらくして、2年半くらい付き合ってた彼氏が浮気をして、すったもんだの挙句別れた。
彼氏の内定が出た就職先の近くだから、西国分寺に住んだのに・・・orz

大学卒業して就職、OLとして働きつつ、サークルの友達と遊ぶ日々。
でも裏ではどうにも寂しくて、ネットで知り合った人とセフレになった。
ネットで連絡とって駅で待ち合わせてホテルいって、相手の名前も知らない。
どこに住んでるかもしらない。
結婚してる人なのかしらないけど、いつもいつも明け方にはいなくなる。
心は通わずとも体がつながっていたら情がわいてきて、その人とスキー旅行なんかにも行った。
だけど、あるときふと「朝まで一緒に寝てられる人がいいな」と思ってすっぱり別れた。

そのあと少ししてサークルの中にいた人と付き合い始めた。
付き合い始めたのが、2000年の4月。
気をつけてたけど、なんか計算間違えたのか、7月には妊娠。
彼氏は名の知れた、その業界ではトップシェアの安定した会社の社員。
性格は温厚でいい人、背は低いけどお洒落で見た目もいい。
なにより、太陽みたいな性格、どんな人とでもうまくやっていける性格、まぶしかった。
人を見ればまずマイナス印象、悪いところ探しから入る私とは大違いで、彼はだれからも愛されて信用される人。
すごいなぁ・・・と思ってた。
それで結婚しよう、と迫った。
「まだ新人に毛が生えたくらいだし、自分の給料でやってけるのかな」と不安がる彼に「いける!余裕!問題ない」と無理やり押し込んで覚悟を決めてもらった。

私の両親には「結婚するから」と事後報告。
彼の親御さんに至っては、彼女がいることも知らなかったようでびっくりされた。
すでに妊娠しているので否やはない。
8月には会社の社宅に二人で入居して、入籍した。

旦那になった彼は、優しかった。
妊娠してる私を気遣ってかマッサージしてくれた。
色々と手つだってくれた。
そして2001年出産。帝王切開で娘が出てきた。

でも旦那は父親になれなかった。
仕事が忙しすぎて、職場が遠すぎて、通勤に2時間もかかり、朝早く出て24時すぎに帰宅する日々。
旦那は全く優しくなくなった。
「マッサージとかもうしてくれないの?」と聞いたら「妊娠中だけだし」とそっけない。
びっくりした、ほんとにこんな人がいるのかと。
旦那の母親もおかしな人だった。
元々お嬢様だったらしく、とにかくズレていて自己中心的で、よくみたら旦那とそっくりだった。
人の都合や気持ちはおかましいなしに、自分のしたいことをする。
それで姑とうまくいかなくても旦那は「仲好くしてよ」というばかり。
決して間には入らない。
姑と直接対決すると、旦那は私が悪いように言う。味方ではない。

それに、私は元々の性格が災いしてどうしてもママ友達に馴染めなかった。
娘は病気もケガもせずにスクスクと育つけど、私は一人社会に取り残された気持でいっぱいだった。
23で出産して、でもサークルの友達は皆まだ未婚で遊びまわってる。
23とか24ならOLとして働いて、友達と旅行したり、自分磨きとかしているころなのに、私はといえば毎日オムツを変えミルクをあげ、ゲップ出させて寝かしつけて、ぐったりの毎日。
育児や家事なんかいくらやったって何のキャリアにもお金にもならない。
ちっとも楽しくない。

段々と沈み込んでいった。

それでついに仕事をすることにして、娘を1歳半で保育園にいれた。
正社員の口を見つけて働きだしたが、どうしても定時には帰れないときがある。
運転を沢山する仕事なので道路状況によっては、定時に帰れない。
帰った後報告したり翌日の支度もある。
保育園のお迎え時間にも遅刻することが何度もあった。
毎日、夕方には信号も無視するくらいの勢いで保育園に向かって車を飛ばしていた。
あるときついに保育園の園長に「あなた一人のために保母に残ってもらうわけにはいかないんです。これ以上お迎えが遅れることがあったら、預かることができません」といわれてしまった。
仕事は順調、社長にも褒められて、新人とは思えないくらいだっていわれて、やる気だった。
旦那に相談しても「仕事するなら子供のこととかはちゃんとやるのが普通」といわれ、どうしようもなくなって8か月で退職。

娘は保育園に通っているのですぐに次の仕事を探さないといけない、それで見つけたのが中華料理店のパートだった。

パートでは扶養の範囲内なので正社員のころよりも仕事量が減る。
それで娘が2歳半になったころ、平日の昼間が暇だなぁと思っていた私に旦那が「ゲームでもしてみたら」といって渡したのが、オンラインゲームの雑誌だった。
ゲームはあんまりしてなかったけど、旦那が適当にパソコンにインストールしてくれたので、そこで初めてオンラインゲームというものを始めた。

PristonTaleというそのゲームは衝撃的だった。

周りにいるキャラクターがあちこちに動いて、人間みたいに喋る。
会話が出来る。
何もわからないでボーッとしてたら声掛けてくれて、1から教えてくれる人がいた。
オンラインゲームとは何か、というところから狩り、装備、経験値、色んなこと。
ROでいうところの相方になった。
半年もしないうちに、のめりこんだ。

パートの時間は減っていき、娘を保育園に迎えにいって連れ帰った後までゲーム。
夜も娘を寝かしつけたあとゲーム。
典型的な主婦廃人。
旦那は呆れこちらを見なくなった。
私の両親は実家でまでゲームをする私に怒り嘆き、娘はゲームをしている私には寄り付かなくなった。
夫婦関係は破綻、娘は一人遊びとビデオやDVD漬け。
家の中は散らかり放題。ひどい有り様。

娘が3歳半になったころ旦那の海外転勤が決まった。
4歳になったと同時に私もシンガポールに移住。
ゲームはやめよう。
せっかく海外に来たんだから、英語を覚えて、マダムになろう!
そう思って、娘のママ友達を作った。
誘われるままにホテルでランチもした。
フィットネスクラブにも入会、友達と通った。
英語はブリティッシュ・カウンシルで習い、少しずつ出来るようになっていった。
初めて明るい生活、普通の主婦みたいな生活がきたと思った。

でも、結局だめだった。

旦那の会社はお硬い会社で、給料は日本と同程度の生活が出来るくらいの給料だった。
それに対して他のママ友達は、我が家の3倍貰っていた。
若くして子供が出来たし、旦那も他の駐在員と比べて格段に若かったため、その家族・つまりママ友達と私の年齢は10ほども離れていた。
当然感覚はズレてるし給料も違う。
習い事、エステ、買いもの、ホテルでのハイティーにランチ、段々と無理がきた。
皆がもっている1200ドルもする流行のバッグ、皆でオーダーしたオーダーメイドの服・・・お金がかかることについていけなくなった。
それに加えて狭すぎる日本人社会、人のプライベートがどんどん流れていき、噂や罵詈雑言が駆け巡り・・・
ほったらかしで育った娘は友達とうまくやれずに、ケンカしたり問題を起こしては、私のところへあちこちから電話がかかってきて、その噂が流れる。
なんとか友達を作ろうと、自宅に友達を呼んだり、呼ばれたり。
そんな中で聞こえてきた「あのおうちは乱暴だから」「家が汚れてて心配」の声。
耐えきれずに、ママ友達の付き合いをやめた。

娘が6歳すぎて小学校にあがるころには完全に引き籠り状態に。
旦那は海外出張が多く、付き合いの飲み会や趣味のサッカーで家のことはノータッチ。

「私が子供のことや生活のことで悩んで引き籠ってるのに、どうして旦那は毎日ハツラツとしているの・・・?」

旦那からすれば、ヤンチャすぎて手に余る娘と、いつも文句を言いたそうな引き籠りの嫁、見たくない存在だったんだと思う。
けれど、いくら悩みを話しても旦那はいつも酔っていて、次の日には忘れてしまう。
まともに聞いてくれない。
カウンセリングに行きたいというと「会社バレする、対面が悪い」といっていかせてくれない。
家にもっと帰ってきて、お酒飲まないでというとキレる、怒る。
無理やり帰宅させても、自室に籠ってしまって、いるんだかいないんだからわからないくらいになる。
家族ってなんなの、夫婦って何なの?
旦那は外面だけよくて皆から「いいパパね」「いい旦那さんだよね」「若くてかっこいい、おしゃれ」っていつも言われるけど、中身はこんな状態なのよ?

自殺という言葉が頭をよぎり、何度も寸前までいったけど、そんな勇気が出なかった。


そしてそのころ、再びゲームに戻った。
海外からでも遊べる、有名なゲーム、それがラグナロクオンラインだった。


オンラインゲームは楽しかった。
日本語でok。
自由。
またのめりこんだ。
ゲームの中では私は独身で、娘なんかいなくて、ママ友達とのことも忘れて、何もかも自由。
現実逃避。

またゲームをしている私に旦那は諦めた。
「シラフでは相手なんか出来ない」といい、自分の娘と遊ぶときは必ず酒を飲んだ。
常に酔っ払っていた。
家庭は完全に崩壊、辛うじて「家族」としての形だけ残るのみ。

そして2008年の夏、旦那は町に立ってるオネーチャンを買った。
フィリピン人だかマレーシア人だか知らないが、買った。
ナマでしたのが怖かったらしい。
しばらくして私に「エイズになってたらどうしよう」と泣きついてきた。
毎日のように「具合が悪い、エイズかも」「どうしよう、離婚するの?どうしよう」と泣きごとを聞かされ、そのたびに口先だけで慰める。
シンガポールではエイズ検査で陽性が出たら強制退去させられる。
駐在員がエイズで強制帰国させられると大体はそのあと辞職するハメになる。
それにおびえていた。
それでわざわざ旦那だけ日本に帰ってエイズ検査・・・私も内心あきれ果てた。

これはもうだめだ。
家族とはいわない。

離婚を決意して旦那に切り出すが、必死に引きとめられ「変わるから、俺も変わるから。だから猶予をくれ」といわれて、しばらく様子を見ることにした。
ところが何一つ変わらない。
私がインフルエンザで寝込んでいても「ご飯どうしよう」と聞いてくるところとか、鬱になって洗い物ひとつしたくなくて、山ほど汚れた食器が溜まっていても、意地でも家事は手伝わない。
「一度やったらずっと手伝わされる」「お前がやれよ」言われなくても心の声が聞こえてくる。
だめだ、せめて別居だけでもしないと頭が壊れる。

そんなころにSILさんとリアルでオフをした。

今でもはっきりしない。

SILさんが好きな気持ちも確かにあるけど、シンガポールから逃げたかった。
あんなところに引き籠っていたくなかった。
旦那の顔なんか見たくなかった。

旦那の明るさ、人当たりのよさ、無邪気なところ、太陽みたいなところ。
それは全部育ちのよさからきてて。
辛いこと、大変なこと、全部母親がやってあげていて。
いじめにあうことも傷つくことも挫折もしらずに育ったから、そんな雰囲気に私はあこがれたけど、結局彼は「人の痛みがわからないどころか気付かない」「自分が気持よく生活するのは当然。周りはどうでもいい」「世話されるのは当たり前」という人だった。

SILさんは違った。
面倒みがいい。
雰囲気が少し暗い、第一印象はたぶん悪いほう。
でも人の傷や痛みに敏感。

この人と一緒にいたい。
一緒に住みたいと思った。

それで旦那に別居を申し出た。
そうでなければ離婚すると。
娘は私が引き取りますと。
ところが馬鹿正直だから、私はすべてを話してしまった。
好きな人がいること、旅行したこと。
旦那だけではなく、私の両親にも。

両親はまた怒り、あきれ、悩み。
そして「孫は絶対にあんたなんかには渡せない」と言った。
「人の奥さんと不倫するようなどこの馬の骨ともしれない男が、孫にちょっかい出したり殴ったりしたらどうするの」「あんたは今頭がおかしいから一緒になって孫を殴って殺すでしょ」
旦那も同じことを言った。

わからなくもない。

昨今そんな「内縁の夫の暴行」で子供が殺されたり、たくさんある。
いくらSILさんはそんな人じゃないって言ったところで、親兄弟、旦那にはわかりはしない。
そもそも間違いをしたのはこっちなんだから、いいわけが出来なかった。
旦那といれば将来安泰、エリートだし仕事も出来るし駐在員あがりだから待遇もとてもいい。
一生仕事なんかしないでのんびり主婦、老後だって心配ない。
そうは思ったけど。
でも旦那と同じ空間にいるのがもう耐えきれなかった。

それで娘を置いてシンガポールを出た。

2009年7月に私が一人で日本に帰国して3か月後、旦那と娘は東京に帰国した。
旦那の母親の近くのマンションで住んでいます。
母親がゲームにかまけてまともな育児をして貰えなかった娘は、母親がいなくともさほど変わらず。
旦那は今頃になって反省をして、娘と正面から向き合っています。

私は両親とは断絶、兄弟とも音信不通。
旦那と私の友達は共通だったのに加えて5年も海外にいたので、友達はみな散り散りになっていてどこにいるかもわからない。
既婚者だから、SILさんの両親にも顔向けが出来ない。
人妻が若い男をたぶらかして、道を誤らせている、どうみてもそう思われるだろうし。
SILさんのお父さんにはあったけど何も言えなかった。

SILさんの友達にあったり、仕事しているときに友達ができたりするけど、結局ほんとのことは何も言えない。
結婚してて旦那がいるけど、いなくて、娘はいるけどおいてきてて、でも別の人と同棲してて、とか無理。
就職活動してても「どうして高知にきたんですか」「ご主人のお勤めが高知ですか」と聞かれて、うまく答えられない。
誤魔化して返事するけど、相手にも「何かワケアリだな」というのは通じてしまう。
どうしても面接になると、それを聞かれてしまう。
憂鬱になるけど、結局のところ自分が悪いのだから飲み込むしかない。

今まで32年、両親との関係も捨てたし、兄弟も捨てたし、友達も捨てたし、旦那とも娘とも別れた。
東京も。
貯めてきた財産も、一部除いて旦那のところ。
家具も何もかも。
いくとこも帰るとこもない。
それで高知にきた。

何度も泣いたし、SILさんに当たり散らしたこともあるし、娘がいないのに辛くて東京に帰りたいといったこともある。
正直私が色々捨てなきゃいけなかったのに、何も捨てなくて済んだSILさんを恨む気持ちがあるときもあった。
すごく不安定だった。

こうなってみて思うのはやはり8年間、娘は私が育てたんだってこと。
病気もケガも虫歯ひとつなく、最低限やることはやって育ててたんだってこと。
私が面倒みているときは何も問題なかったのに旦那が見るようになってから虫歯になり、視力が落ち、娘はちょっと太ってしまった。
旦那やその母親がお菓子や脂っこい物を食べさせるからだと思う。
そういうのを見ると娘は私が引き取りたいと思うけど、何度言っても、それはさせてくれない。
心配だけどどうにもできない。


私の半分は娘のところにあって、半分が高知にいる。
その二つが一緒にならない。
離婚はいつするのかわからない。
自分にはSILさんしかいなくなってしまった。
東京が好きだけど今は高知にいるしかない。
色んなことが重なって、ずっと心の奥にストレスが残ったままなんだと思う。

色んな後悔、あのときああすればよかったという思いがたくさんある。
現状は社会的にも倫理的には間違っているのに、その間違ったままでいるしかないのが沈んでいく。
それでも東京にいって、旦那と娘と3人で時間を過ごすと、いつも思う。
娘とは暮らしたいけど、旦那とは絶対無理だって。
だから私はSILさんのいる高知にいる。


長くなったけど、こんな状態なのでした。
SILさんと結婚?
出来ない、日本では一夫一婦制ですね!
未だ離婚に費やすエネルギーも覚悟もありません。
娘との間がどうなってしまうのかと思うと怖いのもあり。

今までブログに書いてきたことにはほんとのこともあり、嘘もあり、色々。
今後は出来るだけほんとのことを書きたいな。
書けるように・・・・なるといいな。



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